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モテたかったオタクがスケベな抱き枕で人生と接続した

人間関係ってかなり難しくないか?

 世界には人間が沢山いる。地球上にだいたい何人とか、日本人の総人口は何人ぐらいとか、そういう話が日常会話に出てきたときに、何かみんなパッと答えられてるよな? 俺はまったく覚えていないから、そういうのがかなり異質に見える。
 今調べた、世界人口が80億人で、日本人口が1億2397万人らしい。こういうのって概算で出している値のはずだから、世界なら億より下の桁の人数、日本なら万より下の桁の人数、省略されて見えなくなっている人たちがいるわけだ。そういうことを考えると、何となく省かれているのは自分なんじゃないかなって気持ちにならないか? 俺はなるんだけど。それは何故かと言うと、やっぱり俺が暗い奴で、人間関係もあんまり上手くない奴だからだ。
 人と話したり、ネットで配信者なんかを見ているとき、会話上手いなって思う。それは口が上手いとか、話が面白いとか、そういうことではなくて、何か俺にはできないな~、みたいな。気の遣い方が本とかアニメで見たキャラクターの猿真似をしている俺と違って、本質的に気を遣うとは何か理解しているように見えるんだよ。
 俺は結構、人間関係ってコミュニケーションが大切だと思っていて、思っていることをちゃんと聞くことと、自分もちゃんと伝えることが大切だと思っている。ただ、いざ人間相手にそれをやってみようとしたら、ちゃんと伝えることが想像以上に負担の大きい作業だったと気が付いた。それ以来、人に気持ちを伝えてくれるよう求めることってできないなと考えている。他人がちゃんとした人間関係をやりたがっているとも限らないしね。
 そもそも人間関係が上手い人は、伝える事と、伝えない事の良い塩梅というものを感覚的に理解しているように見える。更に言えば、ちゃんとした人間関係をやることが正しいというわけでもないのだ。でも、自分がちゃんとしようちゃんとしようと頑張っていると、それが正しい事のように思ってしまうことってあるよな。

掃除を真面目にやるガキ

 俺は中学生の頃、生活態度はかなり真面目な方だった。中でも拘りを持って真面目に取り組んでいたのは掃除だ。面倒だとは思っていたが、特に根拠なくそれが正しさだと信じていた。更に言えば、真面目に掃除をしない連中を心の内で見下していた。この考え方は「どうして真面目な人が損をする社会なんだ?」みたいな不満にも繋がる。俺、この考え方はかなり良くないと思う。世界をフラットに見つめれば、別に掃除なんかしなくても良いのだ。学校という小規模な社会を運営する上で必要だから掃除という作業が発生しているだけで、学校が嫌いだった俺が積極的に掃除をする理由なんか無いのである。
 これと似た話、真面目な生活態度の方。俺が何故真面目に中学生活を送っていたのか、端的に言ってモテたかったからだ。モテたいから真面目クンをやるという一見ちぐはぐな行動は「世間的に人として良いとされている人間は真面目な人間である。だから真面目な人はモテる」という何かがおかしい論理の産物であった。小学校教師が言っていたこの論理を、俺は素直に信じて生活し、告白を玉砕で締めくくったのだ。結果、見事捻くれ拗らせた。一時期は本気で「何故、不真面目で授業中に騒々しい連中が異性からもてはやされ、真面目な俺がこのように不遇な生活を送っているのか」と腐ったものである。だが、冷静に考えてみれば事の次第は単純で、モテ非モテは真面目不真面目の軸によって決まらず、モテようとするか否かの軸によって決定されていたという話である。当然だった。足が速くなりたいのであれば取り組むべきは走り込みであり、学力を上げたいのであれば当然勉学に励む。それと同じようにモテたい俺は社会に適合しようと躍起になるのでなく、モテようと躍起になるべきだったのだ。そもそも友達だっていなかった癖に、一足飛びに彼女を欲しがっている時点でなかなか厳しいものがある。とはいえそれを分かったところで、もう遅い。俺は既に大人になってしまい、恋愛についても半ば諦めのムードが漂っている。今更、挽回は難しいだろう。
 ……いや、まあ大人とは言っても俺はまだ若いし、本気を出せば何とかなるかもしれない。でも何か、あんまり人間とか得意じゃなくてさ。人のことも自分のこともそこまで好きになれないというか……。ぐにゃぐにゃ言っててダサいというのは俺も自覚するところだが、ダサいのが一周回って格好良いという事にならないか? そもそも俺がねじくれた一因として、性欲で釣って扱いやすい生徒を作ろうとした小学校教師のアイツが悪いと思うんだ俺は。君もそう思うだろう? 許せねぇよなあ?
 俺だってアニメみたいな恋愛がしたいよ。黒髪ロングでおっとりした女の子がいるとしてさ、いつも休み時間に読書してる俺に甘酸っぱい片思いしてんの。良くね? まあ、社会人の俺にあるのは昼休みだけだし、もう読書とかしないでコンビニのサンドイッチ食べ終わった後は寝て過ごしてるけど。どうする? 聞かれても困るか。でも俺だって同じ問いを人生から投げかけられているんだぜ? 今のお前と俺は同じ気持ちなはずだろう?
 

