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『天気の子』 めっちゃネタバレ感想 同時代化が生み出す驚異の没入感と人間のパワーの話

 『君の名は。』が大好きだったんです僕。この映画と『グレイテスト・ショーマン』は観た後には、底抜けた明るさが自分の中に芽生える。特に前者『君の名は。』は物語の展開の仕方があまりに美しく、遊園地のアトラクションに「アニメーション映画」という施設が加えられた感覚だった。

 そんな前作を経て新たに書き下ろした『天気の子』について、事前インタビューで新海誠監督は「前作以上に批判を受ける作品にしたい」と言っていた。『君の名は。』を批判した人がより怒るような作品を、ということらしい。さてどうなるのか、前作大好き人間、『天気の子』を公開初日にIMAXで観ました。(以降ネタバレ)

現代を描く、新海誠作品

 僕がこの映画から感じさせられた大きな要素はこの3年という月日と、人はどんな状況でも生きようとする本能がある生き物なのだ、というメッセージである。まずは前者について書く。
 『君の名は。』は2016年8月公開だった。今は2019年7月。丸3年の月日が流れたという事実をこの映画は強く突きつけてきた。3年は長い。中学校や高校は基本的に3年在学すれば卒業することになるし、交際3年で結婚に至るカップルも多いように感じる。
 ファンタジーは、「現代」という要素に対し無視を決め込むことが許されるなジャンルだ。幻想こそがこのジャンルの魅力とも言えるし、まざまざとリアルを見せつけることは常に批判を伴う。しかし新海誠は絶対に「現代」を無視しない。ファンタジーというジャンルを逆手に取り、リアルに、時の流れを観客に突きつけてくる。
 印象的なのはラブホテルでのカラオケの場面だ。『恋するフォーチューンクッキー』が歌われただけなら、2010年以降という曖昧な範囲でのみでしか時代設定を規定できないが、星野源による『恋』が歌われたその時、また設定がどうあれ、観客の感覚として、時代が2016年以降であると確定する。まして、「カラオケでとりあえず恋ダンス」という流れは2016年に限らずここ3年定着した楽しみ方だ。『君の名は。』の主題歌であった『前前前世』とともに2016年に社会現象を巻き起こしたこの楽曲の使用は、2016年以降の時の流れを観客に強く意識させることを成功させる。そして何より、これらの「現代」をまざまざと見せつける表現は、帆高&陽菜と観客の間にある物語と現実の溝を埋め、同時代、ひいては同じ世界に置くことに繋がるのである。
 ここで新海誠作品特有の「とんでもなく美しい風景画」が活きる。新海作品は例えば海や空であるとか、大自然だけが綺麗なのではない。「東京」が美しく描かれるのだ。あまりにもリアルに、かつ美しく描かれる、しかしながら私たちの身近に存在するその世界に、気がつくと観客は入り込んでいる。同時代化、そして舞台の具現化。それらによりとんでもない没入感を生み出し、新海誠は前作以上に作品を通してメッセージが伝わりやすい環境を構成しているのだ。

補足として:「沈んだ東京」で生きる人たちの姿

 それほどまでに環境を整え、新海誠が伝えたかったメッセージ、それは「どんな状況になっても、人は元来生きていくパワーを持ち合わせている」ということなのだと僕は感じた。帆高、陽菜がラストにとったあの選択は、そのメッセージを伝えるためのトリガーであると感じた。欲求に忠実な若者の叫びと理性の手枷をはめられた大人の葛藤、または気づかなさ、それらがまざまざと繰り広げられるのがこの作品の大筋なわけだが、その先に最終的に存在するのは「海に沈んだ東京」であった。帆高と陽菜が選んだのは絶望の世界なのだと一瞬バッドエンドを感じさせたあとに紡がれる「地球の流れの中で私たちは生きている」という言説に始まり、人はどんな世界も強く生きていけるのだという実感を沸かせる、水上バスを人々が楽しむ場面。保護観察になりながらもなんだかんだ高校生をやり抜けた帆高の再上京と陽菜との再会。そして極め付けの「僕たちは大丈夫だ」。
 そう、本当に僕たちは大丈夫なのだ。どんなことが起ころうが、良いとか悪いとかは全部人間が決める価値観であり、結果はどうあれ最終的に生きていかなければならないことに変わりはないし、受け入れるしかない。
 こうしてr人間の力じゃどうしようもない「天気」という要素をふんだんに使い、何にでも立ち向かう人間の強さを描いたこの作品は、多くの人を元気にするものになるのではないか。

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gam

文学部の大学生で、英米演劇、主にシェイクスピア演劇を専攻しています。
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