「いい子」が苦手
私は子供のころから、所謂「いい子」が苦手だ。
それを理解できたのはつい最近のことで、それまではそれぞれが独立した違和感だと思っていたが、それらは全て「いい子が苦手」というところに集約されると気がついた。
なぜいい子が苦手なのか。
もちろん悪人が好きなわけではない。
中学3年生・モモちゃんの話
いまでもよく覚えている。
「いい子」に対する最初の違和感は、中学3年生のときのモモちゃん(仮名)だった。女の子は、いつだってグループを作るものである。私とモモちゃんも漏れなくそうで、5人くらいでいつも一緒にいた。派手でもなく地味でもない、比較的文化系で、その真ん中前後の集団だっただろう。中高一貫の進学校だったので、人並み以上には勉強のできる子ばかりだったが、真面目で勉強に前向きな子もいれば、単純に要領がいいだけでやんちゃな子もいたし、親に課されたミッションをただこなしているだけで別に勉強が好きなわけではない子もいた。当たり前だがそれなりにいろんな子がいた。
モモちゃんは、所謂いい子だった。成績優秀でそれなりに明るく、愛嬌と品があった。文武両道の代表格だったかもしれない。私が中学2年生のとき、肺炎で10日間入院したときに、毎日メールをくれたのは仲の良かった高校生の先輩と、モモちゃんだけだった。携帯所有率は8割くらいだったと思うので他の子もみんな携帯は持っていたが、毎日欠かさずくれたのは2人だけだった。
家にはお琴があったし、弟もその後どえらいところに進学した秀才で、いかにも育ちがいい!という感じがした。違うよ、このあたりの環境や能力を僻んでいたわけではない。まあ、こんな感じの子やということ。
そんなモモちゃんに違和感を抱いたのは、中学3年生のときだ。
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