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10年ひと昔

10年ひと昔っていうけど
まだ私には昔と呼べるほどじゃない


2012年6月14日 午後8時40分過ぎ
母が息を引き取った

20年近く
自分のことよりも母に時間を費やしてきた

離れたいと思ったことは何度もあった
同じ話ばかりもう聞きたくないと思ったこともあった
恨んだり、憎しみをもったり、したこともある

でも、最期の時を母と静かに過ごせたこと
最期の時まで私にできる限りのことができたこと
「あなたの娘でよかった」と伝えられたこと
色々あったけど、
10年という年月の間に
自分のしてきたこと、通ってきた道を
やっと認めることができたような気がする

何度も聞かれた質問
『なぜこんなにも自分を犠牲にして
親を介護しているの?』

質問されるたびに考えたけど
自分でもハッキリわからなかった

今でもコレだ!と思うような理由はみつからないけど…

私が中学生の頃 父が家を出ていった
弟と私はどちらを選ぶよう言われたけど、
どちらも好きだった私達には選べなかった

 交互に父と母のところに分かれよう

教科書や制服など最低限のものを持って
数ヶ月毎に交互に父と母の間を移動した


そんなある日
私は父のところに一人でいた
夜 とても温和で小柄な母が
突然父の家に来た

何も言わず、靴も脱がずに
部屋に入ってくるなり
食器棚のガラス戸を割り
包丁を片手にペッドやカーテンを引き裂いた

目の前にいるのは母に間違いはないけど
別人のようでもあり
止めることもできず、呆然と見ていたような気がする

その後どうなったかの記憶は定かでない
けど、あの時の母は忘れられない

こんな風にもう二度と母を苦しめたくない

その思いだけが私の中に深く刻まれたんだと思う

その後ゴタゴタが続き
私自身にまで被害(身体的ではない)がでるようになり
好きだった父に私達と同居女性のどちらを選ぶかと迫り
ハッキリと答えを言わない父とは別れることにした

夜になるたびに泣く私の側に居続けてくれた
ポメラニアンのごんべ
父と離れると同時に、ごんべとも離れることになった


こんな話を書くつもりじゃなかったんだけど
母を介護し続けたこと
いや、母の側にいたかったこと
それはもしかしたら、この一件が根っこになってるのかもしれない

そんな風に思えてきた


その後 何十年も離婚はしなかった
私たち子供が成人したら…と言いながらも
最後までしなかった

母は父が大好きで
父も母が気になり続けていたのかもしれない

とても不器用な関係で
決して羨ましいとは思わないけど
私自身のわだかまりも消え
数年前から同じ仏壇の中で写真を並べている

母は早くから認知症を患い
忘れていく記憶に恐れと苛立ちと焦りと不安で
いっぱいな様子の日記やメモ書きがたくさん残っている

頭では分かっていても
私自身も壊れていく母が不安で声を荒らげたことも何度もある

母と私のどちらが壊れたかの診断をうけに病院へ行き
医師の前で淡々と平静に対応している母の横で
泣きながら訴える私のほうが明らかにイカれていた

今ほど認知症の知識は
私も世の中にもなくて、親戚ですら言えなかった
ただただ弟と疲弊していくだけの毎日

役所に相談に行った時
「親は子供の面倒をみる義務はあるが、子供は親の面倒をみる義務はないから離れなさい」
そう言われ、母だって好きでこうなったわけじゃない!と無性に腹が立った

認知症の専門という医師と話した時
「まだらボケの今は大変だけど、完全にボケたら楽になるよ」
この言葉を聞き、この医師の元で診察を受けさせたくないと病院を出た

母が椅子から落ち骨折し、病院へ行った際
「手術をしリハビリという流れになるが、認知症だとリハビリができないから手術してもしなくても同じ」
そう説明する若い医師の言葉に涙と怒りと虚しさが湧き、様々なところへ相談した

私たちは諦めなかった
諦めたくなかった
認知症が直せなくても、進行を遅らせることはできるのではないかと
自己流ではあったけど、むちゃくちゃだったと思うけど
出来ることをやれるよう工夫をした20年間

私は仕事を辞め
子連れならぬ母連れで営業をして
自宅で仕事を始めた

母は絵手紙を書き始め
それをホームページにアップすることで
掲示板に書き込んでくれる方々へ手書きで返事を書いた

仕事だけでなく、
友人との食事会や飲み会、カラオケにまで
母と一緒に参加した

二人で家にいるときとは異なり
外に出て人と接することで
母も楽しそうだった
結果、進行はかなり抑えていたんだと思う

思い出し始めたら
大好きなエビフライや牡蠣フライを
美味しそうに食べる顔

道端の花や枯れ葉を「キレイキレイ」といって
拾ってはポケットにいれていた姿

「とりあえず行っとく!」
毎回そういっては、トイレにいく母の声

往診してくださった先生が毎回
寝たきりになった母を見ては
「仏様のような優しい顔ね」といい
ニッコリと微笑み、手を出す仕草


10年が過ぎても
私の中にはまだ母は生きている

ロイやハナコたちに囲まれて
温和な優しい目で 見ていてくれるよね

母の11回忌を迎える前夜
久しぶりに 何年かぶりに
母を偲び、涙がこぼれてきちゃった


今日も1日ありがとう
そして10年間見守り続けてくれた母に感謝


*** お陰様で6/15に1周年を迎えます ありがとう
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