映画の感想

 あれだ、モテる努力の一環として映画の感想でも書いてみようかな。なんか映画に気の利いた感想持ってる奴ってモテそうじゃないか? にゃるらとかも、たまに映画の話してウケてるし。俺がモテるとするなら、目指すべきは葉山隼人のモテ方じゃなくて、にゃるらとか太宰治とかそっち系だと思うんだよ。『夏へのトンネル、さよならの出口』っていう、所謂エモい感じ(俺はエモという言葉が嫌いだ)の青春系のアニメ映画があるんだけど、それの主人公もちょうど太宰感が出てるんだよな。あと、『おやすみプンプン』も全体的に太宰感が漂ってる。知り合いのモテそうな奴とか、配信者とかも、太宰治の『人間失格』読んで共感してる奴が多い。俺が思うに、太宰と感性が近い奴は陰キャでもオタクでもモテるんだよ。でも俺って普通に萌え萌えの美少女が好きなタイプのキモータだからさ、純文学に共感するとしたらドストエフスキーの方なわけ。『地下室の手記』読んで「これは俺だ……」って顔してんの。読んだら分かるけど、ドストエフスキーの作品に出てくるヒロインって、柊つかさとか、朝比奈みくるとか、そんな感じなのよ。もうね、王道の萌えキャラ。ネタバレするけど『貧しき人々』ってドストエフスキーの処女作の癖に寝取られモノだから。ヒロインも案の定萌え萌え美少女だし。処女作で萌えキャラ寝取られモノ書いてるとか、どうかしてると思う。でも分かるんだよな、その不安が。こんな俺を全部受け入れてくれる天真爛漫な美少女に他の強い男が近寄って来ない筈ないって分かってる。どうせ最後には寝取られるんだろうな……みたいな絶望。現実って可能性が無限過ぎて、常にバッドエンドしか訪れないような気がする。だから寝取られは大っ嫌いなのに、ふとした何気ない一瞬に寝取られの気配を感じて怖くなる。助けてくれ。
 忘れていた。映画の感想だ。俺が一番好きな映画と言えば、やっぱり『スイス・アーミー・マン』この物語は無人島に漂着して自殺しようとしていた男性が、同じく漂着してきた男性の死体を発見するところから始まる。次第に死体と男性の友情は育まれていくんだが、これが孤独の描き方としてかなり心に刺さる。孤独の解消を二次元とか物語に求めた人間にとって、やっぱり癒しとごっこ遊びが繋がってくると思う。だから死体のために作り物の世界で美少女を演じる主人公の姿を見ると、どうしても他人事とは思えなくなる。やっぱり見て欲しいからネタバレは避けたいけど、ネタバレを避けていたら本当に言いたい事が言えなくなる気がするので、ここで『スイス・アーミー・マン』については口を噤むか。

社会が嫌すぎる

 数か月後に、ボーナスが出たら仕事を辞めようと思っている。たぶん一年も生活できないだろうけど、なんかもう社会が嫌すぎる。俺はなんだかんだ言っても学校に通って社会人になったわけだから社会適合者のつもりでいたが、俺は俺が思っていた以上に毒虫な奴だった。そんな人間がモテだ何だと言っていたのだからちゃんちゃらおかしいが、それでもただ一つ社会に呈したい事がある。それは「抱き枕を購入するという行為は広義の意味でモテていると言えなくもないのではないか?」ということだ。だってそうだろう? 抱き枕の美少女は俺が抱きしめても嫌な顔をしないから、逆説的に俺のことが好きだと言うことができる。待て、でもその理論だと俺以外の人間が俺の抱き枕を抱きしめた瞬間に、俺以外の人間のことが好きということになって、寝取られが発生しないか? 閉廷。

 最近買った抱き枕カバーには、シリコンのおっぱいがついている。いや、これから話したい事には全然関係が無いのだけれど、抱き枕(おっぱいがついている)について話しているのにそれに触れないのは何だか読んでいる君に対して不誠実な気がして……。で、話を戻すとその抱き枕カバーのイラストについてなのだけれども、俺がこれまで購入してきたエッチな抱き枕カバーと違って局部にモザイクが掛かっていなかったんだよ。まあ、一応言い訳はできるようにスジのみがそこには描かれていたわけだけれど。
 とにかく、その抱き枕カバーの美少女は、それはそれはドスケベな顔をしているわけだ。目もハートマークになってるし(かわいいね♡)。なんかさ、そりゃあ今はネットの時代だから、探せば三次元二次元を問わずモザイクのその先へ到達することは可能だよ? でも俺が今まで持っていたエッチな抱き枕カバーの局部はモザイクに覆われていたわけよ。そこにさ、すごい壁を感じるわけ。俺の心と美少女の間に、モザイクによって覆い隠された桃色の皮膚に、どうしようもなく社会が横たわっているのを感じるの。それが俺はもどかしかったし、きっと抱き枕の美少女だってもどかしかったはずだ。それが今回新しく買った抱き枕カバーでは取り払われていて、この心を擦り合わせるように萌え萌え美少女を抱きしめられた感動はきっと、モザイク越しでない現実に生きる人々には到達できないだろうと思うんだ。多分、これは多くの人の目にオタク(より差別的な言い方をすれば、チー牛)の負け惜しみのように映るかもしれない。けれども、確かに現実の人間関係から逃げて抱き枕を抱きしめた俺にしか到達できない場所があったんだよ。俺は俺も他人も嫌いだけれど、それでもあの瞬間の興奮とカタルシスは俺の人生の上に存在した。君も、君の人生を生きてると実感できる瞬間が少しでもあったら(・∀・)イイネ!!
 明日も仕事だが、今は朝の5時14分。あと数か月で辞めるからそれまでの辛抱だ。ここまで読んでくれてありがとう。最後は特別に俺の宝物を見せてあげるよ。

朝の五時って外見たらもうかなり明るい

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