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馬から降りて花と会う

2019年8月22日
SUTO HIROKA(インターンシップ生@2019年夏季)

馬から降りて花と会う
 ベトナムには「馬に乗って花を診る」という諺があるようだ。本当に花を知るには、実際に馬上から降りて花の視点からものを見なければ分からないことを説く。私がベトナムで学んだことの最も大きな物のうちの一つは、まさにこれである。はじめ、モクチャウの研修地に向かっている時、バイクや車の中から、田園風景や道を歩く牛、鶏の群れを、ただ心地よく見ていた。どこか、歴史の教科書で見た懐かしの世界のようだと。けれども、自然を治めることは、当然美しさで終わるばかりではない。今回の研修を経て、実際に農業の世界に入り、自分がこの分野でいかに無知で無力であるか十分に思い知ることとなった。
 朝は早く、昼は暑い日差しの中作業する。野菜の成長は待ってくれないから、予めとれる休日も殆ない。雨が降り続く際は作業も中断するが、雨上がりであっても長靴は中までびっしょりとしていて、私は底にへばりついて取れなくなったコオロギの水死体を踏みしめながら歩いた時には泣きたくなった。そんな中、例えば雨の重さで崩れた山羊小屋を立て直す際に、オーナーである塩川さんの辛抱強さと一生懸命さを目の当たりにした時、私はただ、すごいな、と感じた。ハウスの構成を冷静に、正確に計算したり、重い鉄筋棒を力強く持ち上げたり、そして農作業の予定が遅れても不満を漏らさず、山羊たちが可哀そうだからと思いやりの気持ちで働いている。私も山羊が濡れてはいけないからと私なりに手伝ったけれど、慣れないトンカチに苦戦はするし、服や頭に泥や山羊の糞、虫がついて気になったりで、あまり役には立たなかったと思う。
 モクチャウでの農業研修は四日と短かった。けれど、ここでの経験を味わった後には、外で美しい棚田、農村の風景を見るとき、ただ美しいなどとは思えなくなった。その背後にある、ひとの、自分や家族、子孫の生活をかけた粉骨砕身の姿に思いをはせるようになったからである。私の今後の専攻予定の科目は農業ではなく行政であるが、農業は人びとが生きる為の不可欠な糧であり、どこか政の根底でもあるような気がした。また湧いた彼らへの尊敬心は、将来私がどんな仕事につこうとも、自分の分野で努力を怠らないよう語り、励まし続けるであろう。


