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第3回 「コロナウィルスはわたし(たち)に何を伝えに来たと思うか?」 by 虹の朝子

コロナ禍で時間が止まったように思えても、季節は春から夏へと着実に進んでいる。暑い日と寒い日が交互に繰り返しているけど、時には気持ちの良い風の吹く日もあって、そういう日の散歩は心地よい。バッサバッサと重たそうに飛んでいる鳥はオナガかヒヨドリか。長い尾を上下に振ってチッチっと囀りながら軽やかに飛んでいくのはセキレイである。上の方で誇らしげに鳴く鳥があって、見上げると丸まっちい白い体を黒い燕尾服で包んだシジュウカラが電線に止まっている。シジュウカラは、寒い冬の間、雪で覆われた山々から里に降りてくる。山に行ってまた会えるかも知れないから、私にとってシジュウカラは嬉しい仲間である。

「君はまだ山に帰らないでもいいの?」...心の中で問いかける。

 コロナ禍によって家に閉じ込められていると、家の周りの自然が殊更に麗しく感じられる。自然の中には、木々や草花のように目に見えるものだけじゃなくって、本当は虫や細菌やウイルスのように目に見えないものもたくさんいる。目に見えるものと目に見えないものが調和して自然は成り立っている。コロナウイルスの蔓延による大きな被害も、自然からみればその調和が少し揺らいだだけのことなのかも知れない。しかし、人間の経済活動が僅か二月間止まったことで起きた自然環境の変化を見ると、人々の日常生活が自然に及ぼす影響の大きさに改めて愕然とさせられる。環境省のホームページによると国内の絶滅危惧にある動物種は3772種だそうである。
 とは言え、家に籠もって生活することは大変苦しい。苦しいからこそ、大気汚染を減らしてかつての気候を取り戻すことは並大抵のことではないとわかる。私たちは、どうすれば自然と調和して生きることができるのかなと考えている。

[追記]
 上の短い文章を書いたのは、6月5日のことだから、それから随分時間が流れてしまった。季節も変わった。いつまでも街にいるので心配していたシジュウカラももう近所では目にしなくなった。きっと今頃は上高地の山々のどこかで、誇らしく鳴いているに違いない。私もテントを背負って同じ山にいるはずだったのに、鳥は自由でいい。梅雨もそろそろ終わり、本格的な夏を迎えようとしている。家の周りの歩き回れる範囲に閉じ込められて時間を過ごしていると、何も変わらない様な気持ちになってしまうけど、それがある時、突然、季節が変わっていることに気づく。いつの間にか2020年も、もう半年を過ぎているのだ。数日前には、夏の終わりを伝えるひぐらしの声を聞いた。友人に「もうすぐクリスマスだよ」と言って笑われた。
 コロナウイルスの感染は第2波を迎えている。医者は危機を警告し、このまま放置すれば、一月後には新規感染者が1日4000人に達するかもしれないと言っている。数百人の新規感染者が毎日続けば、医療崩壊も目の前だと誰もが思っているし、医者も公式の場でそう言っている。それをよそに、「Go to トラベル」などと流暢なことを言っている国である。小池百合子風に言えば、このままでは「Go to トラベル」というよりは「Go to トラブル」だろう。庶民の生命と生活を守るためにというよりは、国は誰かの権益を守るために浅薄な考えで行政を行なっている様に見えてならない。あるいは、自身の政治生命に関わるから一度言い出したことを撤回できないということか。何はともあれ、本当に困ったことだ。
 都民を守る責任のある小池百合子都知事も施策がころころ変わり、本当に都民のことを考えているとは到底思えない。そう言えば「都民ファースト」というキーワードもこの人の名キャッチフレーズだった。しかし、小池百合子の本音は「都民ファースト」というより「百合子ファースト」であろう。自分をどれだけ輝いて見せられるか、それだけを考えてると思えば、この人のこれまでの行動はいちいち納得ができる。この人は政治家になるべきではなかったのだ。コピーライターにでもなっていれば、糸井重里と肩を並べたかもしれないのに。皆に愛される輝かしい人生を送れたかもしれないのに。 
 何はともあれ、国も都もあてにはならないし、かと言って、すぐに、首をすげかえるわけにもいかない。一人ひとりが自分の問題として、この難しい時期を乗り切るために知恵を絞り行動していくしかない。かつてのスペイン風邪の流行を振り返ると、第2波の方がより厳しく死者の割合も多いのだ。さて、どうしましょうか?

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