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価値の変遷についていけなくなった業界の行く末。

東レの方が書いた繊維トレンドの記事が、色々な方面から回ってきましたw

着物の復活は本物か(PDF)
togetterまとめ

さて。本文中の箪笥の中の30-40兆円は、現在価値はいくらなのか。という部分に全部読んだ時に突っ込みましてw
100万で買った着物も2万円や5000円になったりしてて、そこに価値があるかといわれるとそうでなかったりする。
まあ価値が2%におちていたとしても、3000億あるとすればそれはそれなりに、塩漬け資産としては恐ろしいものがありますね。

この記事に記載されているように呉服業界の衰退は色々な要因がありまして。個人的には、より「高いもの」を目指したばかりに、日常から乖離し自らドツボったという印象が高く。普段着からかけ離れていった「着物」というジャンルに世の女性たちの興味関心が薄れていくのは仕方がないと思う。
着物なのに、着なくなるという自己矛盾に草不可避である。

価値があれば高いものでも売れた時代は、高付加価値で高価格にすればよかったのだろうが、付加価値に高価格を払う、というトレンドが崩壊された時に、どうするかという事に乗り遅れた話に帰着する。
そして、そのビジネスモデルが成り立たなくなった時には、業界の教育も啓蒙も、ユーザーへの教育も啓蒙も行う余力はなく、アプローチ先がない手詰まりになったんだろうな、というのは容易に想像がつく。

いつまでも大画面化と何とかKとかいう視力がおちてくれば大して変わらない数値を追求して高機能、高付加価値を追い求めていったテレビ業界が、サムスンLGにやられちゃったのに似てる。家電やコンシューマー向けPCなどで同様で、昨今の白物家電、やPCメーカーなどの苦戦ぶりは規模と見える化が違えども同じである。

着物は、「着るもの」という業界で洋服にシェアを奪われた。
着るプロセス、価格の透明化、付加価値の訴求手段(雑誌など)いわゆる「着る」ことを意識させるマーケティングも、着られるような商品展開もしなかったのではないかと。

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◆50万の価格の競合

手仕事は美しい。が。
それに、50万払うのか。(50万は業界の中では高くない価格)

50万という金額の競合はかなり多い。
 ・それだけあれば、ちょっとした軽自動車が中古で買える
 ・iPadとiPhoneとMacbookをまとめて買ったらいくらになるのか
 ・女性の1か月の服飾費が7882円だったとして、5年分のコスト
それぞれの付加価値と比較して勝てるのか勝てないのか。

「わかる人が買えばいい」「買える人が買えばいい」は理解する。

「わかる人が50万出して買えばいい」はどのぐらいユーザーがいて、それは業界を支えられるのか。
「買える人が50万出して買えばいい」はどのぐらいユーザーがいて、その際の競合は何か、それに勝てるのか。

わかっていればこうはならなかったと思うんですよね。

芸術を信じて疑わない人たちへ
というnoteの記事があって。私はこの記事はとても好き。

僕たちオペラやクラシックが好きな人はすでにコンサートへ足を運んでいる。
新たに動員したいのは、普段コンサートに来てない人たちだ。
だのに、その人たちへ「オペラやコンサートに来てください」と言うときに、こっちの理屈を押し付けてて、果たして彼らの行動は変わるだろうか
「オペラやクラシック音楽はつまらない」というところから議論を始めないと、何も変わらないのだと思う。
だからって、オペラやクラシック音楽の芸術性や崇高な価値を否定してないがしろにしたいわけではない。そういったものは、いままさにそれらに関わっている僕らが守護者として、ちゃんと後世に伝えていかなければならない。
でも、それと、次の時代でオペラやクラシック音楽を生き残らせるのとは、別の話だ。

今の着物ってこれじゃないかと。
この意識をもっていかなければと思うわけで。

最近呉服屋(作り手)の話を聞く事が増えたのですが。
話を聞いていると半分ぐらいの方が、「物の価値がわからないやつらがいる」「うちの商品をはおるのはステイタス」とか妙に上から目線の話が多かったり、「うちはこんなにいいものを作っているのにわかってもらえない」「良さがわからないのは客としてどうかと」という恨み節のような、妙なプライドみたいなものが多かったりするので、なんか好きになれないのも現実でして。「いいものは高い」「高いのは仕方がないのにわかってもらえない」とかいう目線がまるきりユーザーに落ちてないわけです。

で、着ている方を見ていると悲しい事に、ある一定のセグメント以上の方は、コミュニティを見ていても同じ価値観の方がいて。
そして、若い方でも「私はものの価値がわかる」「私は手に入れている」というマウンティングを(そうとは巧みに書かれてませんが)取る発言をよく見ます。あと、「私が着物の知識を広めていくのよ」的承認欲求コメントもいい確率で目につく。

洋服でもある一定以上のレベルになるともちろんあるし、ハイエンドな情報発信がされているのだと思うので、特定層はそれぞれのジャンル(洋服に限らず)にいると思うので、そこを責めるつもりはないけど。
業界のイメージを作るハイエンド層がマウンティングしてたら、裾野が広がるわけはない。狭い局所的な世界から、視点を変えられていないということを露呈しているわけですし、裾野を拒否しているようにも見える。

