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ニコニコ古参・超会議素人の私が超歌舞伎を初めて観た感想記

感情が昂ったときの勢いでしか更新されない超不定期noteへようこそ。

要約すると「超会議2023で、超歌舞伎を生で初めて観た。素晴らしかった。」に尽きる話ですが、感情の赴くまま筆の乗るまま仔細に語っていこうと思います。

なお、一部に今回の演目「御伽草紙戀姿絵」のネタバレを含みます。
プレミアム会員なら5/29, 30まではタイムシフト視聴可能ですので、ぜひ先にご視聴ください。
https://chokabuki.jp/2023chokaigi/#broadcast

なお、記事トップの画像は、終演後の撮影許可ゾーンで撮ったものです。

前提

まず、本題の前に私と超歌舞伎の関係性など前提の話を。
「知るかいな!」など必要のない方は読み飛ばしてください。
(ニコニコへの思いも盛り込んだ結果、想定以上に長くなりました)

超歌舞伎と関係する趣味の話

超歌舞伎の存在自体は、始まった2016年当初に知っていたし、一部ならネットで観たこともあるという感じだった。
ただ、超歌舞伎も歌舞伎も(本格的には)観たことがなかったし、「超歌舞伎=古典歌舞伎+現代ライブ技術」だとするならば、その現代側にあたるライブにも(本格的には)参加した経験がない。
特に、観客参加型のライブは、ルールやノリがよく分かっていないし、行ってもノり切れる自信がなかったというのもある。

一方で、舞台芸術は総じて好きだ
寄席が好きだという話はよくしている通りだし、もとを正せば子供の頃に劇団銀河鉄道の舞台を見に行って感銘を受け、CDをひたすら聴いていた過去がある。
さらに、自分自身も昔ピアノをやっていて、大学時代は合唱をやっていたので、舞台の“良さ”は観客側・演者側ともにそこそこ知っているつもりである(客観的にはそう大層なものではないが)。

加えて、いわゆる「第四の壁」が破られるような「メタ」は大好きだ。
寄席でみられるような客や他の演者への(適度な)イジりなどがこれにあたる。
特に、以前某合唱団の演奏会を観に行った際、アンコールで急にライブノリの曲になり、コールアンドレスポンスを求められたことがあった。「合唱」の演奏会でこれは異例中の異例(普段は客席で少し音を立てるのさえ嫌われる)であり、多くの観客は一時困惑に包まれた。
終演後も、観客の間では当然のように賛否両論(確か否多め)だったが、その場で当の私は(少し困惑しつつも)ノリノリだった。
なので、恐らくもとより素養はあったのだろうと思う。

超会議に対して消極的だった理由

そもそもの超会議自体の話から。
ニコニコ歴自体はそこそこ古い(2009年 (ββ) 時代から)し、初回の超パーティ(当時は超会議と併催)も、ネットチケットを買って観ていた。
が、現地に行ったのは2022年が初めてだった。
これは、それまでネットの知り合いがほとんど居なかった(二度ほど某ニコ生主主催のオフ会には視聴者として参加したことがある程度)のもあるし、当時ニコニコの視聴者にはそもそも超会議を始めとするリアルイベントを冷めた目で見ている層が一定数いた(いる?)と思う。

当時リアルイベントにあまり積極的になれなかった理由。
むかしむかし、超会議が始まる前は、ニコニコ大会議というイベントが行われていた。
これは、わりとマジメにニコニコの運営に関わる発表があるような、いまの「月刊ニコニコインフォ」のような立ち位置の存在だったと思う(記憶ベースだし当時は追っていなかったので誤りがあるかも)。

いずれにしろ、そういったマジメ路線のイベントが超会議へとシフトし、「お祭り」へと変貌した。
しかも、初期は毎度毎度「こんなバカやってるぜ」と、赤字が幾ら出たと誇らしげに・大々的に発表していた。
ネットでひっそりと過ごしていたニコニコ視聴者の中には、その「バカ騒ぎ」が“なんとなく”好きになれなかった人が、私を含めある程度いただろうと思う。

しかも、ユーザ視点で見れば、その「バカ騒ぎ」は最終的に2017年の(く)発表会での大炎上へとつながっていく。
そりゃあ、「超会議に使う金があったらサーバー増強しろ」という声が挙がるのも致し方ないし、そこまで行かずとも、少なからず超会議に嫌悪感を抱くユーザがいてもおかしくない。
その辺りの経緯やユーザ視点の感情(+栗田運営代表による補足)は、以下のツイートのスレッドで詳しく記しているのでそちらを。

