母の死に待ち、絵と文を書く。
すごくすごく昔のことを思い出して、懐かしくなったり、切なくなったりすることがある。時には涙することもあるだろう。
母は今、ほとんど喋れず、昏睡状態になっている。容体が急変したのだ。昨日はかろうじて話してた。一昨日は、バナナ一本を食べるくらいの元気はあった。ずっと苦しそうだったけれど。
そんな昨日とか、一昨日とか、そんな近い昔がもう切ない。
がんを患い、とうとう緩和病棟にやってきた1ヶ月前。母はまだ元気だった。元気と言っても、酸素の管を常に鼻に入れてはいたけれど、喧嘩もできたし、ご飯も食べていた。
たった1ヶ月。
今日、急に呼吸の仕方が変わり、危篤の状態となった。
「覚悟だけしておいてください」
医者にそう言われたが、覚悟ってどんな覚悟だろう?これから母のいない人生を歩む覚悟だろうか。希望を捨て、悲しみやショックを和らげるようにメンタルを整えてください、ってことなのだろうか。
闘病中、自分も、そして家族も母を介護をしながら、少しずつ少しずつ覚悟に近づく訓練をしていたと思う。その訓練期間があった分、癌はありがたい病気だ。
でもどこかで「母は死なない」って思っている自分がいた。母が死ぬまでにやることが全く達成されていないのは、母はどこかで死なない存在だと思っていたからだと思う。正確な言葉ではないかもしれないけれど。
母はしぶとくまた我が家に戻ってくると思っていた。
もっともっと話すことがあったはずなのに、また明日、また明日が続いてしまった。「あんたはいつも後回しにするんだよ」母に何度も何度も言われた言葉だ。一昨日も言われたっけ。「うるさいな〜」と喧嘩になった。そう、一昨日喧嘩したのだ。苦しそうな母と。
一週間前、まだ母の意識がある時に、どうしても謝りたくなってLINEを送った。
「もっと活躍するつもりだったけれど予定が狂ってしまった。でも、これからがんばるよ」
母にこれからがあるような書きっぷりだが、そう書くしかなかった。
母は「十分活躍してる」
と言ってくれた。
でも、本当は違う。母は一年前くらいから「あんた何か面白いことやってないの?」とずっと口にしてた。自分がテレビに出たり話題になったりすることを楽しみしていた。そんなのあるわけないって、ずっと否定してたけれど、本当は母の中ではもっともっと活躍する自分の像があったのだと思う。
そんな勝手な期待に応える必要はないのだけれど、ただただ不甲斐ない気持ちが拭えない。
自分は今まで何をやっていたのだろうか?
そんな気持ちがふと湧き、母に謝罪をしたのだ。いや、何もできなかったことを謝ってチャラにしようとしたのだ。自分のために。最後まで情けない息子だ。本当にごめんなさい!!
誰しもみんな、通る道なのだ。轍ができた硬い土の上をまた一人踏みしめるだけことだ。自分が特別に悲しいわけではない。そんな普遍性が自分を励ます。でも、普遍性にすがった時ほど自分には余裕がないことを知ってる。急に病院までの道がわからなくなり、困惑した。バカである。
なんだから書いてると、死んでしまったモードになっているが、言っておくが母はまだ生きている。こうしてる今だって母は懸命に戦っている。思えば母はずっと戦ってきた。四人の子供を産み育てたのだ。そして最後の最後、苦しそうにしながら生きようと頑張っている。でももういいよ、と思う。もう苦しまないでよ。
母は死なないと思っていた自分の影が薄れていく。
生きている母を描くチャンスだと思い、母をデッサンした。できれば意識を取り戻した母に見せてあげたい。
薄れた自分が再び濃くなる。
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