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「役に立つ人間」と「役に立たない人間」…

 少し前のことになるが、テレビで見た相模原の障害者施設での大量殺傷事件の被告の特集が興味深かった。

    特に、この後半部分で、記者と一緒に植松被告に面会したという牧師さんの語った“植松被告は「自分は役に立たない人間ではない」ということを証明するために事件を起こしたのではないか”という言葉には得心するものがあった。

  植松被告自身が一時期、生活保護を貰っていたこともあって、自分自身を「役に立たない人間」と感じていたのはその通りだろうし、だからこそもっと「役に立たない人間=障害者」を殺して、「役に立つ人間」になろうとしたのだろうし、彼はそれをなし遂げて「役に立つ人間」になったからこそ、安倍首相に手紙を書いて自らの減刑を堂々と主張したのだろう。

 勿論、これに対する批判はこのテレビの特集も含めて、延々とされている。「人間を生産性だけで役に立つ、役に立たないと判断してはいけない」、「人間の生命にはそんなことでは判断できない価値がある」…云々、どれも間違いではないし、正しい。

 ただ、こう言われたらどうするのだろう……

 「でも、生活保護受給者や障害者など働いていない人に生産性がないのは事実だし、生産性がないんだから社会の役に立っているか、いないかって言えば、そういう人は役に立っていないじゃん」

 ……そう、それではこういう言葉に反論出来ていないし、実はこういう考え方をしている人が今のこの国にはもっとも多いのではないだろうか。

 それでなくても、日本は先進国の中でも生産性が低いと言われているし、実際、GDPも伸びず、経済も低迷している。だからこそ生産性のない生活保護叩きなどは当然の如く、行われているし、働けない障害者や高齢者への年金や社会福祉の削減にも大きな異論の声は上がらないのだろう。

「生産性」、正確には「労働生産性」というのは、経済学で労働によって商品やサービスといった付加価値を産み出す際の効率の程度を表す言葉。経済的に重要な指標であることは間違いないのだが、誰にとって重要な指標かを考えたことがあるだろうか?

 生産性が上がるという事は、少ない労働力でより多くの商品やサービス(付加価値)を生み出す訳だから、儲かるのは勿論、労働者を雇っている雇用主や企業ということになる。勿論、企業が儲かれば賃金が上がるという側面はあるにしても、もし賃金が同じならば労働者自身は生産性など上がっても、下がっても関係ない。それどころか生産性が下がってもサボっていた方が楽でいいとも言える。

 また、経済的に言っても、「生産性」というのは、あくまでも商品やサービスを作り出す「供給」側の指標であり、事情。それとは別に経済には商品やサービスを購入する「需要」側というのも存在する。この「供給」と「需要」の関係、バランスで経済が成り立っているのは、経済学に疎い方でも知っている筈。

 元々の話に戻れば、「生活保護受給者や障害者など働いていない人に生産性がないから、役に立たない」というのは、そう、あくまでも「供給」側から見た話。その反対側、「需要」側から見れば、生活保護受給者や障害者も食事をし、生活をし、それこそ障害者ならば誰かの介護を受けている訳だから経済的な「需要」は作り出している。つまり、「生活保護受給者や障害者など働いていない人も需要をつくり出すことで、役に立っているのだ」

 これは詭弁でも屁理屈でもない。例えば、税金を使う公共事業が「需要」と「雇用」を生み出すことで経済に乗数効果、つまり使った税金以上の効果を上げることは、あのケインズも証明しているし、生活保護受給者や年金生活者、障害者などが税金を貰い、使うことで「需要」と「雇用」を生み、経済に貢献しているのも同様の事実なのだ。

 生活保護受給者や年金生活者、障害者など働かない人、働けない人が「生産性」がないのは事実だが、「生産性」がない人が「役に立たない人間」ではない、という簡単な経済の理屈ぐらいは知っておくべだろう。

「役に立つ人間」と「役に立たない人間」という問題で、そもそもの人間の価値や生きる意味を問うたり、それを尺度に語ることは難しいが、こんな経済の理屈はちょっと考えれば誰でも簡単に判ることなのだから…。

※phot by 「NEWS23」スタッフノート

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