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美とは『二次的現実』 私たちが身に付けている美意識は、人為的に作られた『二次的現実』の一部である

本論では、『私たちが身に付けている美意識は、人為的に作られた『二次的現実』の一部である』場合があることを、先に提示した「Ⅰ.」「Ⅱ.」の論考をもとに示してみたいと思います。

●なぜ日本人は悲しみを抑え平静を装うのか:芥川龍之介の短編「手巾」 映画「この世界の片隅で」
芥川龍之介の短編「手巾」には、自分の子どもを病気で喪ったことを話しながらその悲しみをまったく外面には現わさず、微笑みさえ浮かべ完全な平静を保っている母親が登場します。主人公の(やや俗物である)大学教授は、その母親のあまりの平静さに不思議さを感じつつ、ふと落とした団扇を拾おうとした際にテーブルの下でその母親の手が激しく震えており膝の上の手巾(ハンカチ)を堅く握っていることに気が付きます。
『婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。』と、教授は強い感動を感じるのです。
(短編「手巾」の最後には皮肉な展開が控えているのですがここではそれには触れません。)
 
2016年に公開されたアニメーション映画「この世界の片隅に」には、太平洋戦争の終戦-敗戦を告げるラジオの玉音放送を主人公の「すず」が家族や近所の人たちと聴く場面があります。玉音放送を聴き終わると「すず」の気の強い義姉は「戦争が終わりせいせいした」といった感想を言い放ち平静を保ちその場を離れるのですが、その場面のすぐ後の、平静を保っていたはずの義姉が物陰に隠れ慟哭し戦争で亡くした幼い娘の名を叫んでいる短い描写に、映画の観客は強く心を揺さぶられます。
 
私たち日本人には『悲しみを抑え平静を装う』かつ『その抑えられた内心の悲しみをふと見出すと感動してしまう』という美意識があるみたいです。
本論では、このような日本文化に自然にあると思われている美意識が「人為的に作られてきた感情」のように(も)見えることを示したいと思います。

●能:外的な表現を抑えることで却って深い感動を表現
ここで「Ⅱ.」でも見て頂いた能の表現手法を見ていただきます。
世阿弥が円熟期に記した「花鏡」には、外的な表現を抑えることで、却って深い感動を観客に与えられる境地が記述されていました。

【動十分心 動七分身】には、師の教える動きをよく極めその上で動きを抑える。年老いて若さが失われる中、内心の緊張を上げつつ、身体的な動きは抑制し、面白味となり観客に伝わる境地がある、と記述されています。また

【万能綰一心事】には、何もせずじっとしている隙(ところ)が何とも言えずおもしろい、そのような境地がある。能役者の内心の緊張が保たれ、油断無く心を繋がれることで、それが外に匂いておもしろい。その内心も「無心の位」にて演じる自分にも隠すように繋ぐべしと、という記述があります。
 
世阿弥の時代、能の観客であった当時の知識階層においては古典注釈や和歌の学による古典文学に対する関心と理解が相当高い水準に達していました。また能という芸道は数十年にわたり将軍周辺の支配層の厳しい審美眼に鍛えられ続け、能の表現も「単なる身体の動きの華麗さや優雅さの競争」を超えある種の芸の極限にまで達していたのかも知れません。
 
ともあれ世阿弥は「外的な表現を抑えることで却って深い感動を表現されるという美の手法」を編み出し、それは当時の厳しい審美観をもつ将軍周辺の人たちに受け入れられ、当時の最高の芸術表現である能の奥義の美となったようです。
 
さて
【動十分心 動七分身】【万能綰一心事】も、「演じる側の 最高の芸の境地」『観客の側の 最高の芸を見極める眼力」の、演者と観客双方の高い芸術レベルが揃わずには成立しません。
そして能を演じる側には
「この深い芸の境地が伝わりますように」との『期待』の祈るような心、
観客側にも「深い芸の境地が現れますように」との 『期待』の祈るような心があり、
能の舞台に深い芸の境地が現れたときには「深い芸の境地が現れた」という『驚き』『歓喜-讃え』の感情を演じる側も観客も享受したと推測します。

先に「Ⅰ.」でも以下の図で示したとおり、

この『期待』と『驚き」とは
『神意を伺う宗教儀式において神意が降りてくるのを祈り待ち-予期し、神意が降りた瞬間に心が動く-驚くことに似ている』
のでした。
 
先の「手巾」「この世界の片隅で」で見たように、
私たちは一見平静で何とも無さそうに見える、その背後にある悲しみを発見したときに『驚き』感動するところがあります。また、その延長上には
自分の内心の悲しみを隠して外面には平静を装いつつ、その悲しみを誰かに理解してもらったときに救われたような気がすることもあるのではないでしょうか。

