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グループ化は何を引き起こすのか

様々な物、者、思考が周りの環境に存在し、一見調和の取れた世界を構築しているように見えます。大抵の物は大抵の物質で出来ており、大抵の者は大抵の物質で出来ており、大抵の思考は大抵のコミュニティーで出来ております。どうやら、外部にはそこまで大きな差がなく、内部で他の個体との違いを表しているようです。

あるヒトは水分とタンパク質で出来ており、あるヒトは二酸化炭素とヒ素で出来ている場合がありましたら、外部的区別はとても大事になります。グループ化をしっかりと行うことによっての認識の手助けが必要でしょう。しかし、構成要素に大差がない場合、外部での区別はそこまで躍起になる必要がありません。

内部の思考に関しては多種多様です。その思考はグループ化された属性による処が大きいと見えます。コミュニティー内での思考の形成は徐々に作られていき、一旦土台が完成されますと取り替えることが大変困難です。その最たるものが人種意識です。思考と括るのはいかがなものかと思われますが、思考は積み重なるものとしますので問題ないでしょう。

さて、コミュニティーでの思考形成ですが自ら選択して自分好みの思考を身につけるのは大変困難です。家族、学校、友人関係はなかなか自分で選び出すことが難しく、思考の探索を何もしなければ自動的に形成されていきます。

その際に一体誰が、何が思考形成の先頭に立っているのか。コミュニティー内で頂点に立つものです。族長です。その族長の形成している思考が他のコミュニティーに溶け込む思考でしたら何も問題ありません。しかし、特定のコミュニティー内でしか通用しない思考でしたら大変です。

よく物事は対比して考えなさいと言われますが、そもそも対比すること自体が区別、グループ化を促進させています。そして対比をすることにより優劣がつき、差別の助長となります。対比が大事だと通用するコミュニティーに所属しているヒトからすると何も問題なく、そして何も疑問視せずとも区別思考の固定化を形成していると言えます。対比をし自己所属のコミュニティーが優であれば、差別思考の助長。対比をし自己所属のコミュニティーが劣であれば嫉妬思考の助長となります。可能性です。

グループ化をすることにより感情の付加性能という新しい捉え方が出来るようになっています。例えば、部落、東京港区、過疎地域などはただの言葉だけに過ぎないのですが感情も伴います。その感情も自分の所属コミュニティー次第でいくらでも変わります。不変ではないのです。

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バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。