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車の不自由な人

都会の人には想像もつかないくらいに、地方住みにとって車は必需品だ。
どれくらい必要かというと、車を持っていないと、「車の不自由な人」扱いをされるくらいに持っていて当たり前な状況だ。

「俺、車持ってないから」
「え……」
みたいになる。

それはもちろん公共交通機関がひじょうに貧弱なことが原因だ。
地方に生まれると、18歳で車の免許を取るまで徒歩と自転車で移動できる範囲が世界のすべてになる。
そこから外の世界は、親に車で連れて行ってもらうことでしか基本的に行くことが出来ない世界だ。私は若い頃に数年首都圏で過ごしたが、小学生が山手線で通学しているのを見て言いようのない断絶を味わった。
この環境で生まれ育ちたかった。心の底からそう思った。
地方で徒歩と自転車で移動できる範囲には、文化的なものはものすごく少ない。それも自分から意識的に動き回らないとその希少な存在に気づくこともない。地方で育つというのはそういうことだ。

「子供は地方でのびのびと育てたい」という考えもあるだろうが、地方で育つというのはすごく貧弱な環境で狭い世界で育つということだ。
18年間に接することのできる文化的資本は、都会と絶望的な断絶がある。
そして、頭の良い子供は18歳で都会の大学に進学する。
そこで絶望的な落差を経験する。これを乗り切るのはものすごく大変だ。

とにかく、地方においては車が絶対的必需品だ。
人口密度の低い土地で、車その速度でもって時間と空間を圧縮する。それによって半径数十キロの範囲を自分の自由な移動可能範囲に変換し、得られるものを(多様さとレベルはともかく)とても多くする。
18歳になったら地方の子供は親から金をもらってでも免許を取り自動車を手に入れる。それが地方人にとっての基本的人権に相当するものなのだ。

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