剣道の話

小学4年生時分。
親にむりやりに剣道をさせられていた。本当に嫌だった。牢獄だと思った。
確か初めて収監されたのが冬で、冬に裸足になって地面を足で踏み鳴らす意味がわからなかった。あと大きな声出すのも意味がわからなかった。なんで刀で襲うのに前から大きな声出して襲うのか?後ろから背中切るだろ普通。
本当に滑稽だと思った。まず声で個性を出すやつが嫌いだった。
いやあああ!!!で良いのに、きょええええ!!と言う先生がいた。
そいつの一派なのか、生徒にも数人きょえええ!!の血筋がいた。今すぐに血を絶やしてやりたいと思った。ちゃんと軽蔑していた。
冬は寒いし、夏は防具から嫌な匂いするし、四季折々で季節に合った嫌な理由がちゃんとあった。

確か木曜日の18時30分に稽古が始まった。
フルーツバスケットが、ギリ観終えれなかった。そうなると、晴れのちグウも、おこじょさん、7人のナナも観終えれなかった。絶対にこの黄金世代アニメを見ていた方が有意義な時間だったと思う。ナポレオンズがやっていたマジックのバラエティ番組は観れた。何回もそれとフルーツバスケットの時間帯かわれと祈った。

木曜の稽古はまだ良かった。日曜の朝9時の稽古が本当に嫌だった。
日曜にやるもんだから、社会人で剣道やってる、はしゃいだ大人が集まった。そこに60歳くらいの鬼を体現したかのような白髪の、安西先生がずっとホワイトデビルのままおじいちゃんになったみたいな先生がいて、その人が本当に嫌いで、まあ怖くて、怖くて。容赦なくて。多分戦時中の教えそのまま平成11年に持って来てたもんだから、殴る蹴るで、もうお祭りで、一人で暴力神輿担いでて、義務教育じゃないから、治外法権で、全ての悪が許されてて、何回も外に出て、看板に「戸塚」って書いてないか確認したくらい、溶け込むように暴力が繰り広げられていた。
特に俺に厳しくて、本当に厳しくて、一回竹刀折られて、「手だけ振ってみろ!!」と怒鳴られたことがある。その修行はバガボンドの武蔵とかが行き着く境地の修行だ。
仕方ないので、手だけで振ったら、「どうだ!?何を感じる!?」と言われた。
理不尽以外に何を感じれば良かったのだろうか?風とでも言えばよかったのか?確かパニック起こしすぎた結果「軽いです。」と言った記憶がある。そこにいた全人間がそりゃそうだろと思っただろう。その後、流石にやりすぎたと思ったのか「そうだ。それで良いんだ」と、訳わかんないこと言った後、新しい竹刀を買ってくれた。

母が、新しいゲームソフトを買ってくれるのが、決まって土曜の夜だった。
風来のシレン2。FF9。バンジョーとカズーイの冒険。
魅力的なゲームの数々。罠だ。
剣道に行かなきゃやらせて貰えなかった。やり口がひどい。朝の7時に、稽古の前に一回やらせるのだ。もう行くしかなかった。
あの壮大なオープニングの後が気になって気になって。ジタンはどうやって城に忍び込むのか。ダンジョンに落ちてる木材は一体何に使うのか。よくわからない奇術師がバンジョーをアリに変えた後、行ける場所が増えたのだろうか。
気になって気になって仕方がなかった。そして決まって鬼が待ち構えている。3時間の地獄。

1年に1回合宿があった。親に頭を下げて、行くのを許してもらっていたが、一度だけ連れて行かれた。鬼が直接母に頼み込んだのだ。
これは今でも覚えているのだが、2日目の朝に全生徒を集めて、鬼が本物の刀を全員に振らせた。多分そこまではギリいいのだが、最後に俺を呼び、正座をしてる鬼の頭の数ミリ上で刀を止めてみろと言った。鬼退治が完遂できる瞬間だった。
まあ、実際は怖くて、怖くて泣いた。大号泣。本当に泣いた。
泣いても許して貰えず「振れ!!」と怒鳴られた。