コロナ禍前後におけるニコニコおよび超会議の変化

上記ツイートのスレッドでも書いたことだが、2017年の大炎上以来、ニコニコの運営体制は大きく変貌を遂げた。
ニコニコ運営代表は川上さんから栗田さんへ、そしてドワンゴの社長は夏野さんへと替わった。

夏野さんに関しては、ニコニコ(当時のサービス総称は「ニコニコ動画」)黎明期の2009年に「黒字化担当」として登場し、見事に黒字化を達成した経緯がある。そのため、古くからのニコニコユーザーからは、(言動はともかく)経営の腕は一定の信頼を得ていることと思う。
そして、実際のところドワンゴ(≒KADOKAWAのWebサービスセグメント)は夏野体制のもと(苦渋の決断も多かったことと思うサービスの整理等を経て)再び黒字へと持ち直す

加えて、登板当初は(ニコニコユーザーにとっては)比較的無名であった栗田さんも、運営代表就任前後には自身の個人アカウントでユーザーの意見要望を収集し(後にニコニコ窓口担当アカウントへ移行)、運営生放送に自ら出演してユーザーの生の声を拾い上げるなど、(それ以前の運営からは考えられないほどに)懇切丁寧な対応を辛抱強く続け、地道に信頼を勝ち取っていった。
私を含め、あの大炎上で見限らずにニコニコの地道な改善を追っていたユーザーの中には、以前のニコニコ大会議時代のユーザーとの距離の近い運営を懐かしみつつ、運営の新体制を密かに応援していた人も少なからずいることと思う。
そして、口だけではなく実際に、1080p/60fps対応(動画は完全対応、生放送は一部の公式・チャンネル生放送で試験運用中)・コメント削除機能・諸々のサービスリニューアル等、当時のニコ生公式旗艦番組「週刊ニコニコインフォ」で毎週毎週発表しても仕切れないほどの量の機能追加・改善を着々と成し遂げていった(私が寄稿したニコ厨合同誌「Re:starteRs」の記事ではその辺りをまとめている)。

以上のような背景で、ドワンゴの経営面・運営面はいずれも改善されつつあった。
超会議に関しても、コロナ禍でネット超会議へと移行し、それ以前の(「大型ゲスト」や「大企業」に頼る部分が大きく)商業性の強いイベントと化していた超会議が、再びユーザー主体の「ニコニコらしい」イベントへと変貌の兆しを見せていた。

「週刊ニコニコインフォ」と私

それでも、私にとってはまだ「ノりきれない」という思いが強かったのだ。
これは割と個人的な事情で、2020年のネット超会議移行時点では私は(「コメントクリエイター」ですらない)単なる動画視聴者であり、受動的な態度でニコニコに接していたからだろう。
それ以前にもいくつかの動画を投稿はしていたが、それが主体という感じではなかった(現存最古の投稿は2016年だが、2009年当時から少しずつ投稿はしていた)。

そんな中、私にとって大きな転機が訪れる。2020年6月、ニコニコ生放送公式番組「週刊ニコニコインフォ」(以下、「週ニコ」)の放送開始である。
この番組は、以下の2本の柱からなる「ニコニコの旗艦番組」と位置づけられている。

  • 今のニコニコを伝える: ニコニコで今流行りのものをユーザーからの紹介や、ランキング形式で発表する。また、ユーザー(クリエイター)をゲストに招き、ニコニコについて語り合う

  • 今後のニコニコについてみんなで考える: 運営代表栗田さん自身の口から、ニコニコの新機能・機能改善等を紹介し、その意図や経緯などを細かく説明する

私にとっては、今まで(Web版)ニコニコインフォにわざわざ見に行かなければ掴めなかった更新情報や、それ以上の細かい情報が運営代表から直接聞けるというのは新鮮でしかなかった。

2017年以前の運営は「ユーザーに関係なく勝手に機能を変更する」というのが問題点であった(少なくともそういった印象があった)。
そこから考えると、本番組はユーザーフレンドリーな運営の象徴ともいえる番組であるし、しかも大炎上の際に意図してか意図せずか「怒っているユーザーの代表」的な立ち位置にあった百花繚乱さんと、「怒られる運営の代表」的な立ち位置にあった栗田さんが2人で番組を進行していくというのも、当時を知るユーザーとしては感慨深いものがある。
余談だが、大炎上直後の「動画と生放送サービスに対する意見交換会」のタイムシフトはいつでも誰でも(非ログインでも)閲覧可能な形で残されている。

