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日韓の架け橋として日韓の人が手を取り合うコミュニティーを作る!!(フジモンの10年)

アンニョン!
日韓の架け橋のフジモンです!

韓国在住の韓国好き男子でございます。
日韓が手を取り合うコミュニティー”日韓なんでも同好会”の発足に向けて、
今現在はメディア発信やオンライン韓国語講座”モンザップ”の主宰をメインに活動しています!

普段はInstagramで韓国語知識共有をしてたりするので、韓国語勉強中の方はぜひお役立てください!
(毎日生ライブもやっています)

noteさんの企画、東日本大震災が起きて10年。
その10年間を振り返る「#それぞれの10年」企画に乗っかって、
僕自身も軽く自分の10年を振り返ってみたいと思います。

なんの夢も目標もない空っぽのフジモン、大地震に震え上がる

東日本大震災が起きた当時、
僕はどこにでもいる普通の(高卒)会社員で工場勤務。
実際のところはうつ病で自宅療養(傷病休職)している時でした。

この当時の僕は特に夢もなく、これからの未来に漠然な不安を抱えているだけの存在、韓国に一切の関心もなかった時です。

僕は茨城県に住んでいたんですが、東日本大震災の影響で地元は液状化現象と水道の断水(時には停電も)によって、いつも通りの生活が困難になっていました。

シャワーもまともに浴びることができないので、水道ではなく井戸水を使っていた叔母さんのお家に行ってシャワーを浴びたりしていました。
生活インフラが復活するまでの間は、支給されたんだか買ったんだかは忘れちゃったけど、大きい容器に入った水を少しずつ使ったりしていました。

正直、当時の僕はうつ病で精神状態もまともじゃなかった時なのでほとんど記憶がなかったりするんですが、あの東日本大震災を乗り越えるのに一番力になったのはKARAの存在です。

KARAのCDやDVDを買い漁っては一日中見ていたのを覚えています。

当時僕はまだガラケーでしたし、SNS等をやっているわけでもなく、
相当ネットに疎かったので、自宅警備員としてやることがもうKARAを見続ける以外にありませんでした(笑)

2011年の4月には会社に復帰するわけですが、
復帰後の僕は復帰前とは違い「夢中になれる好きなもの」がありました。

それが「KARA(K-POP)」です。

“東日本大震災からの僕の10年”における原点となります。

第1期:アイドルが好きなだけのどこにでもいる青年

2011年〜2013年の間は、正直「韓国好きってよりもKARAやK-POPが好き」という感じです。

実家の自分の部屋はとにかくKARAグッズやCD,DVD,ポスターなどで溢れ、
オタク友達と新大久保に行ってはKARA系の非公式グッズまで買い漁るほどにバカ夢中になってたのも今では良い思い出(笑)

しかし、特別この当時は「日韓の架け橋」というような夢を抱いてたわけではなく、目の前のオタ活を楽しんでいるだけでした。

ただオタ活は全力前進!!

自分自身の影響力を高める、よりKARAと近くってことが無意識に行動に現れていて、日本人KARAファンの中でも最も古参にいて、かつグループとして活動しているという点では原点にして頂点だったグループに所属するまで至り、KARAファンとしては大分やり切りました。

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(田舎からやってきた進撃のキモダサ、だけどほっとけないコスプレ時代)

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(いっぱいすごい友達できちゃった後に遂にキタ的な東京ドーム)

ガチオタでとにかく行動し続ける!
第2期へと繋がっていきます。

第2期:「K-POP→韓国へ」日韓の架け橋という種火はココから

2013年は全ての始まりです。

僕の初海外、初韓国(初渡韓)がまさにこの2013年です。
第1期の時にお話した初期のKARAファンなら誰でも知っている、
原点にして頂点だったグループに所属させていただけることになり、
精力的に活動する中で、
KARAが韓国で新曲を出す(カムバック)するということで渡韓する機会がありました。

そこで初めて行った韓国があまりにも楽しくて、印象的で、自分の心に大きな衝撃がありました。

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(早朝すぎるくらい早朝に撮った写真)

とにかく旅先で出会う韓国の人は良い人ばかりで、料理もすごく美味しい。
何よりも直感的に韓国が合う感じがありました。

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そこから「韓国人の友達が欲しい」「韓国に住みたい」「韓国関係で仕事がしたい」という思いを抱くようになりました。

この第2期では僕に大きな変革がいくつかあります。

①「韓国人と繋がりたい」という思いからSNSやネットを活用し出す
②韓国語を勉強し出す
③現在のライフスタイル(会社員としての生活)に疑問を抱きだす

第3期:日韓の架け橋を志す→会社を辞める

日韓関係が若干悪化し、KARA含め、K-POPアイドルのゴールデン帯でのテレビ露出が減った時期がありました。確か2014〜2015年くらいだったと思います。

それだけでなく、僕が韓国に行く度、行くという話をする度に、
(ネタかもしれないけど)「またそんな国行くのかよ」みたいなことを言われることもあったりと、
ただ自分が好きなことに熱中しているだけ、ただ好きな国、良い国に行くというだけで嫌みや誹謗中傷を受けることがありました。

