人生の岐路 − 恐怖と不安

 2003年4月から6月の間の3ヶ月間のパワハラでうつ病を患いもう15年が経つ。2004年3月末までの病気休暇のあいだ、連日自殺を考える毎日を過ごした。辛くもうつ病を脱し、7年間、協力的な上司や同僚の理解もあり、楽しく仕事ができていた。

 ところが、2011年度の人事異動で仕事内容と人間関係が変わり、またうつ気味に。その後、断続的に病気休暇を取り、いままたその最中である。

 親友たちからは、「君は仕事をしていて辛そうに見える。職を変えたほうがいいような気がするよ。」と言われた。それも一人ではない。何人もの人に言われるのである。

 しかし43歳にして何ができるのか。道楽で勉強している英語や他の外国語、大学時代から勉強し遅々として進まない法律の勉強、おまけにうつ病にてんかん発作を併発し、果ては「自閉スペクトラム症」と言われている。

 田舎の公務員でこれだから、他の仕事では推して知るべしだ。さりとてこのままだと、自分の未来が見えてこない。勤務先の人事やらには、「君にはもう後がないと思いなさい」とまで言い渡されている。人生詰まった感で押しつぶされそうである。

 いま感じている辞めたあとの恐怖感。よく考えると、飛行機に乗るまえに空港でパスポートにハンコを押してもらい、もう乗る他ない状況に置かれたのとすごくよく似ている。もともと旅行は好きである。しかし、あの恐怖感は如何ともしがたい。「もしこの飛行機が落ちたらどうしよう。」「そうしたら、あのボーディングブリッジは三途の川になるのか。」「この乗客の中に、ハイジャック犯がいるのではないか。」「旅先で何かあったら・・・」・・・。考えていたら果てがない。

 そのうちアナウンスが流れる。ボーディングブリッジはそのときはあたかも三途の川のようでもあるし、失礼な例えだが僕と一緒に乗る他の乗客たちがいまから屠殺される運命の牛や豚のようにすら思えてしまう。

 もう逃げられない・・・

 ボーディングブリッジと機体との隙間を超え、客室乗務員の笑顔に迎えられ機内に入る。すると、みな普通に荷物を上方の棚に上げ、ベルトを締めている。特に海外の航空会社のに乗ると、客室乗務員たちは満面の笑顔、いつも乗る左の窓際の席の隣に座る人が外国人だと、向こうからにこやかに声をかけてきてくれたりする。「どこ行くの?」「飛行機が慣れなくてね・・・」「いやぁ、大丈夫だよ」などなど。これだけで、ウソみたいに緊張、いや恐怖から解放される。
 機体がボーディングブリッジを離れ、安全の放送が流れ始め、ジェットエンジンのタービンブレードが回り、機体が離陸態勢に入り、轟音をあげて大空を舞い上がる、その頃にはすっかり不安や恐怖が飛んでしまっている。本当はその時点で一番事故率は高いのにである。

 雲海上にいくと、その荘厳さに身を打たれ、数千キロ離れた目的地に着いた頃にはずいぶん緊張も和らいでいる。もちろん、最低限の貴重品である財布やパスポート、搭乗券はいつもポケットにしまい、そこだけは緊張感を緩めない。

 10数時間席を隣にした人と別れ、異国の地に着くと、今度は普段働かない神経がぴーんと働きだす。好奇心と適度な警戒感がミックスされたアンテナが伸びてくる感じがする。一人で何もかもしなくてはいけないことに、自由と責任を感じる。それが快感だったりする。

 職を辞したあと、旅のようであればいいのだが・・・

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