例えば「『いき』の構造」で九鬼周造は『いき』の三つの表象として異性に対する「媚態」・「意気地」・「諦め」を挙げています。「媚態」は「なまめかしさ・つやっぽさ・色気」などであり「意気地」は「江戸の意気張り・辰巳の侠骨」など、そして「諦め」とは『魂を打込んだ真心が幾度か無惨に裏切られ、悩みを嘗めて鍛えられた心がいつわりやすい目的に目をくれなくなる』境地です。
『婀娜っぽい、かろらかな微笑の裏に、真摯な熱い涙のほのかな痕跡を見詰めたときに、はじめて「いき」の真相を把握』し得るのです。
フランスに留学し彼の地で哲学を修めた九鬼周造は、西洋には無い日本独特の美意識を表現すべくこの「『いき』の構造」を著したのでしたが、
九鬼周造の「いき」には『自分の内心の悲しみを隠して外面には平静を装いつつその悲しみを誰かに理解してもらったときに救われたような気がする』に近いものが感じられます。
「いき」に振る舞う人は、心の中のどこかに「この自分の深い悲しみを分かってくれる人がいますように」との『期待』の祈るような心があり、
「いき」な人の傍にいる人は「この強く振る舞っている人にも深い悲しみがあるに違いない」-『期待』、「この人の過去の深い悲しみを知った」-『驚き』とある種の『讃え(歓喜)』の感情を感じるのではないでしょうか。

繰り返しますがこの感情は『神意を伺う宗教儀式において神意が降りてくるのを祈り待ち-予期し、神意が降りた瞬間に心が動く-驚くことに似ている』のです。

先の「手巾」「この世界の片隅で」で見たような美意識、
・一見平静で何とも無さそうに見える、その背後にある悲しみを発見したときに私たちは『驚き』感動する美意識

・自分の内心の悲しみを隠して外面には平静を装いつつ、その悲しみを誰かに理解してもらったときに救われたような気がする美意識
これらは物語の中だけの話でしょうか。
私の記憶とか感触では・・・少し前の昭和の時代、更に現代でも『察するコミュニケーション』として社会生活の中で必要とされる美意識-感覚と思われるのですがいかがでしょうか。
 
さて、このような『察するコミュニケーションの源流とも見える美意識が室町時代の能の文化にはある』ことを見て頂きました。世阿弥の時代の後、能の文化は武家を中心に色濃く受け継がれていきました。豊臣秀吉は一時は能にのめり込み周りの人たちは大変だったようです。能は江戸幕府により正式に武家の嗜むべき「式楽」に定められ、江戸時代には能は武家の必須教養となります。武家以外の商人町人など庶民にも能のセリフの部分である「謡曲」が大いに流行り、また能で取りあげられた物語は歌舞伎や落語に影響を与えるなどして、能の文化と美意識は武家もそれ以外も含む広い階層に伝搬していきました。
その過程で、『内心の悲しみを隠す』『隠された悲しみを発見したときに深く感動する』『隠した悲しみを喝破されたときに救いを感じる』などの美意識が伝播し醸成されていったことは(本当は精査が必要ではありますが)おおいにありそうな感じがします。
私たちが「日本独特の文化、美意識」と思っているものも、もしかすると能などのメディアに取り上げられ醸成され、それを広い階層の人たちが堪能し、歌舞伎や落語など他のメディアにも乗り換えられ更なる醸成を経て作り上げられた、非常に人工的なものかも知れないのです。
 
●なぜ日本人は「儚い恋の物語という類型」を好むのか:イルカ「なごり雪」

1975年にシンガーソングライターの「イルカ」が歌い大ヒットした「なごり雪」(「かぐや姫」原曲)。若い恋人たちの春の別れ、儚い恋を淡々と歌い上げた名曲です。恋人との別れに「ぼく」はおそらく張り裂けそうな悲しみを抱いているのに歌詞にもメロディにもそれは表現されず、ただ、春が来て彼女が「去年よりずっときれいになった」と繰り返すのみです。この歌も、「表現を抑え」「内心の悲しみを自分自身にさえ隠すことで、かえって外に大きな悲しみが匂い出る」表現と言えます。
一方で、「なごり雪」のような悲しい恋の歌が日本には結構多いようです。昭和の日本レコード大賞受賞曲を見ると昭和50年 「シクラメンのかほり」(布施明)、昭和51年 「北の宿から」(都はるみ)、昭和52年) 「勝手にしやがれ」(沢田研二)などが目立つところです。もちろん昭和57年受賞曲の「北酒場」(細川たかし)など、明るい曲も日本人は好みます。また西洋にもシューベルト「冬の旅」のように悲恋を題材にした芸術は多いです。しかし日本には悲しい恋の歌を好む大きな潮流があることは言えるでしょう。
ちなみに「菊と刀」でアメリカ人ルーズ・ベネディクトに「日本の小説や戯曲にはハッピーエンドが殆ど無い」「日本人は悲劇的な最期を迎える主人公、殺される美しいヒロインに涙するのが好き」と記されていたりもします。
 
