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MMT~それは何と戦っているのか

 昨日、「MMT」と、それに基づくオカシオコルテスや山本太郎の政策が袋叩きになっている、と書いたが、正確には米国と日本では全く状況が違う。

    米国では2008年のリーマンショックと、その後の金融機関への政府の支援などに対する不満をきっかけに、2011年に格差の拡大と富裕層への優遇に抗議する「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠せよ)」運動が発生した。

"We are the 99%"をスローガンにするこの運動は、ウォール街の金融資本に代表される1%の富裕層が富を独占する社会や政治体制に異を唱えていた訳だが、それと同時に2009年の「ギリシャ財政危機」によって世界的に急速に広がった「緊縮財政」による公務員や年金、社会福祉の削減などにも抗議する運動でもあったのだ。

    それは富裕層による富の独占も、国民にだけ負担を押しつける「緊縮財政」も、どちらも「小さな政府」に象徴される、新古典派経済学に基づく新自由主義的政策の弊害だったからだが、この運動が終わった後も、2016年の大統領選でのバーニーサンダースの大ブームなど、「1% vs 99%」、「緊縮財政vs反緊縮」、「新自由主義vs反ネオリベ」という対立軸は有効で、争いが続いて来たともいえる。

    その結果、昨日も取り上げたオカシオコルテスが当選したり、エリザベス・ウォーレン、そして再びバーニー・サンダースも多くの国民の支持を得て、大統領選に挑戦している訳だし、彼らの「反緊縮」政策を支える理論となっている「MMT(Modern Monetary Theory 現代金融理論)」も、国民の間ではそれなりの広がりを持って支持されているのだ。

   そういう意味では、最近になってやっと松尾匡立命館大学教授らが『そろそろ左派は<経済>を語ろう レフト3・0の政治経済学』の出版などを通じて、反緊縮や「MMT」を訴えたり、山本太郎が今回、新党の政策に掲げたりし始めた日本とはかなり温度差があると言っていい。

   ただ、米国でも今までは無視されていただけで、「MMT」が広がりを見せるにつけ、マスコミや著名なエコノミストが批判に参戦。元財務長官のラリー・サマーズが「重層的な誤り」があると論評したり、世界最大の資産運用会社ブラックロックのフィンクCEOは「くず」と一蹴。ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンや国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストなども「MMT」攻撃に加わっている。

   勿論、彼らこそが「1% vs 99%」の格差を生み、「緊縮財政」や「小さな政府」に象徴される、新古典派経済学に基づく新自由主義的政策を推し進めてきた張本人なのだから、当然と言えば当然なのだが…いずれにしてもこの「MMT」が単に経済理論としての正誤だけではなく、「1% vs 99%」、「緊縮財政vs反緊縮」、「新自由主義vs反ネオリベ」の争いの場になっていることは理解してほしい。

    また一方、「MMT」理論の生みの親の一人ともいえるニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授も、緊縮財政を主張する新自由主義の新古典派経済学の人々(彼女自身は“主流派経済学の人々”と呼ぶが)を、

『彼らは長い間、国家会計を家計に例える誤った比喩を使い、“借金で家計が大赤字になったら大変でしょう?子供や孫にまで借金が残らないようにしなければならない”と言って洗脳し、私たち国民に緊縮財政を強いてきた。』 と批判している (※昨日の記事で、リンクを貼ったこのインタビュー内の発言)。

   この比喩は私たち日本人もよく聞かされているし、これを信じているからこそ、“消費増税は必要だ”とか、“社会福祉の削減もやむを得ない”という意見が国民にも多いのだろう。

  ただ、彼女が言う通り、国の会計と家計は違うし、国の借金と家庭や私たちの借金は全く違うものなのだ。

    「MMT」の主な論旨には、昨日、ご紹介した『自国通貨を持つ政府の支出余地は一般的に想定されるよりも大きく、全てを税金で賄う必要はない』、『すべての経済および政府は、生産と消費に関する実物的および環境上の限界がある』の他にもう一つ、『政府の赤字はその他全員の黒字である』というものがある。

    当たり前だが、すべての貸し手には、必ず借り手が存在する。つまり金融制度の中では黒字と赤字は足せばいつもゼロになるということなのだ。国の借金の場合は、政府が赤字になれば企業や個人など民間は黒字に、政府が黒字になれば民間が赤字になるということ。

これはオーストラリアのスティーブンヘイルという「MMT」を主張する学者が論説で提示した、1994~2016年のオーストラリアの民間部門、政府部門、海外の収支バランスのグラフだが、実際に、青の民間とグレーの政府の収支が見事に反比例している。

   つまり、政府の財政赤字は民間、企業や家庭の黒字になるのだから、家計や私たちの赤字と違って、悪いこととはいえないというのだ。

   また、私たちの借金と国、政府の借金とで根本的に違う部分もある。私たちの借金はそれこそ土地とか家とかクルマとかが担保になっていて、借金が払えなくなればそれを取り上げられてしまい、大変なことになる訳だが、政府の借金はどうだろう?