その大半は偏見や妄想、偏った知識で話をします。

僕はこの頃から「日本人も韓国人もお互いに偏見や誤解、軋轢を抱えている人がいるけど、これを解いて日韓が友好関係になれたら良いな。そしたら日韓好きの人たちも肩身を狭い思いをしなくて済む」と思うようになりました。

そして、明確に「日韓の架け橋になりたい」という軸ができたのもこの頃です。

そんな中、2015年頃に本格的に韓国語勉強を始める中でたくさんの韓国人友達ができ、「オタ活半分、友達と遊ぶ半分」という具合で頻繁に渡韓するようになりました。

そんな僕の日常をFacebookやInstagramなどで
オタ活で広がった人脈や韓国人の友達に向けて積極的に発信するようになりました。
(発信の度に「日韓の架け橋になりたい」ということも添えて…)

すると、面白いことに韓国のテレビにまで取材されることに!!

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僕はこの韓国のテレビから取材されたその年(2016年)のクリスマスに会社を退職しました。

仕事場所を選ばずに仕事ができるようになれば、韓国にも住める!
そして日韓の架け橋として日韓交流を広げる仕事がしたい!

そんな思いから決断したことです。

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(ネットでお仕事ができるようになるために…ベンチャーで修行の日々)

KARAのオタ活も2016年を最後に区切りを付け、ほぼ24時間365日フル稼働。
(正直今現在でも年中無休なのは変わりません…)
とにかく2016〜2019年は日韓の架け橋として発信するための充電期間だったと言えます。

2017年にはマイビジネスをやってみよう実験も兼ねて、
今現在のモンザップのプロトタイプとなっている初期のモンザップを開講。
完全に一人の運営でやったりもしました。

この3年間は辛いことばかりの日々。
一時は諦めて死にたくなってしまうこともありましたが、
出会いに救われ、第4期へ…

第4期:日韓の架け橋へ踏み出す→日韓なんでも同好会計画始動!韓国へ移住!

2018年9月、正式に日韓なんでも同好会フジモンとしての活動がスタートしました。

そしてその数ヶ月後に実は今のヨチンちゃんと出会ったのです。

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この始動当初は当時の仕事と並行しながらやっていたのですが、
ヨチンちゃんの強い後押しもあり、全ての仕事を完全に捨て去り、
日韓なんでも同好会、韓国関係の活動へとシフトし、
2019年7月には韓国移住しました。

とは言っても日韓なんでも同好会の活動は無収入だったのでお金がありません。

移住するのにもお金が無くてはどうしようもない。

そこで、ネットでのお仕事修行の時に出会った方に援助(先行投資)していただいたり、
韓国語講座モンザップを自分で会社もやっているA氏と共同で運営することで土台を整え、第1期を開講。
第1期当時は約150名のメンバーが会員となってくださいました。
(現在は第2期〜)

そしてそれが韓国移住の基盤となりました。

そして今日も韓国に住みながら韓国を学び、韓国を伝え、日韓を繋ぐために活動しています。

夢を持ち、夢の実現を考え、踏み出した。
これが僕の10年です。

①日韓の人々が手を取り合うコミュニティーを作る。
②人と繋がるコミュニティー型の語学講座を展開する。

全ての中心は日韓なんでも同好会に…
ですが、韓国語における新しい学びと習得の角度を世の中に広めたいという思いがこの1年半、韓国語講座モンザップを運営する中で強くなりました。

今現在も韓国語講座モンザップは進化し続けていて、
来年には日本語講座の開講も予定していますが、
その前にこのモンザップ自体の認知の広がりも必要だと考えています。

もちろん
「日韓の人々が手を取り合うコミュニティーを作る」
というのが僕の第一目標です。

その先に「過去の壁を超えて、共に未来へと歩みを進めるために日韓が手を取り合って笑いあえる世界」を実現するのがビジョン(目的)です。

しかし、第二の目標として、
「人と繋がるコミュニティー型の語学講座を多展開する」
というのも掲げてこれからは活動していきます。

インターネットは人との繋がりの可能性を広げてくれました。
簡単にアクセスすることができるのが今の時代です。

そのインターネットの良さ、そして元来のリアル社会(アナログ)の良さ。
それぞれを掛け合わせて僕は僕なりに日韓や世界が繋がるための環境を作っていきたいと思っています。

今回、これまでの10年を振り返りましたが、今この瞬間も時計の針は前に進んでいるわけで、我々も歩んでいかなければいけません。

高校を卒業して就職してからというものの、
どこか自分の中でやりがいや生きがいのない空っぽの人生となっていた僕が、
K-POPを皮切りに韓国を好きになったことで第二の人生を始められました。

学生の頃、部活に夢中になっていた時の輝かしい日々とはまた違う、
いや、あの頃よりも試練も課題ももっと多いし、生活にも直結するって意味では恐怖感さえも付加されている。
刺激的だけど、どこか未来に期待感がある。

そんな今を楽しんでいきます。

ぜひ、日韓なんでも同好会とフジモンを応援していただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

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