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映画の数だけ〇〇がある

皆さんと映画が出会ったきっかけはなんですか?
Twitterのアカウントを開設するほど、深く映画について考えたきっかけはなんですか?

私は、自分が落ち込んでいる時に必然的にとる行動の中に『実家にある無数の円盤をプレイヤーで再生する』だと気づいた時です。

私には、深く物事を考えすぎる良くないクセがあります。

嫌なことがあった時「もうこんな目には遭いたくないから原因を考えよう」、人に嫌われたかもしれない(大概は杞憂に過ぎないけど)と思った時「なぜ嫌われるような性格なのか考えよう」、といったように 自己防衛の一種として深く考えすぎ、そして自分の心を抉るのです。

考えすぎるのは優しすぎるからだよ、なんて優しい言葉をかけてくれる素敵な方もいらっしゃいます。ですが、私はいかに自分を傷つけないかを考えて卑屈な考えをしてしまう傾向にあるのです。決して優しいからではなく、ひねくれ者なのです。

そんな時、さらに自己嫌悪に陥ります。
なんで自己中なんだろう、、なんでうまくいかないんだろうと、、、。

そこで円盤を再生してみます。

映画の中には登場人物の数だけ人生があります。
私は映画を見る時、『他人の人生を追体験する』というつもりで見るのです。

他人の人生を追体験すると、私が辛いと思っている事と似たり寄ったりのことが、更に追体験できるのです。そして、大抵それは映画の中で解決します。
もっといえば、私よりも辛い経験をしていたり、私よりもどうしようもない結果になってしまうこともあります。

それを追体験した時「なんだ、私だけじゃないじゃないか」と、少し気が楽になるのです。

映画の数だけ人生があると先述しましたが、その数だけ共感もあると私は考えるのです。

共感するからその映画がもっと好きになる、その登場人物が好きになる、そんな人は多いのではないでしょうか?

そう考えた時に、更に自分の気持ちが楽になったのです。きっとこの物語に共感してる人はわたしと同じ気持ちになったことがある人なのだと。
何より映画製作者は、こんなに繊細にこの感情の機微を描いているのだから 今の私のような気持ちになったことがあるのだろう、と。

そう思うと少しだけ気が楽になります。
考えすぎてしまう自分ですら肯定しよう、そして自分の考えがまとまらなくても時にはいいのだと思えるのです。

人に悩みを話しにくい、なんで伝えればいいかわからない、信頼できる人が少ない、交友関係が狭い、私には様々な悩みがあります。

そんな悩みすら人に話せずにいましたが、映画の中ではそれを話せるのです。共感し合える相手がいるのです。

そこでまた、悩みの共有をして自分の気持ちが少し解ける。話せなかった悩みが話せる。

普段できない『悩みの共有』を唯一心置きなくできるツールとなっているもの、それが映画なのです。
たとえ共有する相手が、映画の中の登場人物だったとしても。

私は映画を見ることによって心に寄り添ってくれる友達が増えました。フォロワーさん、そして映画の登場人物です。

映画は私にとっての栄養剤、共感し合える親友、なんでも話せる存在なのです。

そうして更に映画への愛が深くなる。
それが私にとっての映画なのです。

みなさんにとって映画とはなんですか?
よかったら教えてもらえると嬉しいです。

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