その悩み、ホントに共感できない?その1


最近寒いですねー、シロクマでーす。

今回は、かなり個人的な感覚で「セクマイの人がセクマイと関わるメリット」について書きたいと思います∩^ω^∩

セクマイの方々!特にセクマイの中でも"珍しい"セクマイの方。自分に対してこんな風に思ったことはありませんか?

「こんなセクシャリティを持ってるのは自分だけだ…この私の孤独が誰にわかるものか…(T ^ T)」

アカデミックに"セクマイ"の話をすると99.9%の確率(体感)で「理解」という言葉がセットで出てきます。

理解とは、その場その場で意味合いは違うかもしれませんが「物事の性質を知ること、分かること」という意味合いの言葉です!

例えば、「ゲイとは男性の同性愛者である」、「レズビアンとは女性の同性愛者である」、このことを知っているのなら、ゲイとレズビアンの定義については「理解している」と言えるのではないでしょうか?

昨今は昔と比べてセクマイに対する「理解」が進み、(地域や年齢、宗教などによって違うかもしれませんが)世の中の同性愛者やトランスジェンダーへの「理解」が広まっているように感じます♪( ´▽`)(それでも、まだまだセクマイの人が悩む要素は多分にあるように思われますが…)

ただ、あまり世の中に認知されていないセクシャリティや人数が極少数のセクシャリティについては、やはり世の中の理解がないように思われます…(存在そのものを社会が知らない、認知していないので当たり前ですが)

そんなことをふと感じた時、極小数と思われるセクシャリティの私は、最初にセクマイのみなさんに問いかけたような気持ちになったものでした(´ー`)

特に、多感な時期である思春期には、その孤独による私の乱心ぶりは凄まじいものでした。何も知らない両親に、「この苦悩は俺の口からはとても(理解されないことを考えると怖くて)言えないから察しろ!」というかぐや姫もびっくりの難題を言葉にすることなく態度で示し、何かしら思わせぶりな態度をとってはチクチクと両親にプレッシャーをかけることが日課となっていました。

母「○○(私の本名)くん、何か悩みがあるなら言って欲しい、どうしてそんなに元気がないの?」
シロクマ「え?いや全然大丈夫よー笑、悩みなんてないよー笑」
母「そう?ならいいけど」
シロクマ「…はあ」ここぞとばかりにため息をつく
母「…本当に大丈夫?」
シロクマ「え?なにが?」
母「いや、ううん…ごめんね」
シロクマ「…はぁあ」再びため息
母「…」

当時の私の面倒くささは、今思い出すと悶絶してしまうくらい恥ずかしく、なかなかに拗れたものでした。こんな私をちゃんと愛情を注ぎ育ててくれたのだから、両親はとても立派な人だと思います( ´_ゝ`)

そんな私も無事?大学生になり、ある出来事を境に、この孤独によるストレスから(多少は)解放されることができました。

その2に続く