あの日の落書きの話

以下、大学時分の話。

とにかくうちの大学は治安が悪かった。

簡単にいうと、部室があるサークル棟はスラム街と呼ばれていたし、学生自治区だったので、基本24時間学生がうろついていた。法など存在しない場所だった、

多目的練習室という部屋が、学生ホールの隣にあった。
学生ホールとは、主に学生たちがライブや演劇イベントなどを行う際に使用する場所で、私はそこの管理をする役職に就いていた。余談だが、もうやりたい放題であった。一応なんかサークル同士が話し合って使用する日にちを決める会議が月に一度あるのだが、裏で根回ししたりして、私が演劇をする日にちは必ず抑えることができた。
その頃、にこにこちゃんは大学のギャンググループの中でも上位に位置していたので、何かしらの悪いことが起きると大半は私の責任になっていた。

ある時、スラム街で祭りがあった。本当にどんちゃん騒ぎで、酒池肉林が8箇所で同時に行われ、全ての欲に溺れた人間達のサバトが一晩中行われていた。

深夜1時に焚火を初めた輩達が大騒ぎし、駆けつけた大学の警備員がバケツの水をかけて沈静させたら、それに切れた輩達が警備員に襲いかかって大暴動が起き、それを見に出てきたダンスサークルの半裸カップルが再びSEXをしに部室に戻り、軽音サークルの部室では先輩たちが1年生に賭け麻雀をしかけ5万ほど巻き上げていた。その様を一通り見て、谷川俊太郎の「朝のリレー」みたいだなと思い、私も演劇サークルの部室に戻り、深い眠りについた。

朝起きて愕然としたのだが、多目的練習室の隣の壁に、真っ赤なラッカースプレーでアホみたいにデカデカと「劇団ニコニコちゃん 参上」と書いてあった。普通に腰を抜かした。まずカタカナだったのも許せなかった。書くならちゃんと表記しろと思った。

そしてすぐに大学に呼び出された。

結構問題になった。
数人の大人と教授に囲まれ、関係ないのに昨夜の警備員暴行事件も軽く私のせいにされ、ラッカーの落書きも完全に私が書いたことになっていた。


私はやっていない。強く抗議した。加瀬亮がおりていた。今思えば、あの時の私は加瀬亮だったかもしれない。


「じゃあ誰が描くんだ!君以外に!君の団体なんだろう!?」

私も負けるわけにはいかなかった。
「字が違うんです。表記が平仮名なんですよ!描くならちゃんと描くでしょ!」

埒があかなかった。そもそも証明ができないのだ。私じゃないことが、だが、同時に私だという証明も存在しない。なぜなら私じゃないからだ。
そして、今でも腸煮え繰り返るのだが、一人のにやけた老いぼれ教授が、心理学部のあいつが、にやけヅラで「どうせ君だろ?こういうのは早く言った方がいいよ?」と、ほざきやがったのがきっかけで、私の中で何かが弾けた。私は立ち上がり全ての不条理に立ち向かう如く、声を荒げた。

「じゃあ、あんたらは、壁にビートルズって書いてあったら、ジョン・レノン呼び出すのか!?」


心からの叫びだった。
そしてそれ以上何も問われなかった。
言った時は、自分を一休さんの生まれ変わりだと思ったが、今思えば、こんな奴とこれ以上話しても無駄だと大人達が判断したのだろう。良い判断だ。

私は不当を許さない。世に蔓延る不当逮捕だけは本当に許せない。今も昔もその心情だけは曲げたことがないのだ。

そして、何年も経つが、いまだに誰があれを書いたのか分からない。

もう怒らないから名乗り出て欲しい。
「劇団ニコニコ ちゃん参上」
参上。何だ参上って。ダセエ。

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