赤土の美しいまち、バンメトート

 その昔この地で起こった噴火は、赤土をもたらし、今では珈琲を育てるのに適した土地となっている。バンメトート。私はこの地で4週間と、最も長い期間を過ごした。農場の皆は家族、と農場のオーナー、ティエンさんが言うように、とても温かい環境の中、私は仕事をしていた。具体的には野菜の種まき、水やり、ぼかし作り、収穫、仕分け、豆の選別、宣伝動画の日本語翻訳、それからバンメトートで使う野菜のパッケージに貼るシールのデザイン作り、など。南部の方は街の人に至るまでフレンドリーな方が多く、ここでは農業のことを学ぶ他に、人との関りにおいても、本当に沢山の思い出がある。
 今回、研修中に起こった私の人との向き合い方の変化について、少し紹介出来ればと思う。実は、当初、私は人々に対してあまり心を開けずにいた。まだ外国人が珍しいと見えるバンメトートのまちでは、私が農場への道を歩くと、路上の人やバイクに乗った人たちが振り見てくることが多く、それがあまり好きではなかったのだ。道すがらバックをとろうとしているのではないか、それとも案に何か冷やかしたいのだろうか。周囲から用心するよう沢山のアドバイスをもらっていたことも関係していよう、また実際に、ハノイではお釣りを少なくされたり、見知らぬ男性が親し気にずっと後をついてきたというようなことも影響していよう。いずれにせよ、私は彼らを信頼出来ずにいたし、また警戒心により、する意気込みもあまりなかった。
 そんな中、私の心を大きく動かしたのはホーチミンでの出来事。いつもの如く週明けの野菜販売帰りの夜行バスに乗るべくバスステーションにいた時、私はふとトイレに行こうと向かった。すると女性用トイレの前に立った時、おばさんとおじさんが声をかけてくる。ベトナム語であったが、3000ドンを手に取ってひらひらしたことから、どうもお金を払ってくれと言っているのが分かった。(何だって…?トイレにお金がかかるだって!そんなバカな。全く、大方また無知な外国人はどうとでも出来るいいカモと思われたのだろう…)あり得ないという顔をしてトイレを使用した私。個室は汚れていてトイレットペーパーも無く、このような設備でよくもお金を取ろうなどと試みたものだ。そんな気持ちでトイレから出た私は、また同じおばさん達に声をかけられても、苦笑いをしてその場を去った。知ったのは後のこと。「そういえば、まさか、公衆トイレにお金がかかったりはしませんよね」バスに揺られる中、共に販売についてきてくれた農場のメンバーに一応確認してみる。「ん?かかるよ。」「…!!」そんな。私は払うのを断って逃げてきてしまった。(泥棒は、私ではないか…。)かるく放心状態で一連の話を話すと、彼女は笑って優しく励ましてくれた。「あなたは知らなかったのね。外国人だもの、しょうがないわ」私は、水が当たり前に提供される国で育った。でも、よく考えれば、どのトイレであっても、水道代や電気代、その他管理費はかかってるはずだ。経済的に余裕があるわけではないからこそ、見えてくる現実。私は軽いショックを覚えたと共に、支払いを断ったあのおばさん、おじさんに対し、強い罪悪感を抱いた。私は、彼らの言っている意味は理解したのに、信じることが出来なかった。それなのに彼らは、断って急ぎ足で帰ろうとする私を追いかけるでもなく、ただ少し笑んで見送っていた。その彼らの寛容さに、心が熱くなった。
 (…そうか。当たり前だけど、皆がみんな、悪いことを企んでいるわけではない。悪い人に会ったとき、騙されないように、出会う人の殆どを警戒してきたけれど、そうしたら今回の様に善人にまでも冷たい態度を取ってしまう。人がどんな人であるかは中々に分からないけれど、私は、今回許してくれた彼らの心に報いたい。小さなレベルで騙されるのは覚悟のもと、私は、温かい心で人と向き合いたい。)
朝になり、バンメトートに帰ってきた。その日もまた、いつもの道を通って農場へ向かう。日差しが強かったのでフードをかぶっていたが、そもそも徒歩の人自体珍しいらしく、やはりちらりとこちらの顔を除いてみるバイクの人が多い。いつもなら、ふぅと軽いため息をついて下を向き、黙々と歩き続けるところ。けれども、今日の私は少し違っていた。道端に広げられた果物や野菜、それらを売る人たちと目が合ったとき、またバイクから振り返り見る人と目が合ったとき、私の顔は自然と、「やぁ」と微笑むようになっていた。

食べ物との誠実な向き合い

 ベトナムでの研修中、食べ物と誠実に向き合うことの必要性に関して、改めて色々と感じることもあった。例えばモクチャウでは、塩川さんが自分の作った野菜を、「どうすればこの野菜を一番おいしく食べて上げれるか」まで考えて調理していたことが印象的だった。単に美味しい食事を求めるのではなく、どこか自分の子どもに対する優しさに似た心。農業は確かに大変。けれども、農と乖離していない生活の豊かさが、そこに垣間見えたのではないかと思う。
 他にも、食べ物に対する誠実な姿勢を知る機会は、いたるところにあった。バンメトートの農場では、不良野菜や余った食材を、肥料や飼育している豚の餌にすることで上手に循環させている様子を見た。きっと、最後の最後まで捨てられない野菜は、幸せだろうと思う。また普通の家庭でも、野菜のゆで汁を捨てずにそのままスープにして食べるのが一般的。スーパーに行けば、日本ではメジャーではないカボチャやサツマイモの葉や蔓、また日本では雑草とされ、今や食べられることすら余り知られていない、スベリヒユなどが並んでいるのを見た。「きっと、フードロスの問題を抱えているのは、日本だろうな…」豊かさゆえにか、日本人が忘れてしまっている食べ物との誠実な向き合い方が、ここでは学べると思った。
 今は日本に戻っている私。ほんの小さなことだけれど、毎日、いただきます、と、ごちそうさま、の言葉には想いがこもる。脳裏には、自分が育てた野菜、街を元気に歩いていた鶏、走っている牛、一緒に働いた農家さん、ニコニコ野菜のメンバーの顔が浮かぶ。

