見出し画像

人生の意味の心理学 岸見一郎著

嫌われる勇気を挫折した私ですが「この本を手に取って良かった」
これが今の率直な気持ちです。
少し前から何のためにリハビリをしているのかわからず苦しかったのですが、少し明かりが見えたかな?私にとってはそんな一冊です。



意味づけを変えれば未来は変えられる

アドラー心理学の特徴として挙げられるのが、人は誰もが同じ世界に生きているのではなく、自分が「意味づけ」した世界に生きていると考えることです。
〜中略〜
過去の経験が私たちの何かを決定しているのではなく、私たちが過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって自らの生を決定しているとアドラーは考えます。

人生の意味の心理学

悲惨な体験をした人が皆罪を犯す訳ではないように、辛い経験を自分の人生においてどのようにいかすのか、それによって未来は変わると説明しています。
そして選択のすべての責任は自分にある と。更に今が変われば過去すらも変わりうるとさえ言っています。

悲惨な体験をどう受け止めるかは自分の責任であり、それによって未来が変わることは想像がつくけれど、悲惨な体験をバネにどう行動するかで未来が変わり、悲惨な体験だったことも悲惨ではなくなる。
今どう意味付けするかによって過去も未来も変わるのだと意味付けのすごさを見せつけられた気がしました。

それと同時に今まで自分は起きた出来事を言い訳に色んなことから逃げて来たことを恥ずかしく思いました。
自分のせいではない出来事に対してその時どう考え行動するのか。

昨年、くも膜下出血になり後遺症が残る身体になりましたが、そのことに囚われて私はこの一年を過ごして来ました。

くも膜下出血になったことは私のせいでも誰のせいでもないけれど私の取った行動は私自身の責任なのだ、そんな当たり前のことにようやく気が付きました。

そして苦しい時、何度となく家族に「あの時助からなければ良かった」「誰も助けて欲しいなんて頼んでないのに」そんな酷い言葉を放ってしまったことを後悔しました。

それと同時にじゃあこれからどうしていくのか?

前回のブログに「病気になって良かったと思ったことは一度もない」と書きました。正直「一度もない」どころか「一生ありえない」と思って来ました。
でも、病気になったこの過去さえ捉え方によって悲しい過去ではなくなる日が来るのかもしれない、ちょっとだけそう思えました。

リハビリとは

私が今回、なぜこんなにもこの本の虜になったかというとリハビリについて思いもしなかった記述があったからです。

これまで私はリハビリとは病前の自分に一歩でも近付くことだと思っていました。そして近付こうとリハビリをすればするほど、以前と違う自分を見せつけられ苦しくなっていました。

でもこの本にはこんな風に書いてあります。

アドラーの言葉を使うならば、自分にとっての「マイナス」から「プラス」を目指して努力することです。病気になった人が少しでも回復したいと思い、摂生したり、リハビリに励んだりする時には、ただ自分にとってのマイナス(病気の状態)からプラス(健康な状態)を目指すこと、回復を望めないとしても、少しでもマイナスからよりプラスであることを目指すことが健全な優越性の追求といえます。

人生の意味の心理学

元の状態に近づくことを目指すのではなく、昨日より今日、今日より明日、一歩でも進むことを目指せばいいのか!と衝撃を受けました。
しかしこの前に進むということさえ終わりの方にこう書いてあります。

このように考えれば、治療を受けたり、リハビリに励むのは、マイナスの状態からプラスの状態になるためではないことになります。回復とは病気の前と同じ健康な状態に戻ることではありません。そもそも回復しない病気もあります。しかし回復しなければリハビリをしても意味がないということにはなりません。
アドラーが「生きることは進化である」という時、その意味が上ではなく前に進むということであれば、立ち止まらず、各人がそれぞれのペースで歩めばいいことになります。
〜中略〜
私は生きることは進化であると考えなくていいと考えます。前に進めなくても、後退することになってもその時々の状態がすべて生きることなのであり、どの状態にも優劣はないのです。
生きることを進化と見なければ、人生のどの段階にあってもその時々の自分に価値があり、そのように思えればどんな自分をも受け入れることができます。

人生の意味の心理学

もうわたしの考察を挟む余地などありません。
岸見さんの一言一言が胸に刺さりました。進化でなくても変化でいいのだ。
気が楽になるとかではなく、まるでヘレンケラーが水に触れたときのような感覚でした。
私にとってリハビリの概念が180度変わった瞬間でした。

見せかけの因果関係と人生の嘘に惑わされるな

長くなりましたがもう一つ。「人生の嘘」についての記述があります。
学校に行きたくない子供が「お腹が痛い」と言い、実際に痛くなることで学校に行かなくてすむようになる例えから

自分が学校を休もうと決めたのに、お腹が痛いので学校に行けないと、親ばかりか自分をも欺いていることになりますが、このように、口実を持ち出して人生の課題に直面しない事実を指して「人生の嘘」と呼んでいます。劣等コンプレックスとは、見かけの因果律を立てて、人生の課題から逃げようとすることです。

人生の意味の心理学

私は何度「人生の嘘」をついて来たのだろうか。
ここ最近思って来たリハビリに行く気にならないということもそうです。

なぜ行きたくないのか、ブログにもたくさんの理由を書いて来たし、療法士さんに相談もして来ました。でも実はリハビリに行きたかったのではないかこの部分を読んでそう思いました。

リハビリの意味がわからなくなってやる気がないこのやる気がない状態を自分自身が認めることが嫌だったのではないかと思うのです。
それをリハビリに行く気にならないという言葉で置き換えてやる気がないという自分の気持ちから目を逸らしていたのだなと思います。

リハビリに行ったら、やる気が出ない自分と向き合うことになります。
だからリハビリに行く気にならないと嘘をつくことで向き合わないですむようにしていただけで、本当は行きたかったんだなと気が付いたのです。

いっぱいリハビリに行く気にならない理由も考えていました。お腹が痛くて学校にいけない子供の例からするとリハビリに行きたくないからその理由を生み出したと単純にいけばなります。
でも私の場合はリハビリに行く気にならないこのことさえも嘘だったのです。

何だかややこしくて面倒くさいことをしていたものですが、自分さえも欺いてしまう「人生の嘘」いっぱいついてきたのだろうなと思います。

でもここに気がついたことは私にとっては大きことだと思うのです。
色んな悩み事。リハビリのことのようにもしかしたらもっと単純なことばかりかもしれないと思いました。

人生の転機となる一冊

私にとっては運命の出会いとも思える「人生の意味の心理学
「病気をしたからこそこの本と出会えたのかもしれない」と意味付け出来たら、過去も変えられるのでしょうか。

まだまだ書きたいことはいっぱいありますし、皆さんに、とりあえずは家族から薦めたい一冊です。
拙いながらもまた追々書いて行こうと思います。

でも、とりあえずここしばらくの重い悩みだったリハビリについてはすっきりした気がします。そしてこれを書き終えたら予約の連絡をしようかなと思っています。

まだ当分続くであろうリハビリ。私のことだからまた人生の嘘をついて右往左往することもあると思います。でも付箋を貼ったまま置いといて、この本を読み返したらなんとかなるのではないかなと思っています。
人生の転機となりそうな一冊に出会えたこと、そして著者の岸見一郎先生に今はただただ素直に感謝したいと思います。