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お笑い平和主義

■自称お笑い評論家

お笑いを批評するのって、一番サムいことなんですよね。
M-1の後、無数に現れる自称お笑い評論家たち。痛々しくてうっとうしいですよね。
今年のM-1直後の「漫才論争」
「あれって漫才なの?」っていう意見。それに対して顔真っ赤にして反論する人。
ほんとにうるさい。どっちもキモい。
お笑い批評する人って、なんか偉そう。

■漫才論争なんてやりたくない

僕が思ったのは
「え、今さら・・・??」
でした。
 
漫才論争なんてやめませんか?

だって漫才の定義なんて、人によって違うじゃんだから面白いんじゃん。そんなん結論出るわけ無いじゃん。
 
漫才論争において、僕は最弱です。 

漫才論争に僕なりの意見を持つとするならば、
あれは漫才だと思います。

漫才の定義は人それぞれあっていいと思っているからです。

マヂカルラブリーが、M-1の舞台であの漫才をやった瞬間、あれは漫才です。

そして、「漫才じゃない!」っていう人は、きっとその人なりの漫才の定義があって、意見を発しているのだと思います。僕はその意見を否定することもできません。
 
あっという間に矛盾しました。
負けを認めます。ここからの追撃はオーバーキルです。
死体蹴りはやめましょう。 

■漫才とコントとAVの企画モノの話

「あれは漫才じゃないコントだ」という意見があるらしいです。
この意見を聞いて、思い出したことがあります。

以前、友達とAVの話になった時にこんなことを言われました、
「企画モノのAVって何なの?おれにとっては全部企画モノなんだけど・・・」
僕は一生懸命、企画モノとそうでないものの違いを説明しました。
「企画モノってのは女優がその"本人"として、童貞の家に行ったり、バスツアーしたりするやつで、通常のAVは女優が女教師役とかナース役とかを演じたりするやつだよ」
僕なりにはこれが精いっぱいの説明だったのですが、その友達はどこか腑に落ちないような顔で、わかってもらえたのか微妙なところでした。

なぜこの話を思い出したのかというと、

なんと、
漫才とコントの境界線と、AVにおける企画モノとそうでないものの境界線は同じなんです。

ということは、
「あれは漫才じゃないコントだ」っていう人、絶対に企画モノのAVとそうじゃないものの違いわかってない。

■"漫才とは何か"より"面白いとは何か"

芸人が魂を込めて作り上げたネタを、「あれは漫才じゃない」の一言で終わらせてしまうのはあまりにももったいない。

“漫才とは何か“を語るよりも
“面白いものとは何か“を語る方がとても有意義だと思っています。

それぞれの漫才の定義を言語化して、お互いの揚げ足を取り合うよりも、
“面白い“と感じた所を共有して、笑い合う方が
絶対に意味があるし、楽しいですよ。
 
「マヂラブの一本目ヤバかった!」とか、
「おれは見取り図の「マロハ島ってどこ!?」が最高だった!」とか
おいでやすこがの「誰の曲か言え~~!!」を友達の前で真似したり、
個人的にはオズワルドの「雑魚寿司」はかなり笑ったし、
ニューヨークのネタはめちゃめちゃかっこよかった。

そういう話がしたい!!!

あーー!M-1グランプリ2020、マジで最高だったな!!!!

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