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辛かろうと、人生に微笑みはつきものだ

※一部、自らの創作物に触れながらの部分がありますが、まあわかるようには書いてます。

 思えば、そういうことを書きたかったのがラジオドラマ「光は屈折する」だったのだと思う。なにとは言わないけど、大きな挫折を味わってから、不思議と人の失敗であったり(一生懸命立ち向かった上での)そういった類のものを許せる人間になったなぁとなんとなく感じる瞬間が増えた。自分を好きな人間しか他者を好きにはなれないし、自分を嫌いな人間は他者を嫌悪するし、自分を許せる人間は他者を許せるのだ。

 卒業論文を書いていても似たことを感じた。題材の『ヴェニスの商人』で、ユダヤ人金貸しのシャイロックが借金の期限を守れなかったキリスト教徒商人のアントーニオに対し違約金として彼の肉1ポンドを要求する、恐ろしい裁判の場面が登場する。ここでキリスト教徒側から何度も「慈悲をこうてやれぬか」という声が飛ぶがシャイロックは断固拒否する。これは慈悲自体がキリスト教徒のある種固有の性質であり、ユダヤ教徒にはない性質でどうのこうの〜と卒業論文では述べているのだけれど、やわらかい視点で見れば、アントーニオらは日常の場面で何度も「許し」ていた。アントーニオに金を借りたバッサーニオ(つまりまた借りなのだが)を許したのもアントーニオ。あけすけな友人グラシアーノを笑って許すのもまたバッサーニオで、彼らは人を許すことのできる人たちだったのだ。自己犠牲の精神というけれど、彼らは自分のなすことをしっかりとおこなっていく(作品をみてほしい)ので、きっとどこかで自分を許すことができていたはずなのだ。

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 「光は屈折する」で最も時間を要したのは北海道へ向かおうとする百合子にツバキが追いつき森下先生の請け売りを演説する場面だが、その前にある大きな山となる場面は百合子がギターを壊すシーンである。百合子は過去の「歌手になりうる」自分と決別するため、ギターを破壊し退路を断つ。

 百合子は、その場面以前から退路を断つ傾向にあった。大学を辞めてシンガーソングライターになるしかない状況を作ったのも同じ理由だろう。「私、すがっちゃうんだ」。逃げ場がある状態に自分を置く危うさを彼女は知っていた。

 ただ、退路を断つということは場合によっては過去の自分を忘れることにもなる。少なくともこのギターを破壊する百合子は、罪を全て過去の自分に被せることで新しい自分に変わろうとしていた。自分からいらない要素を全て省けば、完璧な人間、少なくとも以前の愚かな人間にはならないのではないか、と。そんな場面に挿入歌として使用したのがback numberの「ミスターパーフェクト」という楽曲だ。

 3rdシングル「思い出せなくなるその日まで」のカップリング曲でアルバム「スーパースター」にも収録された楽曲だが、ベストアルバム「アンコール」には収録されず、ライブで披露されることも少ない。そしてこの曲はいわゆるback numberぽい楽曲とは一線を画す詞が綴られている。

 曲の主人公は完璧な人間つまりミスターパーフェクトになるために、自分の中で欠点になりうる箇所をすべて抹消していく。そうすれば完璧な人間になれるはず、と。しかし全て抹消した後には、もう自分さえいないことに気がつくというものだ。最近LINE MUSICでback numberの楽曲のストリーミング配信が始まったので無料トライアルしてぜひ聴いてほしい。

 一見怖い曲だが、注目すべきはそこではなくて、欠点のある自分こそ愛おしいものだと気づかせてくれるということだ。完璧な人間になれたけど、することはなくなってしまう。そもそもミスターパーフェクトなんて存在し得ない、ということがこの曲のキモだ。

 僕たちは失敗したら、欠点を見つめ、渦にはまりがちだ。そして自分より弱い人間を見つけては見下し、安心しようとする。失敗するたび、自分を愛せなくなり、他の誰かを愛せなくなるのが普通だと思う。その妙にギスギスした閉塞感のようなものが、今の世の中蔓延していて、それを映すように文春砲が人気を博し、ドナルド・トランプが当選したのだろう。

 ただ、少なくとも「光は屈折する」内の百合子は、最終的にはダメな自分をツバキに言われずとも受け入れることを選んだ。彼女は自ら破壊したギターの破片を、瓶に詰めて持っていたのだ。ツバキ曰く、「甲子園の土みたいだね」。悔しい思い出をいつでも見られるような状態にしておく、これは「あの時の気持ちを忘れないように」という意味もあるけど、何より過去の自分と、情けない自分とともに人生を歩む宣言なのだ。辛い思い出というのは、とても全否定はできない。それすらも愛してほしい。ツバキがそう叫んだように。

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 どれだけ辛い毎日の中にも、微笑みは存在しうることを知っている。笑えなかったとしても、ふと素直になれば笑える瞬間が来る。精神的に追い詰められていたはずの百合子が「ラーメン屋にきて親子丼出されたら嫌でしょ」と村上春樹も仰天するようなレトリックを披露するように、案外笑えることは身の回りに溢れている。ただそれに気づかなかったり、無意識のうちに蓋をしてしまうだけだ。ただそれは人と関わった時に限る。自分自身、一人で全てと向き合っていた頃は本当にしんどくて笑えることも少なく、ただ目の前の食べ物の量を増やしていたら6kg太った(体重は戻しました)。最後の場面、ツバキが来てくれたからこそ、百合子は牧場での乳搾りが少しだけ楽しみになったのだろう。

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 僕自身、何やら普通の文系学生より一年多く大学生をすることになっている。その愚かな運命を、どうにかこう、何かに言い換えられないか、と考えた時ふと、小さな頃読んだ科学図鑑で「光」がメチャクチャ速い、と書かれていたことを思い出して、「人生」という歯車に踊らされあっちこっちにさまよい、時に屈折することもあり時に自分で輝く「光」は僕たち「人」とある種等しいものだと思った。というわけでこの愚かな運命は「いや〜ちょっと屈折しまして」くらいに笑い飛ばせて、周りも「あ〜私も高校時代屈折したわ、これからもまたしそう」程度に笑いあえるくらいがちょうどいい。人生、思いのほか失敗にまみれていることを、僕たちは認めなきゃいけない。

#エッセイ #backnumber #日記 #文章 #ライフスタイル


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gam

文学部の大学生で、英米演劇、主にシェイクスピア演劇を専攻しています。
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