超勘違い💦“丁寧に暮らす”や”自分を大切にする”を間違えてた!

も〜やだ〜(笑)
また、やっちまったぜ(笑)
抜けてなかったクセに
苦笑いしました。

自分のことを二の次にせず
大切にすると
うちなる喜びが湧いてきて
安らげると思って実践していたのですが
なんかいつも、しんどくなってきて
変やな、おかしいな、
と感じてました。

その原因が
またしても”型”や”べき”に
執着していたから、と分かりました。

そして、私は自分のイメージの
貧弱さに恐れ慄きましたわ。

『自分を大切にする』
のテンプレートが
・土鍋でご飯を炊く(←イメージです)
・自分のためだけにでも手作りご飯を作る
・自分の望みに常に耳を傾ける
・湯船にゆっくりつかる
・セルフボディケアを怠らない
・スキンケアは入念に
・ふかふかのお布団で寝る
・睡眠時間をたっぷりとる
などなど

書き並べてみると
薄っぺらさに笑えるんだけど
本氣でこうだ!これだ!と思ってました。

で、自分にこれをやれない時には
「自分のことを大切にできない私」を
責めてました。

どんだけ責め好き…

本末転倒過ぎることに氣づけよ!(笑)
自分を大切にするためにやり始めたはずが
自分にダメ出しに繋がるって
どこ見てんねんって話ですよね。

それと自分を大切にするテンプレートが
そもそも、コマーシャルや雑誌、
映画や誰かから聞いた話を
まんま刷り込んで
さも自分がそう思ってるかのように
信じ込んでました。
自分じゃないものを自分って
思い込んでたわ。

始まりからズレとるがな。

で、
私は
私による私のための
私が私にできることや
してほしいことを知りたくて
洗い出しにかかりました。

それで
ほんとのほんとに
私が自分に望んでいたことが
『時間の使い方に
もっと自由を盛り込んでほしい』
と、わかりました。

お惣菜やお弁当を買う日があってもいい
作るのがしんどければ買えばいいやん

お湯ためたり、浴槽の掃除が
億劫な時はシャワーでいいやん

面白いことがあれば
中断せずに夜ふかししてもいいやん

ストレッチや運動やお手当が
できない日、やりたくない日が
あってもいいやん

どれもこれも
どっちでもいいって思っていて
やりたければ
やれる時にやったら?くらいのことでした。

キチキチ常に自分に何かを
してあげるということよりも、
もっと緩やかに選択肢の幅を広げて
偏ったり、一本調子ではなく
その時その時でしなやかに変わったら
いいんやなってことが
やっと分かってきました。

優柔不断はダメ
初志貫徹がいい
常に向上すべし
途中で変えなきゃいけないのは
最初を見誤ってるから
見誤るのは、よく見てない証拠
よく見てないのはダメ
とか思い込みすぎてて
カチカチ頭になってました。

長年思い込んで採用してきたクセを
外すのって、薄皮めくるみたいに
何回も何回も氣づいてははがしを
繰り返していくもんなんやね。

ついつい「一発で外れました!」的な
すごい大きな一歩に価値を置いてしまうけど
そんなホームランもあれば
コツコツ塁を進めていくのも
アリなわけで
ここでもまた
自由度を増していったらいいやんって
ことですね。

選択肢が少ないとか
自由度が低い時って
そっちは違う
それは間違い
これはいいけど、それはダメ
というジャッジが揺るぎなくある時なんよね。

ジャッジがあるのが
アカンわけではなくて
ジャッジがある時は
漏れなく自分にダメ出しをしているから、
それが自分の首をしめることになって
苦しいんやで、と氣づくことが必要なんやな。

氣づけば止めることができるから。
何が起きてるのか
何をやっちゃってるのか
分からんことには
同じ状態が続いてしまうもんね。

時間の使い方は命の使い方。

どこかで拾った誰かにとっての
よきことじゃなく
ほんとに自分が望んでるものを
自分に渡していきなさいよって
自分に言われたというお話でした。

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