私の旅打ち遍歴 その3 ~はじめての競馬場~

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どうも。荷桁です。

さて。前回の投稿から随分時間が経ってしまいましたが、今回も私が何をきっかけに競馬を始めて、何をきっかけに旅打ちにハマり、どういう旅打ち人生を送ってきたのかという、非常にどうでもいい話のつづきを書いていきたいと思います。

前回の投稿でもお話したとおり、私は大学で知り合ったFという友人とMという友人に誘われて、2005年11月27日、ジャパンカップデーの東京競馬場に行くことになったのだった。

しかし競馬場に行くと言っても、現地のイメージがさっぱりつかないのでよくない。どうやって行くかは地図を見ればいいとして、何時ごろにどのあたりに行けばいいのかなどは友人に聞かねば何も分からないというのが正直なところだ。とは言いながらFもMもまだ大学一年生。昔から競馬を見ているため騎手やオープンクラスの馬くらいは一通り分かるものの、こと現地観戦という部分で言うと、東京競馬場にも数回しか行ったことがなく、まして朝から行って1レースから買うなんてことはしたこともない、まあ今から思えばかわいらしい競馬ファンであった。

「混雑するだろうからあまりギリギリに行くのもよくない」とFが言うのでとりあえず、14時頃に現地で集合することにした。現地と言っても現地のどのへんがいいのかというのは誰もこれと言ったものがないのでとりあえず現地に着いたらお互いに携帯に電話をしようということになった。

そんなわけで11月27日。いよいよ生まれて初めて競馬場に赴く日がやってきた。

この日は非常によく晴れていたことを覚えている。

以前も申し上げたとおり、私は当時、JR中央線武蔵境駅から徒歩20分の、窓を開けると下に墓場が広がる素敵なアパート(6畳1R・洗濯機共同)に住んでいたため、武蔵境駅から西武多摩川線に乗って是政という駅まで行って、そこから徒歩で東京競馬場を目指すことにした。今思えば初めてのわりに随分マニアックな行き方をしてしまったが、当時はまだ自宅にインターネットもなく、ガラケーからネットに接続するとそれなりの通信料を取られた時代なので、純粋に自宅にあった地図(当時は上京するとみんな東京の地図を買っていたのだが今の若い子はそうでもないのかな)を見て、このルートが一番近い、となったんだと思う。ただ、インターネットがないので、自宅から現地までどのくらいの時間がかかるのかがよく分からない。結局、念には念をということでなんやかんや集合の2時間くらい前に家を出たと記憶している。今思えばかなり引っかかり気味でございますな・・・。

自宅から武蔵境駅まで徒歩20分、武蔵境駅から是政駅まで電車で12分。是政駅から東京競馬場までは徒歩で15分。結局、2時間前に家を出たのに1時間もかからず東京競馬場の南門に着いてしまった。集合時間は14時だが、時計を見るとまだ13時前だ。さすがにこれは早すぎるかなと思いつつFとMに電話してみると、当然のことながら二人ともまだ着いていないと言う。少し早めに着きそうだったFが「とりあえず府中競馬正門前の駅んところで待っててくれ」と言って電話を切ったが、今自分がいるのは反対側の南門だ。しかも中に入ってしまったら「駅の前で待つ」なんてことはできないじゃないか。困った私は仕方なしに南門から競馬場の中には入らず、競馬場の東側をぐるっと回って、反対側の府中競馬正門前の駅まで歩いたのである。今ならば、そんなことせず中で待ってりゃいいじゃないかという冷静なツッコミもできるが、まあ初めてなんてこんなもんですよね。

結局30分くらいかけてダラダラと府中競馬正門前にたどり着き、予定より早く着いたFとそのあとすぐに到着したMとも無事に合流することができ、いろいろあったものの、無事に初めての東京競馬場に入ることができたのでありました。