しかし、「週刊ニコニコインフォ」の内容は、生放送民はまだしも、動画民にはほとんど届いていなかった
それを改めて痛感させられたのがゲーム実況者の倭寇(わこう)さんによる新機能解説動画のコメントであった。
思った以上に週ニコの存在や、上記のような運営の変化について気づいていない人が多いな、という印象だった。
そもそも、UIその他が動画と共通のYouTube Live等とは異なり、ニコニコの場合は生放送と動画は別サービスとして設計されている(これは動画と生放送の改善を同時並行で進めるためと明言されている)。
そのため、良くも悪くも動画と生放送の間には一定の「壁」が存在するのだ。
特に、「生放送視聴者で動画はほぼ見ない」人は少ない気がするが、「動画視聴者で生放送はほぼ見ない」人は一定数居るような気がする。私自身も当時はその一人だった。加えて、当時の私のようにリアルイベントに否定的な見方の人は、動画だけに閉じている人も多かったような気もしている。

そこで、週刊ニコニコインフォやそれ以前の運営の変貌を追ってきた視聴者として、何とか運営の頑張りを伝えたい、と思って投稿したのが以下のゆっくり解説動画である。栗田さんにも直々に宣伝してもらえて、私の動画投稿史上で最大の再生数を誇る動画になった。

なお、当時は「なぜ運営は生放送民だけで動画民への広報をやってくれないのか」と若干怒りの混じった表現であったが、当時栗田さんにも言われた通り「運営が作っても見てくれない」というのは的を射ており、その後公式からも切り抜き動画が投稿されるようになったが、確かに再生数は芳しくない。

そんなこんなで「週ニコまとめの人」(後に「週ニコの私物化P」、略して「私物化P」)としてそこそこの知名度を獲得した。
週ニコの放送でも何度も私の動画や名前に触れてもらっていたので、リスナーの中でも特殊な立ち位置にあったと思う。
その後、「ニコ生の配信者向け新機能を解説するためには、自分でニコ生をするしかない」という発想のもとニコ生の配信を始め、「運営側の人間という印象を持たれると厄介」という考え(は半分建前)で週ニコのMAD動画投稿を始め、ネタ曲を書くボカロPもどきの活動を始める(そしてなぜか最終的には私が書いた「運営代表の名前をひたすら呼び続ける曲」をバックにダンマスNの出演者ほぼ全員が踊る)など、色々な方面へと活動を広げていった。

加えて、「ニコニコサポーターズ SmileS」にも加入した。
これは月額1,980円(税込)のいわゆるオンラインサロン的なものであり、その会費をもとにしてニコニコの文化発展を支援する組織である。
リアルの忙しさもあり、私自身はあまり実質的な支援活動には携われていないが、私の人格形成に大きな影響を与えたニコニコという「実家」への仕送りだと思って設立当時から今まで加入している(プレミアム会員を十数年継続しているのもその思いが強い)。
そのSmileSの場で、「週ニコの視聴者同士」や「生放送の配信者/視聴者」よりもさらに深い繋がりができ、(今は無き)池袋ハレスタでの公開収録観覧やオフ会などにも参加するようになった。加えて、ユーザー生放送として行われた深夜のエンタメ番組「あすノズBLOOM」(2022年4月~12月)の曜日パーソナリティも務めることになった。

ニコニコ超会議2022

そんな中で、2022年4月の超会議は3年ぶりの現地開催が決まった。
超会議やニコニコは改善され、私自身のネットでの知り合いも増えて、もはや行かない理由がなくなっていた。
ただ、まだ不安な面も多かった。
果たしてリアル超会議初めての私は楽しめるのだろうか、と。
そんな思いを抱えつつ、勇気を持って1日目のチケットを購入した。

だが、実際のところこの年の超会議はあまり記憶に残っていない
牛タン串が美味かったこと、ボカニコの音圧に圧倒されたこと、その隣でテクノ法要が行われていることに驚いたこと、超年表の付箋の糊が弱かったこと、栗田さんに会った(プレミアムDAY以来2回目)こと……。
そのくらいである。
なにせ、巡りかたがわかっていないのだ。
ひたすら色々な場所を歩いて、「ワァッ……」と圧倒される、その繰り返しだった。

