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自分自身をカテゴライズする呪縛

皆さんは、自分で自分をカテゴライズしていることはあるでしょうか?

「私はこういう人間だから。」

私は要するに一個のディレッタントにすぎないのだから
「皮を着たヴィーナス」 ザッハー・マゾッホ著 / 種村季弘訳 より

10代に「毛皮を着たヴィーナス」読んで、「ディレッタン」いう言葉を知り、
「私のことだ」と思ってしまったことで、自らを「ディレッタント」とカテゴライズする呪縛をかけてしまいました。

私はディレッタントなのだと。
物を完成させることができない。準備することと過程を楽しむ癖の人間なのだと。

現に、プロジェクト進行中は楽しいのですが、仕事をやり終えた時、達成感は少なく、喪失感の方が大きいです。
納品物、完成品を見ても高揚感はあまりません。
ものを作ることは楽しくても、完成させた直後の喪失感。

クリエイターになることではなく、クリエイターを目指すことが私の人生なのでしょうか…。

過去の投稿の「私のやりたいことリスト」
オペレーターではなくクリエイター的活動
と書いたのも、
ディレッタントとカテゴライズした呪縛だと思います。
本来なら、
・オペレーターではなくクリエイターになる
と書くはずです。

と考えながらも、
完成品に高揚感がえられないのは、仕事に本気で取り組んでいないからではないか?
こだわって、こだわって、こだわり抜いてないからではないか?
「私はディレッタント」を言い訳にしているのでは?
とも考えてしまいます。

数十年ぶりに「毛皮を着たヴィーナス」を読み返してみようと思います。
呪縛なのか、言い訳なのかを確認することができることを期待して。

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