以下。今でも思い出すトラウマの瞬間。
1度目は20センチ上で止めたのだが「腰を引くな!!!」とさらに怒鳴られた。
その時、マジでどうにでもなれと思った。死が軽かった。ゲームっ子だったし、FF9ではレイズを覚えていた。なので、もう思いっきり振ろうと思った。もうどうでも良いやと思った。ゴンさん。確かその時髪が3メートルくらい伸びていた。思い切り振りかぶって本当にギリギリで止めたら、皮一枚切って鬼の額から血が出た。稽古速攻中止。
本当に今やったら大問題だと思う。全先生が血の気ひいてたし、意味がわからなかった。
死にたかったのかな?死に場所探していたのかな?タオル額に当てて、大丈夫大丈夫と言っていた。危うく人を殺すとこだった話。この話、意外にも誰にもしてなかったなと思う。なんでだろう?父の話で霞むからだろうか?父の話は、過去のnoteにあります。
でも別に本当に何か心に傷が残ったとかはなかった。その昼に出た玉ねぎの味噌汁が本当に嫌で、トイレに流したのを覚えているし、帰ったら、グランチルダとの決闘が控えていたのでそれをずっと考えていた。

日曜にだけ防具を売りにくる陰で「中国の武器商人」と俺が呼んでいた中国人のおっさんが来ていた。そいつが、きょえええ!!の血筋で、声が高いからマジで「ちょ」寄りの「きょ」で、一回稽古中にそいつの脇腹に思いきり間違ってぶつけて、怒り狂ったときは「ちょええええ!!」と言っていた。嫌いだったなこいつ。偉そうだったし。
友達何人かで、そいつがトイレかなんかで居ない時に、そいつが持って来た売り物の防具に、新品だから柔らかくしてやろうって言う、バスケットシューズでしか聞いたことない理由つけて、思い切り竹刀打ち込むのが日課だった。

木曜の稽古の時だけ、父が毎回迎えに来てた。
別居してる母の家まで送ってくれた。
基本的に父に会って良いのは、その時と夜ご飯を食べに行く時だけだった。
結構すぐで、5分かからない道を遠回りしようとしたので、疲れてるし「嫌だ!」と剣道で出るようになった大きな声ではっきり断ったら、次からケンタッキーを買ってくるようになった。
その時の俺はわがまま放題だった。王子様。星の王子練馬に帰る。先日観た『星の王子ニューヨークへ行く2』が如何に駄作だったかと言う話は今度、15万時で綴りたい。
ケンタッキーがあるときだけは遠回りをした。なかったら直行で帰った。なので毎回ケンタッキーを献上した。
嬉しそうだったな。ケンタッキー食ってる俺を嬉しそうに見ていた。
当時発売したばっかりの「ツイスター」を買って来て。「お前これ好きだもんなー」と嬉しそうに言っていた。出たばっかりだから前例がないのに。
ツイスター。それ以来食べてないな。

騙し討ちが得意だった。
鬼に褒められたことはなかったが、唯一騙し討ちだけは毎回褒められた。面に見せた胴がとにかく得意で、基本決まり手はそれだった、なんか技名あるのかな?面に見せた胴打ち。
それを覚えて試合に勝つようになって、それ以来、稽古をサボるようになった。

2年くらいは続けていたと思う。一回サボったら、急に行かなくなった。
フルーツバスケットを全部見てしまったら、気づいたらずっと家にいた。
母親も特に怒らなかったし、父は冷めたケンタッキーを家に持ち帰るのに慣れていった。
急に行かなくなった。なんか理由があるわけではない。鬼も優しくなって来て、前のように怒鳴らなくなったし、戸塚ヨットスクールの再来とも思わなくなっていたし、中国の武器商人も来なくなったのに、行かなくなった。理由はない。それ以来竹刀も振らない防具も付けない、冬に足の感覚がなくなって、画鋲を踏むことも無くなった。
鬼ヶ島に行く必要がなくなった。


一度だけ、大学生の時、家の前はもうすぐに道なのだが、そこで筋トレの一環で木刀を振っていたら、鬼が奥さんと一緒に前から歩いて来た。
俺はすぐ気づいたが、向こうは全然気づいていなかった。13年ぶりくらいだし、そのときは今の192センチ大男が完成してるし。絶対気付いていないが、普通に話しかけて来た。

こういうのってちゃんと覚えていて、今でも人生の言葉として覚えてます。って書いて、この文を締め括るのが王道だろうが、本当に何言ったか一切覚えていない。
なんか振り方が雑だから、もっと前向け、とか、体幹しっかりしろ、とか、足もっとなんかしろ、とかなんかそんな感じのことだったような気がする。俺も早くどっかいけ、しか思ってなかった。気まずいし。黙ってやめてるから。
だけど、覚えてるのは、なんか奥さんいたからか、気まずくて顔伏せてたけど、チラッと見た時に映ったあの怖くて、怖くてしかなかった鬼の顔は、優しい顔になっていた。

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