「私達の世界にはいってくるな」
「入ってくるならそれ相応にな」

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◆着物、「和装」というコンテンツ化

ただ、なんつーか、着物が「特別扱い」になってるが故に、マウンティング好きの餌食になっている気がする。現段階で競争が少ないのが理由。
「高年齢層の着物警察」もさることながら、「若年層の着物わかる私」もなかなかな強烈コンテンツw

なぜ、歌舞伎座では、レーヨンのワンピースでも許されるのに、正絹のそれなり着物をもとめられる「と思われている」のか。
なぜ、「何かこだわりがある」にしないといけないのか。
なぜ、洋服はやらないのに、着物のクリスマスコーデは書きたくなっちゃうのか。「どこでかったか」とか「何を意識して」とか。(自分も時々やっちゃうけどw)

情報の発信者の特徴を見ていると、まだまだ着物はコンテンツの領域を出てない。コンテンツであるということは、日常ではない。

好きなものを着ればいいし、安かろう悪かろうと馬鹿にされず、安くてもよいものが増えて、好きなように着ることが許される自然に受け入れられて
「服」になるのか、ならないのか。

元は服。
機械化に乗り遅れて手仕事フューチャー高付加価値化。
高度経済成長にのって、高価格化。
バブルに芸術へ。(牛首とかステイタスだし馬鹿高かった)
バブル崩壊後価値変遷に乗り遅れて未だに化石販売
壊滅的な衰退。
ここ数年ちょっとした和装ブームでコンテンツ化

最初の乗り遅れは時代とのマッチングでうまく切り抜けたが、その際にユーザーを絞りこんだツケが効いてる。自業自得過ぎる。

コンテンツになっただけ「業界的に微増」でマシかもしれない。
いつになったら、コンテンツから日常に入るのか。
それとも、再び魅力のないコンテンツに成り下がるのか。それは今業界を支える人がどう考えるか、どうユーザーにアプローチするかにかかっている。

価値の変遷についていけなくて、マイノリティに転落した以上、どうマジョリティに戻すのか。コンテンツから日常にするのかが、鍵。
業界を支えたいのであればね。

マウンティング&マスターベーション的コンテンツと業界の良さを伝えるコンテンツを業界的にも見極める必要がありそう。
そのあたり、今の着物着てない世代は敏感だから。

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◆まとめ

前提として大事なのは

  ・いままでの着物の付加価値で復活はありえない
  ・今の和装に求められる新しい価値を設定する

を業界が認識して再定義の時期に来ている。
何度も書くけど、昔あった着物の価値には、代替も多いし競合も多いのだ。
今の着物はシャネルのドレスを買うか、それとも着物を買うか。だ。
値段と格付けだけなら。
シャネルは明らかに「手の届くちょっとハイエンド商品」と「富裕層向け商品」を分けている。だからブランド全体が成り立っているし、知名度も高い。

和装でその商品展開を何にするのか。
その答えは今は「レンタル」「洗える」「成人式トライアル」。
カジュアル着物が「カジュアル」という名ほどカジュアルだったのを見た事ない。ブルーレーベルよりコストががかかる。

未だに、ユーザーの育成ゴールを「より良い正絹の手仕事の刺繍とか染めとか織とか」に価値を見出し購入する上客に育てる、とかいうユーザー育成戦略が無謀だということは「いつかはクラウン」が破綻したことで車業界が証明している。やってるけど!

今のユーザーは「だんだん高額商品を買う」という育成対象になりにくい。
高額を買える人間が限られてきている(所得的にも価値観的にも)し、高額になれば競合が多いのだ。
 ※大事なことだから繰り返した。
価値観が分散している。みんなが同じゴールを見ていない。高度経済成長の御印の元に全員が高所得になる夢は潰えている。にもかかわらず和装業界はその夢にまだしがみついている人が多い印象がある。
現実を見ているのに、心のどこかでその夢を捨てきれないような感じ。


芸術が芸術だからって、勝手に評価されて保護される時代は終わった。

和装を取り巻く環境は本当に厳しい。不況だからではない、価値が変わったことに乗り遅れたからだ。
その認識でいなかったら形を変えた「はれのひ」あるいは、創業停止していく織元が、呉服やが続いてくるのは当然だろう。

自分たちが乗り遅れたのだ、という自己分析が甘いからどれもこれも厳しくなる。そんな業界に後継者はこない。そして負のループである。

ちなみに自分は業界関係者ではない。だからこそ好き勝手言える。
ほんと申し訳ない。残ってほしい気持ちはあるし、手に入らないものにはしてほしくないんだけど、このままだとつらそうだな、という予感はある。

個人的にはもう少し簡単に着られないかなぁと思うわけで。
「襟がもうちょっと…」とかいわれるとトラウマになっちゃうんでやめてほしいな。警察まじ怖いよw
ほめられたら続くけど、それがよかれと思っても「また言われちゃうかも」とか「自分は下手なんだ」とか思うと着物に限らず勉強も、仕事もできなくなっちゃうのが人なんで。
にんげんだもの。ほめてくれれば着ちゃう。

最初FaceBookに書いてたんだけど、長くなりすぎたので、1月のコンテンツとしてnoteに書くことにしましたw
画像及びヘッダ画像は
ぱくたそさんよりお借りしました。

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