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ブログを書く意味

先日、回復期の療法士さんたちに会う機会がありました。
短い時間でしたが話をしてみて、同じ療法士という職種でも十人十色なのだなと改めて思いました。
そして自分の中で何かがちょっと吹っ切れた、そんな気がしました。
これからブログを書く意味も変わるのかもしれない。そんな自分の気持ちを整理したいと思います。


気がついて欲しいという思い

回復期を退院して日常生活を送る上で困ることがたくさんありました。

以前に「日常生活に支障はない」というタイトルでも書きましたが、患者がイメージする日常生活とは病前の生活 ではないでしょうか?
「日常生活に支障はありません」そう言われて退院したけれど、軽いとはいえ麻痺が残る身体では、以前と同じ生活を送ることは出来ませんでした。

また、退院時にはないとされていた高次脳機能障害に気がついたのは支障がないと言われた日常生活を送る中のことでした。疲労感やマルチタスクが出来ないことをうまく言語化できなくて、家族にも理解されず相談するところもありませんでした。
鈴木大介さんの著書「脳が壊れた」に出会って初めて
"高次脳機能障害というものかもしれない゛
と思いました。ここに辿り着くまでが不安で苦しい時期でした。

退院前に、病院生活ではなく日常生活の中の
"何ができて何が出来ないのか"
そして退院後は
"どんなリハビリをし続ける必要があるのか"
できればもっと具体的に教えてもらいたかったと思っています。

また、高次脳機能障害については全員が検査を受けることは不可能なのかもしれません。けれども、脳疾患ならばそういう障害の可能性があり、その場合はどういう不都合が生じるのかという知識ぐらいは与えて欲しいと思います。
そうすれば自分から入院中に感じる違和感をきちんと療法士さんに伝えられ、検査へとつながったかもしれない。そしてなにより何かわからぬ不安と孤独に闘う必要がなかったのではないだろうかと思います。

回復期での対応がどうこうという訳ではなく、これからあの病院でリハビリを受ける人が、同じ悩みを抱えず済んでくれたらと思ってきました。
そんな思いもこめて退院後"よかったらこの本を読んでほしい"と「脳が壊れた」を渡しましたが読んでもらえたのかどうかさえ分からないままです。

色んな方との出会い

現在お世話になっている自費リハの療法士さん。そしてTwitterを通して出会った療法士さんたち。

どの方々にも共通して感じるのは
"退院後の患者さんの生活"
に関心を持っておられるということです。

自費リハの療法士さんは退院後の行き場のない私のような患者の受け皿になっていてくれています。
自費という形だからこそ初めて担当してもらう療法士さんを選ぶことが出来ました。そしてこれまでとは全く違う丁寧で質の高いリハビリを寄り添ってもらいながら受けられています。

ただ、ここで言っておきたいのは、この療法士さんが自費だからこういうリハビリを、こういう患者対応をしているのではないだろうということです。お世話になって1年近くになりますが、この方ならば病院勤務の時から、同じ気持ちで同じ態度で患者さんに接してきたのだろうなと思っています。

またTwitterで出会った療法士さんたちは患者さんが退院後の生活にできるだけ不安を持たずに済むように、そして家での生活に出来るだけ不都合がないように退院前から動いておられます。そして退院後の生活を考える医療従事者を増やそうとされています。

スペースなどで話を聞き、退院後の生活で起きうる不都合を未然に防ごうと精一杯働きかけてくれる人たちがいることを知りました。
まだ数は多くはないのかもしれませんが、そういう医療職の方が増えてくれたらと願ってやみません。

ブログを書く意味

私がブログを書いている意味の一つは医療従事者に患者の思いが少しでも伝わればということでした。
ただ書き続けている中で感じたのは
"一患者が書いたブログを読もう"
そう思ってくれるくれる医療職の人は最初から患者の思いについて意識してくれているのだろうなということです。

私が願っていたことは、
"患者はどう思っているのか、退院後の患者はどう生活しているのかといったことに興味がない人に関心を持ってほしい"
ということでした。

けれども先日、回復期でお世話になった療法士さんたちに会い言葉を交わして思いました。
"この人たちは退院後の自分には関心がないのだな"と。

急性期から転院してきた患者さんを退院出来るようにすること。それが彼らの仕事であり、家へ帰って生活出来るようにすることではないのだろうなと感じました。

いつか彼らに分かってもらえるように話が出来る日が来ないかなと思っていました。退院後のことだけではなく入院中のことについても、患者がどういう風に思い考えているのか、私個人の見解ではあるけれど伝えられる日が来たらいいな、そう思ってきました。
けれど、そんなことには頓着ない人がいて、その人たちに何かを話したところで理解を得るのは無理なことなのだろう、ちょっと吹っ切れた気がします。

自分自身のことでさえなかなか変えられないのに、他人にいつかわかってもらいたい、そう思って過ごして来ました。もしかすると自身の回復期でのことを無駄にしたくないそんな思いが強かったのかもしれない。今はそう感じています。

だからこれからは知りたいと思ってくれる人に伝わればいいなと思って書いていこうと思います。

また、患者家族が当事者の思いを知ってくれること、障害のない人が自分たちのことを理解してくれること。私のブログを読んで自分も発信してみようと思う当事者が増えること。ブログを書く意味は色々あるのかなと思います。

そして何より、拙い文章ながらも自分の思いを表現できる場があり、それを読んでくださる方がいること。それが私がブログを書く意味であり意義であるのかなと思っています。