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私の“サクセス!“ 藤田貴史

高次脳機能障害の世界 山田規畝子編著 

漫画家イラストレーター 
藤田貴史さんのコラムより

“p.s.「先生」と呼ばれる皆さんへ
リハビリはダメな草を見つけて摘み取る「草むしり」や「害虫駆除」ではないハズです。
どうか、「今日は虫に食われて枯れた草を何本見つけた!」
なんて数字数えに懸命にならないで。
整ってキレイに見える芝生はただ刈り取られてごまかされた結果に過ぎないのです。
それよりも種を蒔いて花を咲かせてみませんか。
「患者」と呼ばれる人たちにはそのチカラがあるんです。
それに気づいて信じてください。
自分一人のチカラでやったつもりになっている仕事ほどつまらないものはありません。
どうか障害者と一緒に考えて発想できる「先生」でいてください。”

前回の「高次脳機能障害者の世界」の感想は山田さんの部分でした。
でも今回あえて書こうと思ったのはこの方のコラムの後書き部分です。

回復期にて

回復期の担当者が退院直前に私の動作を見せながら家族に
「左足に麻痺があるから体重が左に乗らないんですよね」と言いました。
それは紛れもない事実で映像でもはっきりと見てとれました。

ラダーを使ってのトレーニングも
「右足からはいいんですけど、左足からだと躓きやすいんですよ」
そう家族に説明していました。

リハビリをしていて終始言われたのは
「元々筋力ないですよね」という言葉でした。
確かに運動習慣はありませんでした。運転をしないのでどこに行くのも徒歩ではありましたが筋トレとは全く縁のない生活をしていました。

リハビリをしていて
「元々の筋力がない上に麻痺を負ってしまったのであれもこれもできませんね」と常に言われている気がしていました。

何か失敗すると笑われました。
決して嘲笑されている感じではありませんでした。フレンドリーさを出すためだったのかなと理解しています。
ただ、振り返ってみて自らもできない己を一緒に笑うことで何か誤魔化していた気がします。

近所の自費リハにて

リハフィット以外に近所のリハビリ施設にもお世話になっています。
そちらはプラットフォームが2台あるだけの小さな施設で歩行スペースもなく器具を使ってのリハビリはできません。
けれども工夫して精一杯の施術をして下さっています。

ある日左足の感覚障害について説明を受けました。
「地面を踏んでいる感覚がないから左足に体重が乗らないんですよ」と。

「それ回リハでも言われました。麻痺があるから体重が乗らないんですよ。と言われて退院しました」と話しました。

すると「体重が乗らないからどうやって乗せるか、そこから先を考えていくのがリハビリの仕事であり醍醐味なんですよ」と言われました。

そして地面を踏んでいる感覚を
取り戻すためのリハビリが始まりました。
そのおかげか随分左足に力が入るようになってきました。痛みが出ていた脛も多少歩いても大丈夫になってきました。

「草むしり」「害虫駆除」の先

ダメな草を見つけて抜きこれですよと見せ、理解させることは必要なことなのだと思います。

左下肢に麻痺があるから危険を避けるためには何ができてできないのかを患者自身が知ることは大切だと思います。

でもできればもう一歩先を、できない時はどうしたら出来るようになるのか、出来るようになりたいという思いを失わせることなく教えてもらいたいと思います。

私は「どうしたら1番いいのか」と思案されている姿を見た時、自分のためのリハビリをしてもらっているのだと感じます。

もちろんみなさん今まで培って来られた知識がお有りのことと思います。
でも、どの人に担当されても同じ内容の通り一遍のリハビリではなく、
私の身体に合わせたリハビリをしてもらっている実感が今はあります。

そのことは良くなりたいという意欲。
良くなれるかもしれないという期待。
そして思いに応えられるようにがんばりたいという気持ちを私に与えてくれます。

2種類のリハビリ

近所の施設は設備が整っているわけではありませんが目が行き届いているところだなと思っています。
リハフィット同様ですが私の小さな動きにも目を配ってくれます。

中での歩行ができない代わりに、行き帰りの歩いている様子をこっそり見られていたりします。
先日は会計時に渡されたお釣りの
小銭を一枚一枚つまんで取るように言われました。
その様子を観察すること、またつまむこと自体もリハビリなのでしょう。

でもそれはできないことを知らせることが目的ではないと感じられます。

このコラムを読んでみて、草むしりに終わるリハビリと花を咲かせようとするリハビリ、2種類あることを知りました。

今お二人の療法士さんが、花を咲かせたいという私の気持ちに寄り添って色々策を練ってくださっています。

もちろんうまく花が咲くかどうかは今後の私の努力が大きく関わってきます。
けれどもこのお二人のおかげで
「花を咲かせたい」という気持ちを失わずにすんでいること。
そのことに感謝したいと思っています。