おまけに
 
 今回のインターンでは農業の世界に足を踏み入れることの他に、それを軸に、或い
はきっかけに、社会の様々な側面にも目を向けることが出来たと思う。まず、公共政策的な観点から言うと、道路について。ベトナムでは大きな道路はまだマシだが、少し小道に入るとコンクリートの凹凸が激しく、バイクや車が通りづらそうにしている光景をよく見る。私のホテルから農場までの通勤路は、傾斜であることも相交じり、雨が降った際にはまるで小川に変貌していた。それを見て私はあんぐりと口をあけ、思わずおかしくなって笑ってしまった。またクロムボンの農場へ行く際にも、凹凸が激しい道路があり、5キロの道をトラックで30分かけて進まなければならなかった。「ここは、政府がもう何年も前に調査に来て、直すと言っていたんだけれどね…。ベトナムでは政府が道路の整備を約束してから取り掛かるのに、数年かかるのは当たり前のことなんだ。」バンメトートの農業のオーナー、ティエンさんは、少し悲しそうにそう呟いていた。現在建設中の電車を政府が完成させるのも、十数年は後のこと。地下を工事中であるサイゴン駅近くの大道路では液状化らしきものも見られた。ベトナムの交通状況はバイクのせいで悪質だと聞いていたが、改善すべきものは、他にもあると思う。そしてそれは、政府の行政体制、姿勢に関係しているものだとも感じた。
 ベトナムの宗教に関したエピソードもある。ベトナムでの宗教の区分は日本に比べ厳格だ。違う宗教の夫婦は認められないし、身分証には自分の宗教を記載しなくてはならない。カトリックである友人は、神は愛とするクリスチャンとベトナム政府の方針がそぐわないことから、以前就職で不公平な待遇を受けることもあったという。そんな中、私はカトリックの教会、寺院、カオダイ教など、異なる社に訪れる機会にあった。そこでは、日本ととの違いに見える面白さが感じられた。例えば教会の礼拝中のこと。神父と信者が共に言葉を唱える時があるが、それはまるで歌の様に唱えるのであり、もっと正確に言えばお経の様であった。また寺院の中には午前中祈祷の場が開かれているものがあり、そこでは講堂に一人一つ机と冊子が用意され合唱するが、それはお経であるけれどもどこか礼拝堂で聖書を詠む姿に重なった。お互いの信仰の対象は恐らく異なっていようとも、人々は等しく目をつむり、真摯な祈りを唱える。私には、どこか、お互いの影が重なり合っている様に見えた。私自身はクリスチャンであるが、それでも他の宗教にも興味をもち、出来ることなら一度よく学んでみたいと思っている。優柔や適当ではないが柔軟で寛容でありたいな。そんなことを頭に浮かべながら、販売帰りの夜行バスの窓から何となく目を向けた先には、石像屋さんらしい店があった。店頭には、マリア、釈迦、鳳凰、その他の象が多々並んでいるのが見えた。…ああ。そうか。教会や寺院に並んで拝められているあの象たちも、実は、関係なく同じ商人に作られ売られていたんだな。ベトナム社会で宗教の区分は厳格。でも商売においては別。そのちゃっかり感がどこかおかしくて、またちょっとベトナムらしいかもと思って、思わずくすっと笑ってしまった。

結び
 
 この6週間、私はNICO NICO YASAIで、野菜の生産、販売に関する活動をしていた。農業を外からではなく中から見ることで、それらがいかに大変であるかを実感した。同時に沢山の人の優しさに支えられ、また真摯な働きに励まされ、私も多くのことに気付き学ぶことが出来たと思う。農業について、特別の知識はなかった。けれども、毎日のご飯でお世話になっていた。だから、一生を何も知らないまま終わらせたくはない。昔からあったそんな気持ちがきっかけで、参加を決めた今回のインターンシップ。行って本当に良かったと思う。農業を始めとする「現場」の方々に湧いた尊敬心は、きっと、私が真摯に努力を続け、忍耐強くあることに繋がっていくであろう。また農を基軸に目を向けることが出来た様々な社会の面に対しても、今後の私の見聞を広げる上で大変有意義になるものであった。現地で巡り会った人々、未熟な私を支えて下さった方々、また野菜や動物などの全てに、感謝の言葉を送りたい。


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