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最高のおもてなしと大切なこと

回復期病棟の入院生活。
悪いことばかりではなく、それなりに楽しいことや素敵な出会いもありました。その中のお一人、Aさんのことを書きたいと思います。

Aさんとの出逢い

8月半ば、手術によってようやく視力を取り戻した私は担当理学療法士さんの薦めもあり回復期リハビリへ転院しました。

目が見えなかった急性期と異なり、時間の制約はあるものの個室で、ある程度の自由が与えられれました。
お風呂は週2回でリハビリで汗だくなのにとちょっと不満でしたが、リハビリの時間以外は室内で好きに過ごせるのでそれなりに快適な日々となりました。

ある日、リハ室でいつも可愛いトップスを着ている小柄なおばあちゃんと目が合いました。
「可愛いお洋服ですね」と何気なく声をかけると「息子が買ってきてくれたんですよ。でも可愛すぎて恥ずかしくって」と。
そんなことがきっかけで廊下で出会うと会話を交わすようになりました。

最初は他愛ない話だったのですが、大部屋にいたAさんは部屋でのいざこざに巻き込まれたらしく涙ぐんで話をするようになりました。
私にこれといった解決策がある訳でもなく、只々耳を傾けるしかありませんでしたがそれでも少し気持ちが楽になるのか「ありがとう、ありがとう」と手を握ってくれました。

上履き

親しく言葉を交わすようになった頃、歩行器で歩くAさんに会いました。
「歩く練習?」と聞くと「そうそう、早く帰らないとお父さんがね」といつも通りご主人のことを案じてAさんが答えました。

とその時通りかかった看護師さんが「Aさん、靴踏まない、危ないでしょ!」と声を荒げて言いました。

Aさんは踵を踏んだまま靴を履いていました。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と急いで部屋に戻ろうとするAさん。
その様子に転んだりしたら危ないと思い「そのまま待って」と声をかけ靴を履かせてあげました。

看護師さんには「余計なことをしない」と言われてしまいましたが、
このことがきっかけでAさんとの距離が縮まった気がします。

洗濯室で

またある時、洗濯の乾燥が終わり取り込もうとするAさんに会いました。
洗濯機の上に備え付けられた乾燥機。比較的背が高い私でも中に洗濯物が残っているかを見るのはやっとでした。
小柄なお年寄りは踏み台を使って中を覗きこんでいました。でもその踏み台というのが足が全部乗らないような危なっかしいものだったのです。

なので思わず「私がさわっていいなら取るよ」と声をかけると「お願いね、これ怖いのよ」とAさんが答えました。普通の人でも危なっかしいのに、大腿骨を骨折したAさんなら尚のことだろうと思いました。
「これから乾燥機終わったら声をかけてね、いくらでも取るからね」というと「ごめんね、でもお願いね」と言われました。

その時、廊下から私たちの様子を見ていた看護師さんに
「みどりさん余計なことしないの。ここは回復期だから自分のことは自分でするようにと私たちも手を貸さないのよ!」とキツイ口調で言われました。

病院側の「家に帰って困らないようにわざと手を貸さない」その意見は十分にわかります。でも怪我をするリスクを負ってまで自分でさせることに意味があるのでしょうか?
靴の件も洗濯の件も、今でも私はこれで良かったかなと思っています。

そして結局、私は看護師さんに睨まれつつAさんだけでなく小柄なおばあちゃんたちのお洗濯取り込み係となりました。

お月見

9月に入り中秋の名月となりました。外に出ることのない生活を送っていた私にとって窓から季節を感じられることはとても嬉しいことでした。入院している皆も同じ気持ちだったのか、大きな窓のある食堂に人が集まって来ました。その中にAさんも私もいました。

空に浮かぶ月は美しく、離れている家族も同じ月を眺めているのかな?なんてことを考えました。
Aさんも同じだったらしく「お父さんも見てるかしら?」と呟きました。
そして二人で「早く帰りたいね」としばらく月を眺めました。
そのことが記憶に残っていて今でも月をみるとAさんのことを思い出します。

ストラップ

くも膜下出血を発症する前の私は暇さえあれば手を動かしていました。入院先にも刺繍の道具を持ち込みました。ところが何故か刺繍が上手くできない。今にして思えば高次脳機能障害の影響だったのでしょう。でもその時には理由がわかりませんでした。

刺繍がうまくいかないならばもう少し簡単なリボンレイならと家族に材料を届けてもらいました。こちらは単純な繰り返し作業なのでストラップをいくつか作りました。ただ、左右の手で均等にリボンを引けない違和感を感じ、担当作業療法士に相談をしました。
「なんででしょうね〜?」
それで終わってしまったのが残念ですが、これが左手の動きにくさを認識した最初の出来事でした。

