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back numberのオタク、Dome Tour 2018 "stay with you"に2days参戦した(1)

疑いようがなくスタンダードなミュージシャンになったのだと実感させられた。そして、意外というよりは改めて、「バンドで演奏する」という強い意志を感じる、そんなライブだった。全公演終わったことだし、文章にできる時が来た。セットリストを一曲一曲…と綴っていくのは野暮だ。ただ連載にしないととてもじゃないが抑えきれない。何回かに分けてポイントをなぞっていきたい。

(1) 一曲目が「瞬き」

オタク的には、彼らがこういうことをよくするのはわかっている。one room party vol.3で彼らは一曲目に「クリスマスソング」を持ってくるという荒業をすでに成し遂げていたからだ。
そもそも一曲目にバラードを持ってくることが定石破りだ。まして曲の中で計4回も、「幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が 繰り返すようなものじゃなく 大切な人に降りかかった 雨に傘を差せることだ」という清水依与吏の幸福論が繰り返される、ウェイトの大きいこのバラードを、だ。
第一声、清水依与吏氏が「幸せとは〜」と歌った瞬間に上がった歓声、そして、ドームならではの声の響き方(「瞬き」はこのドーム公演以外、屋内のアリーナレベルの広さでは演奏されたことがなかった)は、楽器数の少ない箇所の多いこの曲ならではこそ。この二つでもう会場はback numberに魅入られていた。
もう一つ、一曲目が瞬きであることのえげつなさを考察する。それはこのシングルの発売当時にも抱いた気持ちであるが。「あー、遂に宣言したか」というものだ。back numberの曲の主人公は全て不幸なわけではない。「花束」の2人から想像するのは明るい未来であるし、「光の街」の中では叙事、叙情が巧みに使われ幸せがあらわになっている。だがそれら全て、はっきりと、これは幸せなのだと言われていたわけではない。感じてね、リスナーさん、といった具合だ。
back number言語化現象とオタクが名付けているこの「瞬き」で起こった事象は、「クリスマスソング」で「君が好きだ」と言ったり、「僕の名前を」で「僕は君のものだ」と言ったりとシャンデリア前後の楽曲でも見られた現象だ。これは西野カナの楽曲にも似たような変遷があり、「想像で楽しむ」ものだったback numberの楽曲も移り変わっていってしまうのか、と一抹の不安をオタクは覚えたのである。
しかしこの「瞬き」はそれらとは違う。清水依与吏氏は今最も「普通の人の気持ち」に寄り添うことを義務付けられたアーティストだと思う。いや、それほどの過程を得てきた。「瞬き」で表現された「幸せとは」はこれまでの楽曲で描いてきたことを初めて言語化しただけであって、いわばベストアルバム的な機能を果たしているのだと思う。
そう考えると、ドームツアーのセットリストの一曲目であることにも納得がいく。ドームツアーは観客が多い。「連れてこられた」人も多いだろう。初対面の際最も必要なのは自己紹介で、それは「幸せとは 星が降る夜と眩しい朝が 繰り返すようなものじゃなく 大切な人に降りかかった 雨に傘を差せることだ」back numberにとってはこのフレーズなのだと、思う。星野源氏も、「アイデア」が自己紹介的な曲で、それがあるから「どうもー!星野源でーす!」をやめたらしい。
初めてback numberのライブを見にきた人たちには「これが俺たちの音楽だ!」と歌詞、そしてバラードである面でアピールし、我々のようなオタクには、「瞬き」がいかに重要な位置を占める曲であるのか再認識させる。今回はかつてないほどセットリストがいいライブだったという感想を抱いているが、一曲目からこれだけ考察できる要素に溢れていた。「瞬き」を聴いた瞬間、オタクはこのライブの成功を確信したのである。

第2回は、セットリストの配分についてのお話である。今回、アップチューンがバラード。比率で上回ったのだ。

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JiJiJi

TWICEを中心に、音楽関係のことなど。

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