見出し画像

アンメット ーある脳外科医の日記ー  

漫画アプリで何気なく目にして読み始めたアンメット(大槻閑人・子鹿ゆずる)
まだまだ途中ですが、感じるところが沢山あるのでしたためておきたいと思います。

郊外の機関病院で脳外科医として働く空気を読まない三瓶友治が主人公。

三瓶や、彼と同じ病院で記憶障害を抱えながら脳外科医として働く川内ミヤビの言葉にこんな先生たちが本当にいてくれたらいいのにと思いつつ読んでいます。


当事者の想い

てんかん発作の患者が夜勤を減らして欲しいと会社に頼んだところ特別扱いはできないと言われ、三瓶とミヤビが上司と話し合う場面があります。

患者が夜勤をしないと他の職員に負担が行くこと。
そして、そうなると本人も居心地が悪いだろうし組織にとってもマイナスだから患者だけを特別扱いはできないという上司。
それに対してミヤビが言います。

障害のある人達は特別扱いしてほしいわけじゃないんです。
むしろ…同じ扱いをしてほしいと思っています。
私も記憶障害がある中で職場復帰したのでできないことにぶつかる度に
落ち込んで…
その繰り返しで…
でも1番辛いのは…
できることさえさせてもらえないことなんです

アンメット

私はあるコミュニティに入っていました。対話を中心とするコミュニティだったので高次脳機能障害がわかった時点で大まかな自分の症状を説明し、理解していただきたいこと。
そして参加をし続けたいと思っていることをメンバーに向けてブログに書きました。

メンバーの方々からはたくさんの応援とこれからも一緒にやろうとコメントをもらいました。
しかし、主催の方から私が書いたブログによって不安に思う人がいるのではないかということ。そして高次脳機能障害を持つ人が参加した前例がないので不安に思っていると伝えられました。

直接退会をしてくださいと言われた訳ではありませんが、間接的に退会を促されたものと感じコミュニティから身を引くこととしました。

つづけて上司にミヤビは言います。

周囲の方々にてんかん発作を正しく理解してもらえれば大半のことは解決すると思います

アンメット

自分もなってみるまでは高次脳機能障害についての知識は全くありませんした。

周囲にそういう人がいなければ当然のことかもしれません。
だから自分のことを理解してもらうためにも高次脳機能障害について発信していくことは大切なのだと考えています。

また、自分の知らない障害や病気についてもまずは関心を持ち、正しい知識身につけていきたいと思います。

専業主婦の社会復帰

ラクナ梗塞を発症した女性について三瓶とミヤビ、そしてもう一人のドクターで会話するシーンがあります。

ラクナ梗塞についての説明をしつつ三瓶が言います。
「そんなことよりも社会復帰までが大変です」

他のドクターが
「え?たしか専業主婦だよな?」と言うと
「ええ家事全般から買い物に社会交流などこれほど複雑で多様な役割もそうないですから」
と三瓶が答えます。

「ペーパードライバーで専業主婦なので高次脳機能障害の詳しい検査を省きました」

回復期退院後に担当だった療法士さんにそう告げられた私にとって三瓶の葉は心にじんと来るものがありました。

急性期の担当だった療法士さんからは急性期入院中は日常生活動作で高次機能障害は認められない状況だったこと。けれども、自宅復帰後は「主婦業」という社会的役割がまず第一にあるので家事動作の評価は実施すべき内容とも思うとコメントを頂きました。

主婦業という社会的役割がある
三瓶の言葉と療法士さんの言葉がかぶりました。

そして
入院中に評価しておくべき必要性が再確認できました」とつけ加えてくれました。

急性期の大半の時期は目が見えない状態でした。
だから高次脳機能障害の評価が出来なかったことは仕方がなかったと思っています。

でも回復期は評価できない状況ではなかったと思います。

病棟で何度か迷子になったこと。
院外歩行で道が覚えられなかったこと。
言語のリハビリで何度となく違和感を訴えていたこと。
色んなサインはあったと思います。

自分ではわかりませんでした。
でもそこはプロである療法士さんに気づいてほしかったと思っています。

そして今後自分のような人が一人でも減ること。
それが今の私の願いです。

退院後、社会に放り出されてから気がつくことは本当に辛いです。
医療機関・リハビリに結びつくことがとても大変です。

麻痺と違って高次脳機能障害は後からでも回復が望めるとは言います。
でも回復期で出来なかった分のリハビリが退院後にどこかで受けられる訳ではないのです。

「主婦業という社会的役割がある」
「入院中に評価しておくべき必要性が再確認できました」

この言葉を回復期の療法士さんから聞きたかった。
三瓶の言葉を読んでそう思いました。

リハビリの語源

ウエルニッケ野の出血により失語症となった夫に
「復職の望みもないのにこれ以上のリハビリが必要なのだろうか」
と悩む妻に対して

「リハビリの語源はご存知でしょうか?」
と三瓶が話し始めます。

元々は中世ヨーロッパの宗教裁判で使われた言葉で魔女とされた人達が
再び人間として認定されるときにRE HABILIS (再び人間)という意味で使われていました。

つまりリハビリテーションとは人間性を取り戻す作業なんです。

第一次世界大戦の頃からは医療でもリハビリテーションという言葉が使われるようになったのですがその頃はあくまで就労や社会復帰を目指す作業でした。

その後1980年代になって障害の当事者から就労の可否や社会参加の有無で差別してはいけないと言う声があがって今のリハビリの目的は社会的な権利と自己の尊厳を取り戻すことだとされています。

アンメット

それでもなお
「働けないのなら無理にリハビリする必要がないのではないか」
という妻に対して三瓶は答えます。

それは健常者側の意見です。働けるかどうかではなくご主人がより自分らしく生きていけるようにすることがリハビリの目的ですから

アンメット

さきほどの「専業主婦の社会復帰」とは違った意味で三瓶の言葉は胸に刺さりました。
この妻のリハビリに対する考え方は私の考え方そのものだったからです。

現在、自費のリハビリを受けていることに罪悪感がありました。

「専業主婦なので」という言葉に怒り傷ついたにも関わらず、自分自身が「専業主婦なのに」(ちょっとだけ仕事をしていましたが)
高いお金をかけてまでリハビリを受けていいのだろうか。そう思っていました。

そして辛い思いをしてまで高次脳機能障害のリハビリを受ける意味を見失っていました。

三瓶の最後の言葉を自分に当てはめると
私がより自分らしく生きていけるようにすることがリハビリの目的」となります。

今の私にとって「自分らしく生きる」とはどういうことなのか。

以前できていたことができなくなった自分。
だから「今までとは違う自分らしい生き方」を探さないといけないと苦しんでいました。

でも今日、ちょうどこの部分を読んで私が「より自分らしく生きていけるように」ということなのだと気がつきました。

違う生き方を探すとか探さないとかではなく今の私が「より自分らしく生きられるため」にあるリハビリなのです。

うまく言語化出来ませんが今までの自分に無理に別れを告げるとかでも新たな生きがいを見つけるとかでもなく、ただ純粋に「より自分らしく」あればいいのだそう思えました。

と言っても私のことだから出来ない自分と対峙して自暴自棄になったりするのだろうなと思います。

でも今日この事に気がつけたことはきっと自分のプラスに働くそんな気がしています。

まだまだ途中の「アンメット」これからも楽しみに読みたいと思います。