  政府の借金とは「国債」のことだが、国債は国の土地や建物、道路などの資産が担保になっている訳ではない。だからもし国債が「デフォルト」、つまり、政府が借金を払えなくなっても国の資産が貸し主(国債の買い手)の手に渡る訳ではない。

   実は政府の借金、「国債」の担保になっているものは、政府が持っている「徴税権」、国民から税金を取り立てる権利なのだ。つまり、国民に国債を買って貰うということは、将来、税金として国民から取り立てるお金を先に払って貰うことだし、もし国債が「デフォルト」になるとしたら、それはその時点で政府が国民から一気に税金を取り立てたことと同じ意味になる訳だ。

    また、「デフォルト」の他にももう一つ、国債を通じて税金を取り立てる方法がある。それが「インフレ」。「インフレ」になれば実質的に国債の価値は減少する訳だし、それこそ「ハイパーインフレ」になれば国債は一気にタダの紙切れになってしまい、「デフォルト」と同じことが起きるのだ。

   政府としては「デフォルト」や「ハイパーインフレ」で国債をタダの紙切れにしてしまえば、税金を一気に取り立てたのと同じことで借金は一気に解消出来る訳だが、勿論、国民からすれば資産でもある「国債」を無価値にされて、“ハイ、税金として頂きました”ではたまらない。

     ただ、現実には日本も含めて、多くの国でそういうことが行われて来たのは歴史的事実だし、日本が前の戦争で発行した今のお金にすれば何百兆円という戦時国債も「ハイパーインフレ」による新円切り替えと、海外債務の多くは「デフォルト」で紙くずにしてしまうことで乗り切ったのも事実。

    と言っても、「MMT」が最後は「ハイパーインフレ」か「デフォルト」で政府の借金をチャラにしてしまえばいい、と無茶苦茶を主張している訳ではない。

   ずっと言って来たように「MMT」はインフレでない限りは、財政拡大による財政支出で、国民の雇用と社会福祉を充実させ、格差と貧困を解消することによって需要をつくり、経済を成長させることを目指している訳で、それが行われて、需要が喚起されて供給力を上回れば、当然、「インフレ」が起きる。

 そして、「インフレ」が起きれば、国債の価値が減少するなど、実質的に民間から政府への所得移転が行われる(これを「インフレ税」ともいう)。

 更に「インフレ」で景気が拡大すれば、とくに大企業や富裕層の懐が豊かになるし、そこから徴税する分も増やすことも出来る(あくまでも累進性のある所得税や法人税、富裕税などによる増税)。

また、こういう増税は「インフレ」抑止力としても働く訳で、これによって過度の「インフレ」を抑えつつ、適度な「インフレ」を持続させることで財政赤字を改善していく…インフレになるまでは財政拡大。インフレによって財政改善。これが「MMT」の基本的な考え方といえる。

     勿論、「インフレ」には、金融市場での国債や通貨のカラ売りなど投機的な理由によって起こる場合もあるので、そういう人為的な“悪いインフレ”を防ぐ方法なども必要になってくるし、国債の国内引き受けはいいが、他国での引き受けが増えた場合、つまり「対外債務」が増えた場合にはまた事情が変わるのも事実(因みに、「MMT」では、自国通貨発行権の他に、対外債務があまり多くないことも、理論が通用する国の条件にしている)。こういう点を考えれば、この「MMT」が絶対に正しい有効な方法とまでは、私も思えない。

    だが、今の世界の最も根本的な対立軸が、昔ながらの「右だ、左だ」とかではなく、「1% vs 99%」、「緊縮財政vs反緊縮」、「新自由主義vs反ネオリベ(これは同時に「グローバリズムの賛否」も含まれるが)」になっていることは理解してほしいし、もし後者、「 99%・反緊縮・反ネオリベ」の立場に立つのであれば、「MMT」は“主流派経済学”とまで呼ばれる今の新自由主義の経済学や政策に抗する有効な理論であるのは間違いない筈だ。

※photo by http://www.uft.org/galleries/photo/


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