さてⅠ.の最終あたりで記しましたように
「北の宿から」:不在の「恋しいあなた」に届かぬ思いを送り続ける、女心の未練-満たされぬ思いの美が表現され
「シクラメンのかほり」:出逢いの頃の記憶と呼び戻すことのできない美しい時間を讃える、淋しさと欠落の美が表現されておりました。
この両者および「なごり雪」には、Ⅰ.の以下のページで記しました
古今和歌集及び和歌-王朝文化の『いまはこの場に無い-あるべき完全な美を想起する、「嘆き、惜しむ」美意識』
に似た「儚さの美」「儚い恋の美」が描かれているのです。

古今和歌集以降の和歌-王朝文化、そしてそれを継承する能などの文化にもこの美は継承されているのですが
「なごり雪」の儚い恋の歌の美は『古今和歌集で規定されたいまはこの場に無い-あるべき完全な美を想起する「嘆き、惜しむ」美意識』の継承
のように見えます。
精査と検証が必要ではありますが、千年もの遠い昔に人工的に設定された美意識の継承が昭和の歌謡曲の中核に息づいているように見えるのです。
 
なおⅡ.に掲載させて頂いた
「古今和歌集の規定した『恋のあるべき姿』(基本設定)」を詳しく見ますと以下のように神霊に対する宗教感情にも似た『予期』『驚き』『救い』『鎮め』『滅ぼせ』のD表現としてよく符合することがわかります。
この図を見ると、古今和歌集のフォーマットに従い『恋のあるべき姿』を
歌うことは、神霊に対する予期・ 驚き・救い・鎮め・滅ぼせ等の宗教メッセージの代替行為であった
かにも見えます。
古今集に則り『恋のあるべき姿』を歌うことは、宗教的な祈りに似た深い慰安や高揚をもたらしたかとこの図は示しているものですが、

古今集の場合に倣って考えるならば
昭和の歌謡曲、「なごり雪」「しくらめんのかほり」の儚い恋の美を歌うことは、宗教的な祈りに似た深い慰安や高揚をもたらしている部分があるかと推測するものです。
 
以上、 
・一見平静で何とも無さそうに見える、その背後にある悲しみを発見したときに私たちは『驚き』感動するとか
・自分の内心の悲しみを隠して外面には平静を装いつつ、その悲しみを誰かに理解してもらったときに救われたような気がするとか、
・昭和の歌謡曲などの典型的な悲しい恋の歌に感動してしまうなどは、
能や古今和歌集などの芸術芸道で人工的に規定された美意識が、今に至る私たちの美意識を規定している現われ かに見えることを見て頂きました。
 
●人工的に意図され作られたかに見える芸術作品も:平家物語
さて芸術芸道で人工的に規定された美意識が、今に至る私たちの美意識を規定している場合があるかに見えることを見て頂きました。
これとはちょっと異なりますが、歴史を遡ると文学作品そのものが人工的に、明確に意図をもって創造された例を見ることができます。
中世の国民文学の代表と言えそうなあの「平家物語」は、現在のように文学者が個人として執筆した物語では無い、という説があります。
 
歴史を紐解くと平家物語の時代には死者の怨霊を弔うことは天皇や上皇、将軍家も重視するなど現代では想像もできないほどの重要性を帯びていたことがわかるのですが「平家物語の編纂」は「鎮魂」のための社会的なプロジェクトであったようなのです。
保元の乱以降の膨大な死者の怨霊を弔うことを目的に、慈円は承久の乱の後に仏法興隆の道場大懺法院を再興したのですが、平家物語は平氏の御霊を鎮魂する目的で、その大懺法院の人々により作られた物語のようなのです。
*「日本の中世7 中世文化の美と力」(五味文彦先生他)を参考にさせて頂きました。
その後平家物語は中世の芸能として琵琶法師により広く語り継がれ、更に能などにも題材として取り入れられるなどして、国民文学と言われるほどに普及し「平家の最期」は広く長期にわたり美しく語り歌われることとなり「平氏の怨霊の鎮魂」というプロジェクトの目的は十全に果たされたようです。ちなみに近年では令和になってから美しくアニメーション化もされました。
 
