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コーヒー一杯分の話。

人に淹れてもらうコーヒーは美味しい。

何かに集中しているとき、イライラしている時、思考がマイナスに働いている時、「不意打ち」でコーヒーがやってくる。

この不意打ちが、コーヒーを美味しくさせるのだ。

なぜ不意打ちだと美味しいのか。

おそらく、期待をしていない状態から一気にブーストがかかるからだろう。

自分が欲しい時に、自分で淹れるコーヒーもまた期待通りで美味しいのだけれど。

でも、いくら不意打ちとはいえ「ここじゃない」ってときにコーヒーが運ばれてきてしまっては、美味しいコーヒーも台無しだ。

炎天下の中や、納豆ご飯を食べている時、歯を磨いた後、尿管結石で転げ回っている時、オヤジ狩りにあっている時などにやってきたコーヒーほど哀れなものはない。

不意打ちすぎてもだめなのだ。

ちょっと自分が予想している斜め上ぐらい。痛気持ちい部分。その絶妙なポイントでやってくるコーヒーでなければならない。

そのポイントを知っているのは、いつも一緒にいる家族だったり、恋人だったり、同僚だったり、すごく身近な人たちだ。

コーヒーを語るとなんとも気取って見えるけれど、そんな絶妙なコーヒーを淹れてくれる人は大事にしたいものだよね。

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