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頑張った先に良い諦めがあった話

周りの影響でnoteを始めてみた。生きてきた中で感じたことを書いていこうと思う。

私は高校三年間、大学生活に胸を膨らませながら勉強にひたすら向き合い立教大学へ入学した。しかし入学後、私は希望よりも絶望を感じることの方が遥かに多かった。

①~入学前 ひたむきに勉強していた話

②~入学後 周りを見てしんどくなった話

③~入学して1年 自分の心持ちが変わった話

①私は決して進学校出身ではなく、地頭もごく平均的だと思う。中学卒業時までは勉強に励む目的が見出せず遊んでいたが、勉強をすることで将来視野に入れられる職種が増えること、また勉強ができる人は大体+αで魅力的な何かを持っていることを段々と知っていった。そこで私の中で、人生最後の受験勉強は本気でやろう、自分がどこまで上にいけるのか試してみよう、という気持ちが浮かび勉強に専念することを決意した。

毎日一三時間の勉強を一年間繰り返した。ご飯を食べている間やベットに入り寝落ちするまでの間は日本史の解説をしているラジオを聞き、クラスの大多数が推薦だったことで騒がしかった休み時間も全て一人で自習していた。良い意味で狂っていた。
秋ぐらいから心が壊れ始め(毎年秋~冬はBadに入りやすい)、最後の三か月くらいは適応障害になっていた。しかし今までの積み重ねがある以上ここで受験勉強をやめることはできず、抗不安薬と睡眠導入剤を飲みながらペンを握り続けた。

そんな中受けた入試は一度全落ちしており、補欠で弊学に拾われ今に至る。高三時に受けた英検準一級の一次試験の点数は合格点基準ジャストだったし、大学受験はいつもぎりぎりだった。
非進学校出身の自分にとって、立教大学は十分満足できる大学だった。全落ちした時の絶望感はすっかりなくなり、新生活に期待を膨らませていた。

②だが入学して同級生と話してみると、学問において私の三分の二くらいの努力で同じ成果を出せる人達がこの世には沢山いることを知った。勉強は他のものに比べて公平性が高い、やった人がやった分だけ報われるというイメージを植え付けられてきた分ショックを受けた。この社会は結果に至るまでの過程を見てはくれない。血眼になり勉強しようがマイペースに勉強しようが、出した成果が同じであれば同等のものとして扱われるのだ。
更に弊学には、私の予想通り勉強+αで卓越したものを持っている人が沢山いた。YouTubeの登録者数が20万人を超えるブロガーや、公式にリツイートされるレベルで画力に長けた絵師など、色々な人がいた。高い次元の世界を見たくて努力したのに、その世界に入ったことで誇れるものが何もない自分と比較し劣等感を覚える日々を過ごした。

一年の冬辺りからうっすら希死念慮を抱え始めた。この時期に自分がADHDグレーゾーンであるという診断が下りた。卓越したものを何も持っていないのにマイナスな要素は持っている自分が気持ち悪かった。
だが死ぬに死ねなかった。私は自分の先天的な部分(努力で直せない部分)は大体全部嫌いだけど、自分の後天的な部分(自力で変えられる部分)が好きなのだ、意志と行動力を持ち続けている聡明な自分が大好きなのだ。それにせっかく大学生になったのだから少なくともあと数年は生きて大学生にしかできない遊びやノリを思う存分楽しみたい。

③そんなこんなで大学生活を送るにつれ、ある時私はもう勉強で誰かと闘うことをやめようという区切りがついた。勉強に限らず、何もかも平均以上を目指そうという心意気はいらないのではないかと考えた。就活の際にTOEICやSPIが見られることは百も承知であるが、それらにおいて少なくとも「立教大学生」という枠組みの中で私が突出することはかなり厳しい。それならもう無理に高みを目指すことをやめてもいいだろう、という決断に至った。

本気で取り組んだことで自分の限界を知った。限界を知った時は絶望するけれど、私は高校生活を受験勉強に捧げて本当に良かったと思っている。本気でやってみないと自分に才能があるかどうかさえ分からないからだ。高校三年の一年は人生で一番辛かった1年だけど人生で一番濃い一年だった。勉強に命を懸けたことで、自分の生活で当たり前のように軸になっていた勉強以外の道をたどってみようと気を持ち直す機会になった。


それと私は、多分何か一つに特筆しているのではなく大体のことをそつなくこなすタイプなのだ。きっと。

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