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オシャレしたからってセックスできるわけじゃない

Nさんこんにちは、Dです。僕がここに書いていこうと思うのは、童貞とかこじらせとか無職とかメンヘラとかそんなキャッチーな話ではありません。人並みより少しだけ勉強し、人並みより少しだけ運動し、人並みくらいには恋愛し、人並みくらいに仕事をし、人並みくらいの給料をもらってきた人間の凡庸さです。凡庸すぎるがゆえに溜まっていく心の澱にはだれも注目しません。当たり前です。みんな知ってることだからです。みんな知ってることはコンテンツにはなりません。

こういったものは始めが肝心なのではっきりさせておきます。交換日記なんてするつもりはありません。ここに書くのは凡庸な僕の心の内側でうごめくどす黒い衝動です。あぁ、あるよね、程度の話です。だから助言も慰めもいりません。ちょっとした苦笑いをしてもらうことが僕の望みです。

では表題の話です。ファッションとはなにかについてです。断言しますが、ファッションとは第一義的に人に見せるためにあります。他社からの視線を無視してファッションは成立しません。いや、ファッションは自己表現だ、という方は、表現自体が他者がいて成り立つということに気がついていない糞野郎です。

そんな僕も二十代の頃にファッションにハマりました。おしゃれに対する憧れがありました。おしゃれってかっこいいと思いました。おしゃれはモテると思いました。他者がいて成り立つという理解のもと、自己表現だと思いました。当時20万くらいの月給の中、コムデギャルソンとかの服を買いまくっていました。

しかし自己表現ほど危ないものはありません。僕はファッションにおいて、シルエットがどうだとか、色がどうだとか、素材がどうだとか、そんなことばかりこだわっていました。なによりも他者からの視線を気にしていたので、決して相手に不快感や違和感を与えるような服装にならないよう、自分なりのファッションを突き詰めていきました。

そう、自己表現とは自己満足なのです。そんなところ誰も見てくれません。違和感を与えないファッションは、ただの印象に残らない服装なんです。いくらそんな風におしゃれになろうとも、全然セックスなんてできません。そんなことよりも、他者から視線に鈍感で、欲望のままに女性に向き合える男たちのほうが、僕なんかよりよっぽどモテていたのです。

世界は自分に興味が無い。けれど自分は自分にしか興味が無い。これが、僕がどんだけおしゃれになろうともモテなかった理由です。そしてそれこそが、僕が結婚できずにいる一番大きな理由だと思います。

先日、僕が買ったばかりのマフラー(ミナ・ペルホネンのテキスタイルでKLIPPANが作ったものですよ!)をNさんに見せ、「どうだ! 素敵だろ! 欲しいか? やんねーよ!」と、ひとり吠えていたところ、Nさんはまるで性犯罪者でも見るような苦笑いを僕に返してくれましたね。

僕は、褒められるとか、喜ばれるとか、嬉しいとか、楽しいとかいう他人の感情表現を一切信用しません。そんな嘘、僕だっていくらでもつきますから。でも苦笑いは信じます。作り笑いができても作り苦笑いはできない。苦笑いに嘘はない。苦笑いという表現には真実がある。僕は真実だけが知りたい。この文章も、Nさんのあの素敵な苦笑いで読んでもらえたら嬉しいです。