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不便を受け入れる

今日のランチは、コンビニで冷やしきしめんを買った。今日も買った。が正しい。400円ちょっとの金額で、相当美味しい。

プラスチックのカップに出汁の効いたスープ、ネギ、ショウガ、大根おろし、あぶらあげ、梅(梅干しと刻み梅)、かつおぶしが入ってて。

んで、もはやデフォルトなんだけど、それら別添の具材ときしめんの間にはフィルムが挟まっている。優しい。手がネチョっとなるのイヤだもんね。

ただ。
ちょっと待てよと。

ネチョっとなったら、手を拭けばいいだけ。その瞬間のネチョを防止するためだけに、そのフィルムは存在しているのだ。ネチョっと感じるか感じないかはその人次第だというのに。

人不足で事業が危うい企業が増えていると聞く。アルバイトがいないので時短営業するコンビニとか。連日ニュースでも新聞でも、プラスチックゴミが世界レベルでの問題だと報じられている。
いっそのこと、過剰なほど丁寧な個包装や、多すぎる工数は削るべきなんじゃないかなぁって。

僕自身、10年ほど前に日配品のメーカーに勤めていたことがあるのだけど、コンビニのような巨大流通網に乗る商品でも、その大半は人の手作業でつくられている。
月に1度とか、早いものだと1週間で販売が終わるから(消費者に飽きられないため、毎日来てもらうため)、機械による自動化などできない。たった1週間の商品製造のために生産設計して試運転して、なんてやってられないから。

たぶんこのフィルムを入れる人がいるんだろうな。フリーターくんか、パートさんか、外国人の方かもしれない。

ただ、なぜここまでやってるかというと、たった一言「消費者が求めるから」。いや、僕の経験上「消費者はきっとこう思うだろうと先回りする、小売バイヤーが求めるから」が正しい。
「日本のコンビニエンスストアのサービスや商品の質が高い」と言われるのは、こういった「ネチョっとなるのイヤだなあ」という、たぶん誰からクレームを言われたわけでもない、心の声に応え続けてきたからこそなんだとも思うけど。

そろそろ、というのは語弊があるかもしれないけど。「不便を受け入れる」ということが必要なんじゃないだろうか。

「具とかスープ混ぜるときにネチョってなるかもなので、気をつけてくださいね(ニコッ)」なんてされたら最高じゃないか。
「ダイジョブダイジョブ。拭けばいいだけだし(ニコッ)」って返すことができたらそれもまた最高じゃないか。
ほんのちょっとの不便は、こういう“人と人のコミュニケーション”で埋めていけばいいんだと思う。

不や負を解消することが、さまざまなサービスの原点だし、それを実現し提供できることが企業側の価値だし、そこにお金を払う人がいる限り、それを否定できないことも分かるんだけど。
ネチョ防止のフィルムを挟む人も、ネチョ防止のフィルムを挟む時間も、今の日本にはそう無いような気がするのだが。

廃プラ削減、工数削減とともに、不便を埋めるコミュニケーションが、もっともっと増えますように。

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