平家物語の他にも、例えば後白河法皇その他の中世日本の支配層により作られた絵巻物には、宗教-呪術-政治的な意図と効果があったようなのです。私たちが「芸術」と理解しているものには想像以上にいろいろ深い秘密が込められているみたいです。 
 
●『察する文化』それは過去の遺物ではない
さて、先の『察するコミュニケーション』の美意識、具体的には
・一見平静で何とも無さそうに見える、その背後にある悲しみを発見したときに私たちは『驚き』感動する美意識
・自分の内心の悲しみを隠して外面には平静を装いつつ、その悲しみを誰かに理解してもらったときに救われたような気がする美意識 
は(先にも申し上げましたが)過去の遺物ではないように思えます。
 
例えば2020年にアニメ、漫画とも大ヒットした「鬼滅の刃」を見てみます。
大正時代の日本を舞台とした、人間を喰らう鬼たちと、人間を護り鬼を滅ぼす「鬼殺隊」との熾烈な闘いの物語です。例えば・・・鬼殺隊の戦力の柱の一人である宇髄天元は強気で威勢の良い普段は全く弱みを見せない漢(おとこ)なのですが、物語が進む中で彼天元の苦しい過去-忍びの家系に生まれ多くの人を殺めてきた過去を背負っており、自分たちは陽の下を歩けない許されない存在、死を賭して闘い償いをしなければならない存在だと思っていることが明かされます。
物語では「鬼殺隊」の当主-リーダーの産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)は優れた統率力に加え隊員の「悲しみ」を深く察知する人物として造形されています。鬼殺隊の隊士にとって産屋敷は「いつもその時人が欲しくてやまない言葉をかけてくださる人」なのです。産屋敷は天元たちに「様々な矛盾や葛藤を抱えながら君は、君たちはそれでも前を向き人の命を守るためにたたかってくれるんだね」「ありがとう 君は素晴らしい子だ」と告げ、天元たちはその言葉に救いを得る場面があります。
大ヒットしたエンタテインメント作品の中に『察するコミュニケーション』の美と救済は色濃く継承され深い感動を生み続けているのですが
私の感触では現代の社会生活の中でも『察するコミュニケーション』は継承され必要とされている美意識-感覚と思われるのですがいかがでしょうか。

●『察するコミュニケーション』には問題があるけれど
さて、この『察するコミュニケーション』『察する文化』とは閉じられた・価値観や美意識を不文律として共有する・高コンテキストな集団でのみ機能するものと思われます。
現在、世界は開かれた組織・明文化され明確な価値判断基準を掲げ・年齢性国籍文化まで含め多様性を前提とする方向に向かっているかに思われます。
また『察する文化』という言葉から「空気を読む」という言葉や、息が詰まるような閉塞的なものを感じる人もいるでしょう。『察するコミュニケーション』『察する文化』には美しい要素も多々ありますが、同時に日本の未来に携えていくにはふさわしくない古い改めるべき要素も多々あるように思えます。『悲しい恋の物語の類型』も、美しいと同様に未来にふさわしくない要素があるような感じもするのです。
一方で
『察するコミュニケーション』や『悲しい恋の物語』において喚起される『予期』『驚き』『鎮め』『救い』に関わる感情は、宗教的な祈りに似た深い慰安や高揚をもたらしている部分がある可能性を示しました。
これら、「広義の祈りの代替」のような美意識や文化、コミュニケーションを一掃することは、何等かの、宗教的?な不安、実存を脅かすような事態に繋がるような気もするものです。
ここにおいて、Ⅱ.の主張の繰り返しになりますが、
『予期』『驚き』『鎮め』『救い』等に関わるような『D表現としての生活文化』は今の日本人の個人の-集団の-国家レベルの無意識を動かし、それは良きことも悪しきことも世に引き起こしている、日本人-日本文化のOS(Operation System)のように思えます。
時代が大きく変わろうとしている今のタイミングで、この日本人のOSを精査し再プログラミングする必要がある
かに思えます。『察する文化-コミュニケーション』の検討もそのOSの精査の一環で行われるべきと思うものです。
 
以上日本文化とその『美』に関してはまだまだ・・・様々な掘り下げが必要と思われるのですが、とりあえず本論はここまでとさせて頂きます。
ありがとうございました。

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