同じストラップを2個作り1つをAさんにあげました。「私とお揃いだよ」と。すぐに身につけてくれてとても嬉しかったです。

実はAさんと私は同じ日に入院をしていました。
そして驚いたことに誕生日は私の母と同じでした。単なる偶然なのですが偶然だけでは言い表せないようなものを私はAさんに感じました。

退院が決まって

そうこうしているうちに私の退院が決まりました。
Aさんに「退院決まったよ」と告げると「おめでとう。でもいっちゃ嫌だ」と泣かれました。私ももウルウルしながら「まだ数日あるからね」と慰めました。

Aさんにしてあげられることはないかしら?
考えた私は、以前に作ってあったイニシャル入りのハンカチを夫に持ってきてもらいました。そして退院の日「これイニシャル入ってるの、良かったら使ってね」泣いているAさんに手渡しました。

するとAさんは「上手く書けなかったから恥ずかしいんだけれど」と手紙をくれました。入院は大腿骨骨折でしたが、右手は数年前から不自由だったとか。その手で一生懸命書いた手紙を見たら私も一緒に泣いてしまいました。
そして記念撮影をし電話番号を交換してお別れしました。

退院後

退院の日の朝、私は残っていたリボンレイのストラップをリハ室に持って行きました。棒に吊り下げられたマスコットを触る、というリハビリがあったのでマスコットと一緒にぶら下げてもらいました。

退院後、くも膜下出血のフォローアップのため病院を訪れた時、ある療法士さんから「Aさんがあのストラップを『みどりちゃん、みどりちゃん』って触っているのよ」と言われました。また、二人で撮った写真を病室に飾っていることも聞きました。

AさんからもSMSで「足が痛いのでもらったハンカチで足をさすっています」などと連絡をもらいました。
どうしてこんなに想ってくれるのかはわかりませんが、親子ほど歳が離れていても親しくなれるものなのだと嬉しく思います。

Aさんの退院

その後、Aさんも無事に退院しました。
最後までリハビリを頑張って欲しかったと個人的にには思いましたが、どうしてもご主人の事が気になるとかで歩行器を手放したところで退院を決めたようです。

退院後、携帯の機種変更をしLINEを始めたAさん。ある日姪御さんから「叔母をLINEの友達に追加してほしい」と連絡が来ました。
最近では可愛いスタンプいっぱいのラインを送ってくれるようになりました。

また、お誕生日にバースデイカードを送ったらとても喜んでくれて
「嬉しくて泣いていたら主人が肩を叩いてニコニコしていたよ」と伝えてくれました。

再会

実はここ数週間くらい鬱々とした日々を送っており、自費リハの理学療法士さんに色々相談にのってもらっています。

先日リハビリに伺った帰り道、夫が「Aさんの家に寄ってみる?」と言ってくれました。電話で聞いたら「もちろん」と言われたので車を走らせました。

Aさんは数年前に脳梗塞にあわれたご主人と二人で暮らしています。
言語と半身に後遺症を持つご主人の介護を、大腿骨骨折されたAさん一人で担うのはさぞ大変なことと思います。それだけにリハビリ途中で退院してしまったことが心配で顔を見に行けることを嬉しく思いました。

お宅に着くと既に待っていてくれました。玄関に出てくるのも大変そうで却って申し訳なかったかなとちょっと後悔しました。
玄関先で失礼するつもりでしたが「部屋も涼しくしてあるの、ご主人さまにも入ってもらって」と。夫が入ってくれるか心配でしたが意外なことにあっさり来てくれてほっとしました。

そして互いの近況などを話しているうちにAさんのご主人がペットボトルのお茶を運んできてくれました。不自由な身体で運んできてくれるお茶。最高のおもてなしだなと思いました。

心配だったリハビリのことを聞いてみると「お父さんが心配で置いてリハビリに行けないの」と。
回復期を退院してからはリハビリが途切れてしまっているようです。なぜそうなってしまったのかわかりませんが、ご主人は言語聴覚士の訪問リハを受けているようなのでAさんも訪問リハを受けられるといいのにと思いました。

あまり長居をしてもと思い後ろ髪を引かれつつ切り上げました。
帰り道「いいご夫婦だな、来て良かったよ。また来ような」と夫が言ってくれました。

私は、自分一人でも大変なAさんがご主人の介護をしながら頑張っている姿に励まされました。そして画一的な行政のあり方、もう少しなんとかならないのだろうかと思いました。が、長くなるのでそれについては後日にしたい思います。

精神的に不安定な状態は続いていますが、今回のAさんとの再会は私に何か大切なことを伝えてくれたような気がします。
思わぬ病で家族とギクシャクしたり、後遺症を持つ自分に一体何ができるのだろうかと考える日々ですが、今回Aさんにもらった「何か大切なこと」を温めていきたいそう思いました。