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もうずっと前から、死んでいたのかもしれない。

先日、地方のロケに行った時のこと。あまりに疲れ、助手席に座るバイトの坂口も、後部座席の青島も眠ってしまい、起きてるのは運転している自分だけという状態になった。

3人の運命は自分のハンドリングに委ねられているというプレッシャーの中、

「ブぉーーーーーっ」

という音ではっと我に返った。

うとうとしながら蛇行運転をしていたのだろう。バスにクラクションを鳴らされたのだ。

「あぶなかった〜」

そんなこともつゆ知らず、坂口も青島ものんきに寝息を立てている。

やがてトンネルに入った。それは世界が反転したかのようにあまりに長く、等間隔に置かれたオレンジ色のライトは、まるで催眠術の振り子のように同じリズムを刻み、再び眠気を誘った。セピアな色合いのその先で、先ほどクラクションを鳴らしたバスが走っているのが見えた。

ようやくトンネルを出ると激しい光が目をくらませた。

「運転、大丈夫ですか?」

光とともに助手席の坂口が声をかけてきた。まだ眠いようで大きなあくびをしていた。

「青島、全然起きませんね。死んでんじゃないのか?」と坂口がいった。

ルームミラーに映る後部座席の青島は、まだ寝ているようだった。「さっき居眠り運転で本当に死にそうだったんだよ!」と心の中で叫んだ。

パーキングエリアで坂口に運転を変わり、自分は助手席に座った。

「野田さんは助手席で寝ててください」

助手席の人間は寝てはいけない。安全対策として運転手に話しかけ続ける義務があるのだ。今までぐっすり眠っていたから大丈夫だという坂口だったが、どうにも不安はぬぐえず寝ることができなかった。結婚のこと、夢のこと、これからのこと。そんなとりとめもない将来の話をしながら坂口が眠らないように気を回した。わざと将来に不安なふりをして、呑気に生きる坂口を羨ましがって見せた。

「考えすぎですよ。将来なんて、考えても考えてなくてもくるんです。目の前のものだけ考えて対処してけばいいんですよ。見てください。青島なんて呑気なもんです。さっきからずーっと寝っぱなしですよ。まったく」

坂口がルームミラーをちらっと見ながら呆れていた。確かに青島はずっと眠り続けているようだ。

「まぁ疲れてるんだ。寝かせてやろう。明日は1日運転させようぜ」

「へへへ、そりゃいい!」

青島が狸寝入りで話を聞いていたらちょっと気まずいなぁと思い、後部座席を振り返ってみると、寝ているはずの青島の頭からは血が噴き出し、全身が真っ赤に覆われていた。

そうか。

あの時。バスにクラクションを鳴らされたあの時。本当は事故で死んでいたのだ。ルームミラー越しに見えた青島の姿は、助かったであろうもう一つの世界。そんな憧れを横目で見ながら、死んだ事実に目を背けていたのだ。

「青島のやろう。明日は1日いたぶってやるぞ」

体がねじれ、顔が半分ひしゃげた血まみれの坂口が冗談めかして笑っている。

「なぁ坂口、明日なんてくるのかな」

「またですか〜。もっとポジティブに生きましょうよ!」

血を吐きながら、坂口はたんたんと夢を語り始めた。

「もうすぐ40歳なんでそろそろちゃんとお芝居に向き合っていこうと思うんです。役者として。なんか売れる気がするんですよね」

本当はいつから死んでいたのだろう?

もっともっと前からなのかもしれない。

再びトンネルの中にいた。オレンジ色のライトにもう色はなかった。そのモノクロの輝きは、不均一な配置で明暗を繰り返したが、はやり眠気を誘った。今度こそ、出口はないかもしれない。そのことが幾分、心を落ち着かせた。

もうがんばらなくていいのだ。

延々に地下をさまようモグラのように、日の目を見ない蝉のように、眠り続ける冬眠中の熊のように、今度こそ本当の夢を見よう。

とりあえず、坂口には死んでいることを黙っていることにした。いつか自分で気づくだろうし、気づかなくてもそれはそれで彼の人生なのだ。

坂口の話に適当に頷きながら、やがてまどろみの中に意識が吸い込まれていった。遠くでクラクションの音がした。


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