更には、全体地図を把握していなかった。
9~11ホールやイベントホール(超歌舞伎)については存在も知らなかったのである。
かくして、降りしきる雨の中トボトボと寂しく歩道橋を渡り帰ったのを覚えている。

ニコニコ超会議2023

そして迎えた今年の超会議。
前年までと大きく異なる点として、プレミアム会員特典が大幅に拡大され、様々なブースで割引などが受けられるようになっていた。
これは超会議素人の私にとっては、割引の額面以上に有り難かった。
たとえ当日まで何も知らなくても、「プレミアム会員特典を回収して回る」という目的意識で回ればとりあえず超会議を楽しめる、という格好になったためである。
実際、ZUNビールを求めて初めて9~11ホールの存在を知り、ビールを飲んだあとフラフラしていたら昔からよく見ていた実況者さんたちが格闘ゲームで戦っているブースを発見する、といった偶然の出会いがあった。
プレミアム会員特典をもとに最低限どこを回るかを定めた上で、その周りのブースも見て回る。
そんな形で色々なブースを楽しむことができた。

加えて、超歌舞伎の2階席がプレミアム会員向けに無料で開放された。
こちらもまた、行かない理由がなくなったのである。

超歌舞伎の感想(やっと)

お待たせいたしました。ようやく本論に入っていきます。

超歌舞伎・初演(1日目第1部)

そもそも、1日目の朝はまずプレミアムパスを手に入れるのが大変だった。
上記のようにプレミアム会員特典を基点に回ろうと思っていたので、パスが不可欠だったのである。
しかし、4ホールの受付は長蛇の列だった。
超インフォの周りを何周しているんだというくらいに人の山だった。

仕方がないので一旦1ホールまで戻り、クリエイターXで前述のニコ厨合同誌を頒布中のももつきゆきやくんとご挨拶でもしようかと思ったが、そちらもそこそこ混んでいた。
売り子のねこづきあゆむくんは手すきのようだったので、そちらと名刺交換しつつ4ホールの惨状を伝えると、「イベントホールでもパスだけは受け取れる」という情報を教えてくれた(ありがとう)。
その情報通り、まずはイベントホールに向かってパスを受け取り、そのままZUNビールを求めて9~11ホールへと転がり込んだ。
ZUNビールもそこそこの列だったが、私が買えたとたんにひろゆきさんが到着し、ビールを片手にZUNさんとひろゆきさんの2ショットが見られたのは幸運だった。

その後は、超歌舞伎2階席の混雑具合が読めなかったので、早々にイベントホールへと向かった。
着いたときはまだ空いていたが、徐々に席が埋まり始めた。
あまり深い考えはなかったが、距離が近いほうが良いだろうと思い、(新宿末廣亭でいう「通」が座る桟敷席の位置にあたる)2階下手側前方の、花道に近い場所へと陣取った。

前方左右のスクリーンでは各種案内が流れていて、ペンライトの購入について「まだ間に合う!」と書かれていた。
そこで初めて、ああそうか、ライブなのだからペンライトが要るのだな、と思った。
正確には、超歌舞伎はペンライトを振って観るものとは知っていたし、コロナ禍で声出しNGの時期は大向うの掛け声の出るペンライトを販売していたのも知っていたが、自分がその場に立つというところまで気が回っていなかった。
しかし、自由席とはいえ既に席についてしまっているし、どこで売っているのかもよくわかっていなかった(超物販まで戻らなくてはならないと勘違いしていた)ので、「まあいいか」とそのまま観劇する構えに入った。

結論から言う。最高だった

特に、私は親子愛・家族愛といった人情噺に弱い。
物の怪に変じた七綾太夫(初音ミク)の退治に必要な生き血を捧げるため、自ら切腹した袴垂保輔(中村獅童)を、一度は勘当を言い渡した兄・平井保昌(澤村國矢)が、大手柄の褒美にと勘当を解き、そして悲哀に満ちながら介錯するシーンは、今思い出してもグッとくる物がある。

また、技術的な意味では、中村獅童の早着替えは初めて見た時一瞬何が起こったのか分からないくらいに早かった。前方左右スクリーンの「着替えは屋!」というコメントを見なければ一人二役であることに気づかなかったかもしれない。
これ以外にも、ストーリーを追う上などでスクリーンに映ったコメントに助けられる場面は多かった。
特に今回の演目は以前にも上演があったためか、初演にもかかわらず多くの人々が解説のコメントを書いてくれていて、歌舞伎自体初心者の私にはとても有り難かった。