ありきたりな表現ではあるが、場内に入るとまず人の多さにびっくり。そして、競馬場というのは意外と綺麗な空間なんだなと思った記憶がある。馬券を買わずに観戦した東京8レースでの観衆がワーッと叫ぶ声、そして馬が走るドドドという音。なんとなく想像はしていたものの、実際に聞いてみるとこんなにも迫力があるものなのかといたく興奮したものだ。

この日のメインレースであるジャパンカップは東京10レース。FやMは第9レースも買うと言っているが、私はさっぱり分からないのでとりあえずジャパンカップだけを買うよと言って、二人がスポーツ新聞を見ながらワイワイやっているのを横目に観察していた。するとパドックの脇で偶然にも、高校時代の部活の先輩と遭遇。「おお!お前も競馬やるのか。今日はロブロイは来ないぞ!!」と言うと先輩は「じゃあな」と言ってどこかに行ってしまった。当時は3年ぶりくらいの再会にもかかわらずいたくドライな先輩の対応にちょっと寂しさも覚えたものだが、今になるとああいうあっさりとしたリアクションしかしなかった先輩の気持ちも分かる。競馬をしているとそれどころではないのよね。結局その先輩とはその後も何度か競馬場で会ったり、同窓会的な飲み会でも会う機会があったのであのリアクションで何の問題もなかったのだが・・・。

東京9レースはオレハマッテルゼという馬が出ていて、これは「俺は待ってるぜ」なのか「俺ハマってるぜ」なのかどちらなんだろうねというお約束の会話があって、実際、そのオレハマッテルゼがハナ差で勝利したのだが、FもMもなぜかオレハマッテルゼを買っていなくて外してしまった。その数か月後にオレハマッテルゼがG1高松宮記念を勝つことになろうとは思いもしなかったのう。というか、その時の私はまだ、高松宮記念というレースがあることさえ知らなかったのだが。

さて、東京9レースが終わると、次はもうジャパンカップである。時間はまだあったが、とりあえず馬券を買うためにFとMについていく形で1階の投票所エリアに向かうことにした。するとMが「おい、あれ見ろよ!」と脇を指さした。何かと思って見てみると、ヨレヨレの恰好をしたじいさんが、紙袋一杯に現金を持って、延々と馬券を買い続けているのだ。周りもそれを見てザワザワ言っている。札束をつかんで投入してはマークカードを入れて馬券を取ってという作業をひたすら繰り返すじいさん。どこからどう見ても、まごうことなき大口投票である。

だがその光景を見て当時の私はビビったというよりはワクワクしてしまったのである。あのじいさんは何らかの確証を持ってあれだけの大金をぶちこんでいるはず。長く勉強すれば、あそこまではないにせよ、ドカンと買うこともできるんだなあ、と何だかいい風に捉えてしまったのだ。思えばあの光景を見て肯定してしまったときが、私のギャンブル人生が始まりを告げた瞬間だったのかもしれない。

あれから14年以上経った今、いまだにそんな確証を持って大口馬券を買うことはできないし、何よりあんな買い方をしている人にその後お目にかかったこともない・・・。私の人生を変えたあのじいさんは今どこで何をしているのだろうか・・・。


・・・さてそんな訳で、東京競馬場にやってきて最初の1時間ほどで観衆の多さとレースの迫力に圧倒されたかと思えば、高校時代の部活の先輩と偶然遭遇し、「オレハマッテルゼ」なんていう変わった名前の馬の勝利を目撃し、さらにはとんでもない大口投票を目の当たりにしたりと、早くもお腹いっぱいの様相なのだが、肝心なのはメインレースであるジャパンカップだ。ひとまず、この年に行われた第25回ジャパンカップの出走馬はこんな感じであった。

1 マイソールサウンド ・本田 優
2 タップダンスシチー ・ 佐藤 哲三
3 ウォーサン ・ J.スペンサー
4 アドマイヤジャパン ・ 横山 典弘
5 リンカーン ・ 武 豊
6 ウィジャボード ・ K.ファロン
7 ベタートークナウ ・ R.ドミンゲス
8 ゼンノロブロイ ・ K.デザーモ
9 ストーミーカフェ ・ 四位 洋文
10 ヘヴンリーロマンス ・ 松永 幹夫
11 コスモバルク ・ D.ボニヤ
12 バゴ ・ T.ジレ
13 サンライズペガサス・ 蛯名 正義
14 アルカセット ・ L.デットーリ
15 キングスドラマ ・ E.プラード
16 ハーツクライ ・ C.ルメール
17 スズカマンボ ・ 安藤 勝己
18 ビッグゴールド ・ 和田 竜二

