いのう えあや

言葉だけが確かである

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最近の記事

こいのてき

 裸の足の爪を見ると気色が悪かった。夏中、赤いペディキュアをしていた。肌と同じ色をした不明感触の爪、は新鮮に気色悪かった。  秋が来たのだ。そうしてこれが秋なのかしらと暦について考え始めたころ、もう冬になり始めているという始末だ。さいきん毎年そう。かんぜんに置いていかれてしまっている。  恋人の白髪を抜くのが好きだった。ミートソースのパスタをくるくるくるくる巻く。蜂の巣みたいに大きなひとくちをがんばって頬張る。君のその食べ方じゃあパスタが三口で終わるねなんて言われたっけな。

    • あたしが馬鹿で

      「目張りして」 「メバル?」 「め、ば、り!隙間埋めるねんって」 「うん、密閉空間をつくるわけやな」 ふたりぶんの声がソファの匂いに積もって埋まる。外は今にも雪に変わりそうなほど冷たい雨のお天気だ。 「やっぱり七は頭いいなあ、科学者に」 ガムテープをびびびびと伸ばす音が、赤ちゃんに渡したビデオテープみたいに空気を切り裂いた。 「なれたのに。」 「語彙を褒めるなら文学者とか作家とか、文系にせえや」 「文系のお偉いさんがいまいち、わからへん、あ、ごめんくちゃくちゃになった…」

      • グッモーニンラブホテル

        死ぬ前に、一番嫌いだったものはなんですかと聞かれたらたぶん。朝のラブホテルと答えるだろう。 冷房をつけるかつけないか、ききすぎるか無風の二択、極端なものは恐ろしい。 そうしてたいていシャワーの後やセックスの後というのは暑いもしくは熱いのでクーラーをつける。どうしてか私と寝る男は寝相の悪いやつばかりなので寒くて夜中に目がさめる。足元に追いやられたり独り占めされるぺらぺらの布団。心の拠り所にしてはいつも頼りないのだ。 トイレの灯りだけ点けて寝るので、室内はいつだって仄暗い。裸の足

        • 頓着がゼロ

          斉藤ナオは悩んでいる。ベランダのハーブについた虫を退治すべきか否か。親知らずは痛むが抜くべきか。今付き合っている男と別れるべきか否か。そしてそれら全部を相談したハルコにキスをされてから連絡を取れていないことにも。悩んでいる。どうにも手に負えない問題が手の届く範囲にありすぎる感じがする。多難。 ナオは元来、自己主張のできない性格で、というより主張する自己のない人間であったし、今もってそうなので母親には諦められている。付き合う友達や恋人によって服装も髪型も喋り口調や食べるものの傾

          太陽とモーゼ

          おれが歩くと砂に足跡がついてしまって萎える。別に何かを残すために頑張って生きているわけではないのだ。 生きることとはそれだけで苦難だ、ひょいと生まれる。死ぬまで生きる。なんと言われたって生まれた事実は揺るぎなさすぎるし、死ぬまでは生きなくてはいけない、目の届く範囲でいるか否かに引っ張られず、産んでくれた人を悲しませないために。 おれはなんとかミミの裸足の足跡を踏まないように歩く。おれも裸足なのでミミの歩いたあとを歩く方が安全に何も踏まずに歩けるのだがミミは、ミミは何かを残す人

          太陽とモーゼ

          さしのみ

          「奪ってくれって言ってるようなもんなんやもんなあ〜。」 口に出したことを確認するみたいにしっかり言い切ってから、ビールのジョッキをぐいとあおる。原田はいつも一杯目だけビールそのあとはずっとハイボール。たまにシメに熱燗を飲む。つまりまだ一杯目だ。というのにほとんど酔っ払いのていだ。無理はない。最近の原田は普段からほろ酔いなのだ。あの女に酔っている、ここのところずっと。 「べつに言ってへんと思うで。なんとも思ってないんやと思う。」 私は注文が面倒くさいのでいつも、相手と同じペース

          昭和のエロ

          ……あれ? …………いやちょっと待てよ……ん? いや、あれは………いや、 セックスをしている。 駅のホームから丸見えの部屋でカーテンもつけないその生活感のなさは逆に強烈にエロいと言えるだろう。 男と女の髪型からキツく漂う昭和臭。昭和と言えばエロ。エロと言えば昭和。白い生足が見える。と思えば女の白い上半身。乳がでかいが垂れ下がっている。当然だ、若い女にあの昭和臭が出せるわけがないのだから。と思えば男の上半身。シャツを着ている。もちろんゆるいアロハシャツだ。映画か?俺は任侠映画