そして、大向うについても、声出し解禁ということもあり、勇気を持って「萬屋!」「初音屋!」と一杯に掛けた。
序盤は探り探りで、1階席前方のプラチナチケットの人々が掛けたのに覆いかぶさるように掛けたが、後半になると「電話屋!」や「ジュニ屋!」あたりも遠慮なく掛けるようになっていった。
コロナ禍では思いっきり声を出す機会というのもあまりなかったので、とても新鮮で楽しかった。

初演観覧時の反省

ここまで述べたように、初演は最高だったのだが、いくつかの点でちょっと悔しい思いをした。

まず、2階席下手側前方という位置取りがあまりよろしくなかった。
演者の表情が直接見られるというのは利点だったが、斜めから観る格好になるため、一部の演出がよく見えなかった。
特に、奥にあるスクリーンについてはこの位置からだと半分以上が前方の幕に隠れて見えなかった。
一方で、見えなくて良いものが見えてしまうということもあった。
例えば、茨木婆(中村蝶紫)が瓢箪へと蜘蛛を吸い込むシーンは、斜めから見るとあまり吸い込まれたように見えない。
そして、舞台と近すぎるがゆえに、必要以上に音が大きく聞こえる。ちょっと耳に負担がかかりそうな勢いだった。

次に、ペンライトを買っていかなかったのが失敗だった。
開演時点で私は超歌舞伎におけるペンライトの重要性を大分軽視していた。
物語中盤に至ってもそんなに違和感はなかった。
しかし、終盤に源頼光(中村獅童)が「数多の言の葉と、白き炎を!」と声をかけるシーンがあった。
これは、数多の言の葉、つまりニコニコ生放送視聴者のコメントと、白き炎、つまりペンライトの白い光で、みんなで協力して物の怪を打ち倒そう、ということである。
これを聞いた途端、「しくじった!」と思った。

以前から風のうわさで「数多の言の葉」という演出があるのは知っていたが、現地でそれに参加する方法がペンライトだというところまでは思い至っていなかった。
このときの私の無力感といったらなかった。
頼光一派に私は何もしてやれないのだ。

その後、劇中曲「ロミオとシンデレラ」がかかり、超歌舞伎のステージは一挙に現代的なライブへと変貌する。
そこでも私は置いて行かれた。
本能的に何かを振りたいが、何も振るものがない。やられた。

最後にもう一つ、初演では途中からボロボロに泣いていたので、後半は大向うを掛けようとしても声が詰まって出てこないような状態だった。
そりゃあ、考えてみれば自宅でウマ娘一挙を見てずっと泣いているような奴は、超歌舞伎で泣かないわけがないのだ。
できることならもう少しコンディションの良い状態で最後まで観たかった。

こうして、私の超歌舞伎初体験は後悔を残して終わった。
それとともに、2日目リベンジの決意を固めたのだった。

ちなみにその後は、超カレーを食べつつ、謎肉ガチャを引きつつ、サンシャイン池崎さんの長い自己紹介をリアルで見つつ、はゆ茶とエンカしつつ、私の曲に振り付けを入れてくださった市川さんにもお会いして、と色々楽しんだ1日目だった。

超歌舞伎・千穐楽(2日目第2部)

というわけで、2日目。
また幕張へとやってきた。
まず空いているうちにZUNビールブースでひろゆきビールを飲み、ボーマスを色々巡って栗田さん(栗田まろんコス)にもご挨拶をして、ネタ曲投稿祭オフの存在を知って急遽飛び入りする、という慌ただしい形になった。
しかもその裏で、1日目栗田さんに「新曲待ってます」と言われて急遽書いた新曲「くりたまろん」がニコニコTOPに取り上げられて、そこそこのバズを見せていた。

そして超歌舞伎については、第1部のリミテッドバージョン(配役違い)を観るか、第2部の千穐楽を観るかで迷ったが、せっかく初演を観たので対になる千穐楽を、ということにした。

今回は、事前にペンライトを購入し、2階席後方左側の席に陣取った。
準備万端で迎えた千穐楽。
客の入りも一層多く、3000人が現地で観覧していたという。

結論から。初演よりもさらに素晴らしかった

私のこだわりとして、初演ではあまり(出演者の屋号以外の)情報を入れずに望んだので、割りとストーリーを追うのに精一杯だったが、千穐楽では演出に集中して見入ることができた。
特に大向うも概ねタイミングがわかっている状態で掛けられたのは良かった。

