徒然道草(ツレヅレミチクサ)

現代社会は忙しい。
Windows95なるものが出現し
それまでオタクの触るものだったパソコンが普及し
インターネットというものが発達して
そこにスマホなんてものが出てきたおかげで
世界どこにいても、
休みの日だろうが深夜だろうが関係なく
それに振り回される。

はたまた振り回されるだけならともかく
交通手段の切符代わりとして、
また買い物の決済だの何だので、
もはや生活の必需品になってしまっている。

それを「国がそういう方向にもっていってる」
なんて言う人が多くいる。
僕もそう思っていた。

でもよく考えてみれば、
我々の生活の中でスマホを持たない、
手放している時間がどれほどあるだろうか。

もはや、スマホがないと不安。
何も調べられず、
調べる手段を失うことによる不安。

思い出してみると昔は図書館に通った。
もしくは本屋で立ち読みした。
買うお金がない時は立ち読みで頭に叩き込んで家に帰った。

電話帳を使った。
百科事典を見た。
新聞やテレビ、ラジオという
当時、他に類を見ない速さで情報を送る媒体に
釘付けになった。

地震が起きればテレビをつけ
停電になれば何が起きたかとラジオをつけ...

ここまでは懐かしい話で終わる。
じゃ、何が言いたいのか。

もっと前、江戸時代はどうだっただろう。

テレビもラジオもなく、
あったのは瓦版といったところだろうか。

情報はもっと統制され
知ることもままならず、
まさに吉幾三さんの「おら東京さ行くだ」の世界観だ。

だけど、さらにもっともっと遡って
鎌倉時代になったらどうだろう。

この時代に、歴史の授業で習った
鴨長明の方丈記なんてものが登場する。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
なんて冒頭で有名だ。

そして何と言っても有名な吉田兼好の徒然草。
徒然(トゼン)とか徒然(ツレヅレ)とかって
どんな意味かってわからなくて、
よくよく調べてみると「暇で仕方ない」みたいな...

やっぱりネット使っちゃってるじゃん...
って話ですが。

で、さらにこの徒然草。
あれ?この前言ってたことと違うじゃん、
みたいな一貫性がない。

よく捉えれば物事を多面的に捉えている
とも言えるんだけども
まぁそれはともかく

で、結局何が言いたいのかっていうと
この時代に情報を知る術など
江戸時代の比じゃなくて、
ほぼ無いに等しいって言ってもいいんじゃないかと。

よくそれで平気だったね、
どうやって生活してたんだろ
って思うけど、それが当たり前だから
知りたい人は旅にでも出れば良かったんだろうし
旅に出た人に話を聞いたりしたんだろうし。

そうすると旅に出て知りたいという気持ちが生まれる。
そんなこんなで江戸に入って
動機は違うかもしれないが伊能忠敬が
歩いて日本を回って測量して地図を作っちゃったりした。

その積み重ねがまさに現代で
人は好奇心旺盛だから知りたがる生き物で
政治の情報、経済、株価の情報、スポーツの情報、
芸能の情報、飲食の情報などなど、
常に情報を仕入れ続けなければ
欲求というものを満たせないんだと思う。

その究極が今のネット社会。
随筆や物語を書こうと思えば
こういったSNSのようなものに書けば良いわけで
それを読みたい、知りたいと思えば
探しにきて
すぐ知ることができる。

どこかで天変地異が起きたといえば
スマホで情報が見られる。

早い話、やはりケータイ、スマホがないと
なかなか生きづらい世の中になりつつあるということだ。

それだけ人は知識を欲する。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
だから仕方ないのだ。

だが、問題はツレヅレなる時間がないことだ。
だからこそ、こういった取り留めもない文章を書くことで
自らツレヅレなる時間を作るという作業が必要だと思う。

今の現代人に足りないのは時間だ、と言われる。
確かに10年、20年前の10倍以上のスピードで
日々の作業をこなし続けている。

パソコンとケータイがあるから
それができてしまうのだ。

だったらその分どこかで強制的に
ツレヅレなる時間を作るべく努力をすることも
絶対的に必要なんだと思う。

方丈記の冒頭を見てみると

すごい家を建てても何十年もすればなくなるし、
そもそも人ってなぜ生まれて、なぜ死んでいくのか
そんな住居もはかないこの世の一時的な住居なのに
なんで豪華な出来栄えにするのか...

なんてことが書いてあって
悟り開いてる感がすごいんですけども。

でもおっしゃる通り。

だけど現代人、
いろいろ知りたいし
良いモノ着たいし
良いところに住みたいんですもの。

ということで初めてのnoteデビュー。
さっ仕事だ。

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