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すぐそこに違う社会がある

私の拙い話を聴いてください

人間は『社会的証明』というものを必要としているそうです

これは「周りのみんながしてるから、安心して自分も行える」というものです

よく言われてる沈没船のジョークでも分かるように、日本人にはこの傾向が大きいように思われます

「周りのみんながしてると安心する」ってことは、裏を返せば「周りのみんなと違うと不安になる」ということです

これが、イジメやSNS依存に繋がっていくわけですが……

ところで、

今は、SNSなどによって、周りのみんなって細分化してるはずですよね

平成のはじめくらいまでは、みんなが同じテレビ番組を見て、次の日に学校なんかで話てましたけど、今は「こんな面白い動画があったんだよ」くらいの話はあるけど、みんなが分かる社会的な共通の話題なんて、あんまりないような気がします

だとすると、現代の日本では社会的証明って、狭くなっているはずですよね……

と、ここまで考えて、私の果樹だけが詰まっている頭が『ポチャ〜ン』と音を立てました

社会的証明が狭いのであれば、もしかすると、少し動いただけでぜんぜん違う社会があるのかもしれません

ほんの少しだけ眺めるところを変えて見るだけで、見たこともない社会が広がっているのかもしれないのです

そうなのです

狭い範囲の社会だけ見て、みんながしてるから私もしなきゃ、と思いがちなのかもしれません

誰もがそうしてるから、安心して、同じことをしているだけなのかもしれません

もしも、それが、楽しくないのなら、少しだけ動いてみれば違う社会があるかもしれない

ツライのであれば、少し視点を変えれば、別の社会が見えてくるかもしれないのです

せっかく、多様性が求められている時代に生きているのですがら、小さな社会に閉じこもってないで、ちょこっと踏み出してみようかな〜、なんて私は思っています

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