祖父と人生をバトンタッチした人
みなさんこんにちは。
合同会社貴香の西村です。
実は先日誕生日を迎えましてめでたく30歳になりました。
おめでとうありがとう!(セルフ祝福)
皆さんは自分が生まれた時のこと、ご存じでしょうか?
ご両親から「こうだったんだよ~」と聞いてる方も多いかもしれませんね。
私は自分の誕生日が来ると、父方の亡祖父のことを思い浮かべるんです。
私に祖父の記憶はないのですが・・・
理由は生後5日目に祖父が亡くなったためです。
30歳という節目なので、今回は自分が生まれた時のことを書き綴ります。
興味ない?まぁそう言わずに^^
どうぞお付き合いください。
待ち望まれていた私
私は長女で、祖父にとって初めての内孫(自分のあととりから生まれた子供)でした。
うちの両親は当時にしては結婚が遅かったこともあり、私が生まれてくるのを祖父は相当楽しみにしていたようです。
そして2月も終わる真っ昼間に私は生まれました。
へその緒を首に2回も巻きつけて、お尻から生まれて出て来たそうです。(逆子)
自然分娩ですが、今なら即帝王切開出産でしょうね・・・。
その頃、祖父は
末期の胃がんを患っており、病院で終末期医療を受けていた祖父。
私が生まれた日あたりから状態が悪く、遠方の親戚も駆けつけていたそうです。
産後5日目で退院した私と母はすぐ祖父の元に連れていかれました。
この時はすでに祖父は危篤状態。
私たちが到着するまで「もうすぐ(私)に会えるからね。」とみんなが励ましていたそうです。
到着した時はすでに会話もままならないようでしたが、母が祖父に声を掛け私を抱かせると祖父は少し目を開けて返事をしたそう。
しかし、その日のうちに祖父は亡くなりました。
私は予定日より2日早く生まれたので、あと1日でも遅かったら祖父と対面できなかったと思います。
出生届と死亡届を同時に提出した父
当時の事を父は「あまり覚えていない」そうですが、それはそうだと思います(遠い目)
自分の子どもが生まれそうな時に、自分の父親が天国に行きそうで
自分の子どもが生まれてすぐ、自分の父親が亡くなったのですから・・・
役場には私の出生届と祖父の死亡届を同時に出したとのこと。
役場の方も気の毒だったでしょう・・・
その節は本当にどうも・・・
父だけでなく母も祖母も、親戚中が大変だったと思います。
祖父から任命されたこと
私と祖父が同じ時間を生きたのはほんのわずかでした。
そして、今から5年前に「あ、これは人生をバトンタッチしたじーちゃんから頼まれた事だったのかも」ということがあります。
それは「ばーちゃんを頼んだゾ」
尚、これは私の勝手な想像です。笑
祖母とは生まれた時から同居していましたが、祖母に何かあるときは不自然なほど、必ず私がいるタイミングで起こりました。
当時シフト制で働いていた私は休みも生活リズムも不規則だったのに・・・
事故にあった時も、心不全で倒れた時も、5年前に亡くなった日も全て私と一緒に居たとき。
亡くなる直前、最後に祖母と言葉を交わしたのも私でした。
祖父が亡くなったのは69歳。
まだ祖母と一緒にいたかったでしょうし、いるつもりだったと思います。
しかし早すぎる死を迎えた祖父は「自分の代わりにばーちゃんをよろしく」と私に任命したのかもしれません。
祖母に死に化粧までした私はその任務を全うできた・・・はず。
自分の名前に込められた意味
極端な話、悲しみの中に爆誕した自分。
名前は父が考えてくれたそうですが漢字には「涙が少ないように」と込められた字も入っています。
姓名判断では総格32画で三大吉数の中でも1番良いらしく、社長に1番多い画数と聞きました(真相やいかに)
ありがとう父!
会社設立秘話
実は会社の設立(登記)は祖父の命日にする予定でした。
しかし手続きの関係で4日遅れ、それは叶わず。
ひそかに悔やんでいることです。
もうじき会社設立1年を迎えます。
こちらの記事でも書きましたが、大工だった祖父も大好きだったものづくり。
そんな祖父に人生をバトンタッチされた(?)孫として日本のものづくりの発展のために尽力したいと思います。
今日のブログはここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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