そして何より、ペンライトで終始参加できたのは感慨深かった。
「今回は俺も力を貸すぞォーッ!」とばかりに(見よう見まねではあるが)懸命に色を変え、ライトを振った。

迎えたライブパート。「ロミオとシンデレラ」もさることながら、アンコールで「千本桜」がかかった時の興奮は忘れられない。
初音ミクを知る者は、誰もが知っている曲。
その場の誰もが、迷いなく、ペンライトを桜色に染め上げたあの刹那。
もしかすると以前にも千本桜のアンコールがあったのかもしれないし、ライブの定番としてそういう流れがあったのかもしれないが、ライブ素人の私でさえ、イントロを聞いた途端に本能的にペンライトをピンクに変えていた。

一つだけ惜しい点があるとすれば、ライブパートで1階席は総立ちだったが、私のいた2階席は総立ちではなかった。
それどころか、座席中央付近で立ち上がった客を後ろの客が座らせる場面も見かけた。
しかしながら、2階席はプレミアム会員無料なのだ。
真に超歌舞伎を楽しみたいのであれば、1階席を買うべきなのだ。
だからこそ私は、次回以降機会があれば必ず1階席に立とうと思う。

超歌舞伎と古典講談・落語の「中村仲蔵」

ここからはより深い話。
今回の超歌舞伎以外の歌舞伎は観たことがないし、寄席芸能(落語や講談など)についてもまだまだにわかの私によるただの戯言と思って読み流していただきたい。

今回の超歌舞伎、千穐楽の終了後MCで中村獅童さんから、ついに歌舞伎の聖地である歌舞伎座で2023年12月、超歌舞伎の公演が決定したとの発表があった。
「バカにしてた奴ら、見たことか!」という強い心意気の感じられるMCだった。
これを見て、私は古典講談・落語の演目である「中村仲蔵」を思い出した。

「中村仲蔵」を知らないという人は、六代目神田伯山先生による名演が公式YouTubeに上がっているので、是非見てほしい。

簡単にあらすじをまとめておくと、血のある(血統を受け継いでいる)役者しかトップにはなれない歌舞伎の世界において、血のない役者である中村仲蔵が出世していくという話である。
この中で、仲蔵は芝居の中で様々な工夫を凝らしていく。
作中描かれている印象的な場面で、血糊を入れた卵の殻を口に入れて噛むことで流血を表現する、などである。
一方で、そうした努力というのは他の役者仲間からは「血がないから工夫で勝負だ」とバカにされていた。
しかしながら、その工夫によって仲蔵は客を圧倒する。
「いよっ、日本一! 見事な工夫じゃぁねぇか!」

超歌舞伎をずっと追ってきたわけでもない私が言うのもおこがましいが、私は中村獅童さんに中村仲蔵の影を見た。
もちろん獅童さんは「血のある役者」であるが、一部の仲間や歌舞伎ファンから卑下されてきた経緯には通ずる部分がある。

そして、「工夫で勝負」というところもまさに仲蔵と共通する。
仲蔵の「卵の殻」の演出だって、当時からしたら画期的どころか「斬新すぎる」と言われてもおかしくなさそうなものである。
「江戸時代にVRなどの技術があったなら、歌舞伎は間違いなく取り入れたでしょう」と獅童さんは言っていた。私が観た2回ともだ。
その点において超歌舞伎もまさに「見事な工夫」であると私は思う。
ちなみに、伯山先生もラジオなどで何度か「古典の型を守るだけでなく、今の人々に受け入れられる芸を」といった話をされていた。
某所で聞いて以来私の座右の銘の一つとなっている言葉に「受け継ぐべき唯一の伝統は、『伝統を破るべし』という伝統である』というものがある。

「あなた方は自覚はないかもしれないが、オタクには世界を変える力がある」
ラストのMCで獅童さんはそう言った。
しかし、超歌舞伎が観客を魅了し、オタクたちに力を持たせることとなった要因は、他でもない獅童さんの「見事な工夫」なのだ。

(以下追記 2023/05/09)
ちなみに、最近通勤時間中に神田伯山先生のラジオ「問わず語りの神田伯山」のアーカイブを聴いているのだが、超会議・超歌舞伎の直前に聴いた回が偶然にも京都南座で行われた超歌舞伎についての回だった(超歌舞伎の話は15:00頃から)。


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