          おっちゃん

          おっちゃん!何売ってんの? お、ぼうやこんにちは。おいさんはなんでも売り屋さんだよ。 へえ!変なの〜ぜったいサギやん 違うよ、おいさんが売ってるのは沖縄の鳥の羽とかサウジアラビアの砂とかブラジルのサンバの衣装の布切れとかだよ。ぼうやサウジアラビア知ってる? おっちゃんの喋り方なんかキモいな。大阪弁喋らへん人と喋ったあかんてオカン言うとったで。 それは差別だ!!!いいかいぼうやそれは差別だよ。あのね、差別はいけない。白人になりたいのか君は?え?襟足を長く伸ばすんじゃな

          お前

          「僕はどうして生まれてきたの?」 「愛されるために生まれてきたんだよ」 オカンのあれは俺をなだめすかすためのその場しのぎやったやろうか、あの語尾の優しい関西弁は。いや違う、と俺は思う、愛された俺は思う。あのな、愛されなければ生きていけないんだよ俺たちは。 「じゃあ僕はどうやって生まれてきたの?」 「お母さんのお腹から生まれてきたよ」 誰しもが母親から生まれる。生まれた瞬間に戻りたいと泣き叫びたいぐらいに居心地のいい母親の中から満を持して生まれる。(下ネタではない) 俺た

          アミノ酸

          アミノ酸はまじですげえ。 最近知ったけどアミノ酸ってまじですげえらしい。まず、石って何でできてるか知ってる? アミノ酸。これはまじ。石ってアミノ酸の塊なんやって。アミノ酸が固まった塊がまずあって、それを金槌で打ちまくったら(誰がとかはわからんけど)石になるらしい。 あと、フォーク。あれもアミノ酸からできてるらしい。食べ物がなんで美味しいかって、フォークがアミノ酸でできてるから、それで美味しいんやって。言われてみれば納得するよな〜。 でも、石と違ってフォークは作り方はわかってな

          永遠

          私はどうやら生きていけないらしかった。アルバイトなんてできるわけがなく、母親から支給してもらわなければどこかに1泊することさえ叶わない。畑中さんは奥さんにカードを取り上げられていたし、だから誰もいない隙に家に忍び込んだ。棚やひきだしをゴソゴソする間中私はくすくす笑いを抑えられなくて変な声が出たけれど畑中さんはずっと怖い顔をして汗をかいていた。シャワーでも浴びればいいのにばたばたと家を出る。 手を引かれるままに入ったホテルはプラスチックの溶けたようなにおいが断続的にふと匂うこ

          雑巾

          おばちゃん、この子泣いてるで と あたしは、なんにも言わずにそばに立っているのはとてもいやな気持ちになったので、言った。 こんなところに よりによってここに、一人であたしをおいていったお母さんに うんざりする。お母さんは悪くなくて、ついていかなかったあたしが悪いのだった、と思い出して それでもやっぱり、わざわざ日曜日に都会の、こんなところへあたしを連れてきたお母さんに 「うー…」と思う。「うー…」は、子どもの頭ではまだ言葉にできない、なんとなく 「うー…」という感じの感情だ。

          恋人

          袖の釦のような質量で世界に存在したい 旅行先で思わず買ってしまうコンビニ限定のインスタントコーヒー(カップ5個入り)くらいの気軽さで皆様と触れ合いたい 紫陽花みたいな淡さで人々のことに無関係でいたい 居間のクッションみたいにくたびれた親しさであなたと一緒にいたい わたしはわたしという確かな個体でいることは超しんどいし人間の輪郭を持って太ったり痩せたりを繰り返して確実に女として女の匂いを濃くさせていくので吐きそうです しかしこの肉の柔らかさが堅い君の指を包む際にはこれでよかっ

          大学生へ

          もうやめてくれよ、おい、なあ 尊敬できる点のないただ自分より先に生まれただけの人間のこと先輩と呼ばなすまへんのか、お前らは 飲み会の話しかできんのか、〇〇先輩の話しかできんのか、もっと実りある話をせえよ…… と隣の女子大生たちおそらくなりたて、の話が嫌だ嫌だと思っても耳に入ってくるので思う。 なあ。自分というものを持てよ。 でも自分もそうだったのである。1回生の頃は付き合いにお酒が必ず絡む、年上たちの魅力はキラキラしていたし、色とりどりの私服がチラチラひらひらしている緑あふれ

          ミジンコプール

          ある日ね、歩いていたらね、地面に水が溜まっていたんですよ。昨日が雨だったらわかるが昨日は晴れだし今日も晴れ、それなのに水が、コンクリートのデコボコに、溜まっていたわけですよ。 これはどうしてかしらと思うわけなんですがもそもそ、じゃなくてそもそも、地面に水が溜まっていることに拘泥した記憶がここ数年なくて、ということにはた、と気付いて、そうか、これを水たまりと言うのだったな……。大きくなればため池、もっと大きくなれば釣り堀、もっと大きくなれば湖、最後まで大きくなれば海……。 大人

          ミジンコプール