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教えるという快楽

nicoと申します。

よかったら下記からプロフィール記事も読んでやってください。

「人に何かを教える」というのは、断ちがたい快楽なのでしょうね。
私は企業の研修実施部署に所属していて、これからの学びのあり方を模索していますが、トレーナーにこの快楽を諦めさせるのが一番困難な課題だと感じています。

教えでドーパミンが放出

このことは実際に複数のトレーナーが経験として語っていましたので、少なからずあることなのでしょう。
私自身も、今年講師の経験をさせていただき快感とまではいかないまでも高揚は感じましたし、反動でぐったり疲れるのは実感しました。

一度快感として味わうと、繰り返しその感覚を求めてしまうようです。
もっともっと…!となってしまうことは容易に想像できます。

なぜ教えは快楽なのか?

  • ドーパミンのような脳内麻薬が出ること

  • ドーパミン放出直前の行動(教えること)が強化されること

  • 教える側の多くは受講生より上の立場なのでマウンティングがとれること

仕事でもプライベートでも、教えたがる人はいますものね。
そのような人たちは、快感に支配されているのだと思います。

どうして「教え」を縮小しなければならないのか

コスト、時間等の面から今後ますますリモートやシステムを活用した研修にシフトしていくことが必然で、以前のように「人を集めて教える」という形は難しくなっていくはずです。

また、成人学習では講義を聞くよりも自分で経験して学ぶ方が好まれることがわかっています。
そのためトレーナーが教える形から、ワーク等で体験してその感想を受講者同士でシェアすることで学ぶなどの形に変わってきています。

トレーナーの役割は講師から、ファシリテーターであったり、メンターであったり、プランナーであったり、プロデューサーであったりと、まさに今変化していると感じているところです。

本人たちに教える快感を

受講者主体として考えるならば、教えによる快感をトレーナーの特権としていてはいけないのではないかというのが、最近の私の考えです。

受講生本人たちに教える快感を明け渡し、自分が体験したことをシェアしてもらい遺産として蓄積していくことが必要なのではないかと考えています。

トレーナーからも快感を奪わない

一方、トレーナー側から見た場合、いくら受講生のためになると言っても、快感が生理的なものであるほど手放すのは難しいと思うのです。

なので代替となる何かを見つける必要があるだろうと思っていて、それは何だろう?と探っているところなのです。

お読みいただきありがとうございました。
ではでは。

【今日の筋トレ】
なし

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