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今日は世界猫の日、そしてある双極性障害患者の特別な1日について思うこと

私事ではあるが、ここは私事を語るところだ。つまり、今日はわたしの誕生日である。

夏の盛りに生まれたが近年特に、暑さにはめっぽう弱く、立秋やら涼風至るやら、そんなことばかり考えている。
それでも子どもの頃はプールやら海やら山やらが好きだったし、そろそろアラサーとも言えない歳になった今も、山だけは好きだ。体力がないので散歩程度に歩ける里山のそばに住みたい。

ただしそれすら許してくれないのが、今年の酷暑と持病の双極性障害である。
いまが躁期か鬱期かと言えば判断がつかないので、混合期とも違う、フラット期……?と首をかしげることになるのだが、そこにさらに、『積極的元気』『消極的元気』という言葉があるとしたら、今の状態は『消極的元気』。先日までの『積極的元気』、つまり躁ほど無理をしている感じもないが、体が動いて家事ができたり、本を読めたりする状態である。先日までこの状態で、長い冬季鬱を脱してクオリティオブライフが上昇したため、とても嬉しかったものである。
対して『消極的元気』が今の状態に当てはまるだろう。つまり、筆舌に尽くしがたいほど苦しいわけではないが、体が動かず、集中力もない。細々と家事をするのが精一杯で、誕生日だというのに外出もせず、おいしいものも食べず、一日中床に転がって金魚水槽の水面を見上げている。
ごめん、書きながら思ったけど、これ病んでるわ。『消極的元気』とか言ってる場合じゃなく、軽い鬱期だわ。文章にすると客観的にみられて良いね。というわけで、いま頓服を飲みました。

さて、上記の通り誕生日に過大な期待を寄せているわたしですが、まあ生まれた日とはいえ、特別な日としない見方もある。ミツ子(夫)などはまさにその典型であって、誕生日に対する温度差ゆえ出会って8年毎回戸惑ってはいるが、そのクールさが特に今年は羨ましい。
誕生日だからって、おいしいもの食べたり特別なことしたり、しなくてもいい。転がってひたすら無為に過ごそうが、それが今の体調なのだから仕方がない。あと下から見上げる金魚水槽の水面はいつもとても綺麗。こんな綺麗なものを毎秒毎瞬見逃して良いものだろうか。

月並みな結論ではあるが、いつかまたフラット期がやってくるのだから、それまではこの鬱期がなるべく軽いことを願って耐えよう。

そうしてわたしは、解凍しかけた牛肉をそっと冷凍庫に戻したのでした。ごはんつくるの、むり。

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