日本ベッドの歴史(4):戦後~高度成長期のカタログ
手づくりのポケットコイル
1946(昭和21)年、社名を「日本ベッド製造株式会社」とした日本ベッドは、進駐軍、官庁、ホテル、船舶運営会など、大口の取引先を得て、地道に商いを広げていきました。
まだ生産設備機械が凍結されていた時代で、マットレスの中身のスプリングはほぼ全て手づくり。スプリングユニットは、糸で刺してまとめる方式でした。
ポケットは農業用の寒冷紗と呼ばれるような平織りの綿布を糊付けして、ミシンで縫っていました。
コイルは手巻きのストレートな形で、ポケットから飛び出て来ないよう、口の部分は麻ひもで十字に縛ってあったそうです。
残念ながら、当時の詳細な製品写真は残っていません。
何しろ「マットレス」を使う睡眠スタイルそのものが珍しかった時代のこと。
スプリングの製造方法で細かく区別していたわけではなく、おおまかに、パンヤ入りマットレス(カポックを詰めたマットレス)か、あるいはスプリングマットレスか、という認識で捉えられていたようです。
1950年代のカタログ
機械の凍結も解除され、工業国へと舵を切った1950年代。住宅金融公庫設立、公営住宅法制定、住宅公団設立と、日本政府は大きく住宅政策を打ち出しました。これらの政策に合わせるように、日本ベッドは国内のベッド市場を切り拓いていきました。
こちらは1950(昭和25)年頃のカタログです。
表紙を見ると、主な納品先は、進駐軍や、官庁、ホテル、船舶装備などであったことが分かります。船舶用品、船内インテリア工事などは、1949(昭和24)年に「日本船舶装備株式会社」を設立して担っていました。
同じくこちらも1950年代と思われるカタログの表紙です。
建物は当時の本社屋です。大田区池上の旧町名「堤方町」で住所が記されています。事務所の裏には工場が併設されていました。
事業を発展させ、寝具、製綿、羽毛と各担当部門を立ち上げ、横浜にも工場を持っていたようです。
こちらも1950年代のカタログ。表紙が二色刷りになりました。
前回、写真でお見せした「マットレスフィラー(自動マットレス装填機)」が表紙に掲載されています。
マットレスフィラーは、袋になったマットレスの表地の中に、中身を詰め込む機械です。当時はとても珍しかったようで、中面でも「東洋唯一の自動マットレス装填機」と紹介していました。
電気洗濯機、冷蔵庫、テレビが「三種の神器」と呼ばれた時代。
この頃のカタログは、製品内部まで細かく図解していました。先駆者として啓蒙に努めていた様子が窺えます。
病院用、宿直施設用、子ども用ベッドから、戸棚付き、折り畳み式と種類も様々。
「頭部パネル」つまり「ヘッドボード」も、多種のデザインのものを用意していました。
当時のマットレスは、主に「スプリングを使っているかいないか」の区別が大きかったようです。
最高級とされたのは「スプリング入り」。ポケットコイルか、連結式スプリングかの二種類ありました。
スプリングを使わないものは、パンヤ(カポック)入り、または綿入りなどの材料を詰めたものでした。日本の「文化生活」に合わせた、藁入りの三つ折りタイプのマットレスもあって、当時は「三つ折りふとん」と称していました。
この頃は、上に載せるマットレスのつくりが今ほどには洗練されていなかったためか、いわゆる「ダブルクッション」のベッドが主流。今でいう「ボトム」にスプリングを一段、二段と仕込み、「現代世界の一等」として販売していました。
特徴的なデザインのベッド
1951(昭和26)年のカタログに、いくつか特徴的なデザインのベッドが掲載されています。
こちらはヘッドボードにボタン留めを施した最高級品。両脇には「スタンド」がコーディネートされていました。
和室、洋室どちらでもお使いいただける商品として販売されました。
こちらは和室での生活を意識したデザイン。当時の日本の「文化生活」に便利なよう、折り畳みの脚を使った家庭用の普及品でした。
総桐の数寄屋風。和室に置かれることを意識した竹張りのデザインです。
当時の最新型で、木枠のないタイプ。「ハリウッドベッド」と呼ばれました。和洋室いずれにも調和するよう、カラースキーム(色彩計画)に基づいた企画が練られていました。
こちらも残念ながら、カラー写真は現存していません。
こちらは少し進んで1960(昭和35)年のカタログから。
巷は1964年の東京オリンピックに向けた、ホテルの建設ラッシュの頃。高度成長期で余暇時間は増加、レジャーブームが起きていました。
納品先でフルメイキングされた状態で撮影されたベッド。ヘッドボードの前で、枕は綺麗にくるまれ、二段重ねになっています。
ナイトテーブルには何かのパネルスイッチが見え、ライトスタンドが置かれています。
ボトムスプリングの上にマットレスを載せた、いわゆるダブルクッションタイプ。
当時はまだこのタイプが主流でした。