下町のナポレオン

「え、それ買うの?」
と声をあげたのはわたしである。
仲良し5人組が、今となっては思い出せない何かの理由で、夕飯とケーキを食べるという会の、買い出しでのことだ。
メンバーイチおっさんぽい!と言われていた彼女が、買い物かごに『下町のナポレオン』こと『いいちこ』のボトルを入れたのだ。
思えばみんな女の子らしい、可愛らしいところのたくさんある子たちばかりだったので、『おっさん』という皮で彼女は自分のキャラ付けをしていたのかもしれない。
ともあれ、いいちこは買い物かごに収まって、お会計と相成ったのであった。

学生時代は楽しかったが、楽しいが故にかどうか、あまり詳しいところまでは覚えていない。幼少、小中高、大学、社会人、今現在と見てみたら、幼少期を除いて精神的に最も安定していたのはこのころかもしれない。心の底から正直でいられる友人が何人かいて、好きな勉学に勤しむことの楽しさを知り、気ままに勉強し、遊び、大した悩みもなく、そしてだらけていた。

留学をしたい、と言っていたのもこの時期である。
しかしその夢は両親の反対にあった。『研究者になる覚悟もないのに』『途中でドロップアウトしたらどうするの』『就職できる確証はあるの』
確証なんて、ハタチ過ぎの社会経験もない一学生に、どうしてできよう。
親は頻繁に進路会議を開いてくれたが、次第にわたしは、進路の話をするたび、喉が詰まって何も話せなくなり、ただただ涙を流す木偶の坊と化した。のちに知った、ヒステリー球に近い状態だ。

それでも父は、議論の果てに受験して合格したならば行っても良いと言ってくれたが、家族会議で疲弊したわたしに、その余力は残っていなかった。
結局わたしは就職浪人という一番情けない方法をとり、私学の1年間の学費およそ100万円を親に支払ってもらい、貯めたバイト代をはたいて関西から東京へ足しげく通い、数社からの内定を得た。リーマンショックのギリギリ数ヶ月前、まさか世界的な不況が押し寄せるとは予想だにせず、学生にとっての売り手市場が最盛期を迎えていた頃である。

実家から離れたかった、その気持ちは確かにあった。家族は大好きだし、父の会社が大きな事故を出した時、人が変わったように働きマンから家族との時間を大事にするようになった父を誇りに思っていたし、専業主婦の仕事にプライドを持っている母のことを依存にも近く尊敬していた。
だからこそ、居心地の良い実家にいてはわたしはダメになると思ったのだ。

その際たる先が留学であったのだが、その道が絶たれた時、わたしに残された道は、遠方就職しかなかった。

いろいろあった。いろいろあって、わたしは結局ダメになり、いま、病気療養中の専業主婦という身分に甘んじている。
それでも懸命に生きたい、思いっきり打ち込める、誇れる何かをしたいという気持ちは燻り続けている。
たとえ昨夜、鬱の発作を起こしたばかりだとしても。
発作を生き延び、日々の薬を鯨のように飲み込み、つっかえながらも本を読み、僅かにアウトプットする。生きることが今は修行だ。

そんな時、ときどき思い出すのである。あの呑気な日々を。贅沢で、もったいなくて、かけがえのないキラキラした日々を。
そこにある象徴が、わたしにとってはいいちこの瓶なのである。


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