とまあ、こんな感じで書いてみたものの、当然のことながら当時は一頭も分からないわけだ。加えて競馬新聞の読み方も分からなければ、そもそも馬券の種類さえよくわからないので、とりあえずジャパンカップは、競馬好きの中学時代の友人に事前にメールで聞いた推奨馬と自分で直感的にいいと思った穴馬の単勝馬券を買ってみることにした。なぜ単勝なのか、なぜ穴馬なのかと問われても答えようがない。本当に何一つ分からないのだから。

しかし、こうして書いてみると、海外の馬も6頭いるし、日本の馬もゼンノロブロイやハーツクライ、リンカーンなどはいるものの、ほかはワンパンチ欠ける感じの、いかにもジャパンカップという感じのメンバー構成でこれはこれで味がある感じだな。ちなみに、1番人気はゼンノロブロイ、2番人気はハーツクライ、3番人気はアルカセットという感じであった。

FとMはオッズを見ながらああでもないこうでもないと言っているが、とりあえず私は友人から推奨された、アドマイヤジャパンとウィジャボード、そしてなんとなく中穴っぽかったヘブンリーロマンス、バゴ、スズカマンボの単勝の計5点を100円づつ購入したのである。今から見ると随分かわいらしい買い方だ。まあこんな私にもそういう時代があったのである。私は早々に購入ができたものの、FとMは馬連だ3連複だと言ってけっこうな時間ワイワイやっていたため結局締め切り間際になってようやく全員の馬券の購入が完了したのであった。

さて、それではレースを見ようかということでスタンド前に移動しようとするのだがここからが大変であった。馬券はメインスタンド地下1階の投票所で買ったのだが、スタンドに通じる通路に人が溢れていて走路が見える位置までたどり着けないのである。締め切り間際まで買っていたのももちろんあるし、当時はまだメインスタンドが改修工事中で半分くらいしか供用されておらずちょうど混雑する位置にいたのかもしれない。結局スタンドの中のエスカレーターで2階に上がって、背伸びをするとどうにかこうにかレースが見える位置までたどり着けたときには、もうレースはスタートしていたというありさまであった。

レースはタップダンスシチーが序盤から超ハイペースで飛ばすという展開だったが、背伸びしてやっとターフビジョンや走路が見えるという状態だし、そもそも競馬の実況を見ることにも慣れていないし、実況の声はちっとも聴こえないしという感じで、結局レースそのものはラスト1ハロンくらいでドドドという音が聞こえてきて「あ、なんか5頭くらい競ってる」というのを視認したところであっという間にゴールとなってしまった。まあ端的に言うと「ほとんど見えなかった」し、もっと言えば「訳分かんなかった」というのが実態である。

しかし、次の瞬間、場内がどよめいた。なんと着順掲示板のタイムのところに赤字で「レコード」という文字が点灯したのだ。観客の誰かが「世界レコードだ!!」と叫ぶと、さらに周りがざわつく。「え?何?今のレース、世界レコードなの?」とFに聞くがFもMもどうやら自分の馬券がハズレてしまったことが分かっているようできちんと答えてくれない。結局長い写真判定の末、1着がデットーリ騎乗のアルカセット、2着が追い込んだハーツクライとなり確定した。

結局、買った馬券はハズレてしまったが、FとMがその後しきりに「やっぱりデットーリは世界で一番上手い!」だの「世界レコードを目撃してしまった!」だの「タップの超ハイペースは痺れた!」だの「ハーツクライは凄い脚だったな!」などと言うので、場内で繰り返し放送されるリプレイ映像を見ているうちにだんだんと「ひょっとして俺はすげえものを見てしまったのかもしれない」と思うようになっていったのだった。

