岸政彦さんの『断片的な社会学』を読んで思ったこと。

僕の生まれた町は田舎だ。トマト栽培のビニールハウスや畑の横をずっと歩いて行くと海に突き当って、そのすぐ近くに小学校が建っている。海岸線沿いにはずらりと公営住宅が立ち並んでいて、町の名前に「新」が付く。公営のある新町の方は雑多な人々が集まり、僕が住んでいた旧い町の方には農家の人々が多かった。

人口は新町の方が多くて、学校が終わる頃になるとそこかしこで子どもたちが遊んでいた。僕が学校に通っていた時代はそれでもまだマシだったらしいけどそれなりに「荒れた」地域でもあった。非行少年や非行少女はどの学年にも一定数いたし、夜になると毎日のように海の方からバイクのけたたましい排気音が鳴り響いてきた。仲が良かった中学校の先生から、僕の町の学校に赴任が決まったときは正直なところげんなりした気持ちが拭えなかった、とこっそり教えてもらったことがある。

とても仲が良かった友だちが最近轢き逃げをした。家庭環境に問題があって、小学校の頃にうちに家出してきて、そのまま2週間ほど一緒に暮らしたやつだった。仲良くなってすぐの頃だったか、自転車の鍵を無くしてしまって動かせずに困っている僕を見つけるなり、走って工具を持ってきて「悪いこともたまには人の役に立つもんやな」と笑いながら、鮮やかな手つきでロックを壊してくれたのを覚えている。ついでにやり方も教えてくれた。16の頃、うちに遊びに来て部屋で煙草を吸おうとしたので、そいつの持ってた煙草の箱とライターをまとめて窓の外に放り投げて叱ったのも覚えている。17の頃には僕も一緒に煙草を吸うようになったけど。

付き合ってた年上の人との間に子どもができたと言ってきたときは、一緒に泣いて、頑張れよと言った。そのうち疎遠になってしまって、東京に出てからは連絡を取り合うことなど無くなってしまった。人づてに、あいつの作った新しい家族は上手くいかなかった、ということは聞いた。どれくらいのあいだ父親であれたのか、夫であれたのか、それは知らないけれどおそらくそう長くはなかったんだろう。

去年の6月に実家に帰った時にたまたま家の前を通りがかったそいつと再会した。早くに家庭を持った友だちを見ていると、本当に二つに一つだなと思う。見違えるほど大人になるか、何も変わっていないどころかより悪くなるか。そいつは後者だった。鳶の仕事はそれなりに頑張っているようだけど、そういう話より悪行自慢を好んでしてきて、おいおいそういう歳でもないだろ俺たち、と言おうと思ったが、それはなぜだかそいつのことをとても傷つけてしまう気がして、曖昧に笑って話を聞いた。そいつの子どもの話はしなかった。

轢き逃げをした次の日の朝に自ら出頭したらしい。轢かれた人は一命を取り留めた。僕はそのどちらも嬉しく思ったけれど、贖罪の気持ちで出頭したのか打算的なことを考えて出頭したのかはわからない。純粋な気持ちからの行動であってくれることを願うけれど、願うだけだ。

岸政彦さんの「断片的なものの社会学」を読んで、なぜだかこんなことを書きたくなった。子どもの頃、あの立ち並ぶ公営住宅の窓の灯りを見て、その一つ一つにそれぞれ人がいて、人の人生があって、人生があって、自分と交わったり交わらなかったりして、そうして自分も他人もいのちが終ってゆくのだなと考えたことがある。それはとても美しいことだと思って、嬉しい気持ちになったのだった。そういうことを思い出させてくれる本だ。

綺麗なわけでもないし教訓もないしオチめいたものもない、本質的には意味すら後付で創り上げたり与えられたりされるのに過ぎない、それが人の日常だ。僕が書いたこともそれに同じ、ある意味では退屈などこにでもある話だ。けれどだからこそ、この断片を残しておきたいと思った。岸さんがところどころで遭遇する「どうしていいかわからない」ような出来事を、せめて自分も忘れないために。

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