結局最終11レースも馬券は買わず「馬にヤナギムシなんて名前つけちゃう馬主もいるんだな・・・」なんてことを思いながら、レースに熱中するFとMを横目に、最下位に沈むヤナギムシをずーっと眺めていた記憶がある。

そんなこんなで最終レースも終了。新聞やらマークカードやらハズレ馬券が散乱している中、引き上げることになった。行きに西武多摩川線で来たという話をFとMにしたところ、そんなルートがあるとは二人とも知らなかったようで、京王線は混んでるだろうからそのルートで武蔵境に出て酒でも飲もうか、ということになり、帰りは3人で是政駅までぶらぶらと歩いていくことになった。

そんなこんなで武蔵境に戻ったあとは、当時御用達だった北口の居酒屋一休の生ビールでお疲れ様の乾杯となった。中央線沿線の学生にとって、当時の一休はそりゃあもう、最高の居酒屋であった。

「で、はじめての競馬はどうだった?」

乾杯するやいなや2人が訊いてくる。どうやら、馬券をあまり買っていなかったので私が競馬のことをさほど面白いと思わなかったのではないかと思ったようであった。

「いやいや、楽しかったよ」

「どのへんが?」

「うーん、なんつーかな。勉強しなくちゃ分からないところかな。」

「え?」

「いや、今日は馬券を何も考えずにテキトーに買ったわけなんだけど、やっぱそれじゃあ面白くないよね。ちゃんと勉強しないと。」

私がビールをぐびぐび飲みながら答えると二人は

「あー、こりゃハマっちまいそうだな」

と笑ったのだった。


その後のことは詳しく覚えていないが、随分遅くまで競馬の話で盛り上がったような気がする。ひとまず友人と競馬場に行って、レースを見て、酒を飲みに行くという行為が凄く楽しいことだということは、この日にしっかりと私の中にインプットされてしまったのであった。


この当時は毎日のようにつるんでいたFとMと私だったが、Fはサークルに、Mは体育会活動に、そして私はアルバイトにと、徐々にそれぞれのやりたいことを優先するようになり、相変わらず仲は良かったものの、3人連れ立って競馬場に行くということは、1年もするとほどんどなくなってしまった。

Fはサークルにのめりこみ過ぎてしまい大学を4年で卒業せずに留年、その後はどうなっているのか分からない。Mは大手信託銀行に総合職で就職したが、Mとも大学を卒業してからは一度も連絡を取っていない。薄情な感じもするが、まあ男性の友人関係なんてこんなもんと言えばこんなもんだ。

ただ、大きなレースがあって東京競馬場に行くときはいつも心のどこかでFやMと偶然ばったり出会ったりしないかなあとも思う。久々に会って「太ったなあ!」なんて話をしながら、やっぱり最後はあのときのジャパンカップの話になるんだろう。あれから13年経ってアーモンドアイに更新されてしまったアルカセットの世界レコード。背伸びしながら最後の直線、ほんのちょびっとしか見ることができなかったレースにもかかわらず、私は「あんときのデットーリは凄かった!」だの「タップの超ハイペースにはビビった!」だの「ハーツクライはマジで鬼脚だった!」だの言うのだろう。そして「まさかあんときの初心者がこんなになるとはなあ」と言って二人は笑うんだろう。そんな日が来るのかどうかは分からないが、あいつらが競馬を続けていれば、そのうちどこかでありそうな気もするな。


・・・さて。そんな流れで、生まれて初めて行った東京競馬場は、海外馬あり、デットーリあり、世界レコードあり、大口投票じいさんありということで、なかなか強烈な体験になったのでありました。

次回からはこうして競馬に触れてしまった私が、どのような流れで旅打ちに目覚めて行くのかというところの話をしていければと思います。

次の更新がいつになるかは分かりませんが、引き続き何卒よろしくお願いいたします・・・。


「そこに競馬があるから」にひとつでも多くの競馬場が取り上げられるよう精進します。