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クラスや、集団に貢献する人間を育ててみませんか

もしくは、自分がそうなりませんか?という話です。みししっぴぃです。

さて、今日のテーマは、学び合う、主体的・対話的で深い学び、協働性みたいな話です。18年から幼稚園、20年から小学校と始まる、最新の指導要領にも関係があります。

指導要領って

前段として簡単に背景を説明します。指導要領って聞いたことがありますか?
正確には学習指導要領っていいまして、(幼児はちょっと名前が違うけど、厚労相や内閣府がからんでめんどくさいので割愛)、日本ではおよそ10年に一度、文科相に、教科の先生や学者さん、校長の代表、発達心理の先生が集まって、つぎの10年の教育はこうしよう!と決めています。
それに基づいて、国語なら国語、算数なら算数ではどんなことを学習するのかを決めていき、教科書がつくられ、教育が行われるわけです。

たとえば、戦後、高度経済成長期など、時代によって、国がほしい人材は変わります。
昔はアメリカが言ってることを正確に聞き取るよみとることが必要だったけど、もう、ある程度追い付いて、世界でも有数の大国になった今や、英語でバンバン発信できる人でないといけなくなりました。
(子どもたちがんばれー!)
だから急に、四技能とか言われ始めたわけです。

子育てママのなかには、国の方針とか、国の教育とか、公立なんて、とか、教科書なんて、と、ネガティブなイメージがある人もいるかもしれません。反対に、ヨーロッパでの教育とか、きらびやかに見えるかもしれません。しかし、日本で世界とやっていくための教育が設計されているので、しばらく日本にいるのなら、考え方をぜひ柔軟にしていただくと良いと思います。
基本的には日本の教育水準はとても高いんです。

クラスや集団での貢献してきましたか?

さて、本題に戻ります。

クラや集団に自分が入るとき、どんな貢献をしてきましたか?リーダーでしたか?なんもしてないですか?特に、なにも。と思い浮かべた人も多いんじゃないでしょうか。それ以外は本当に集団にたいして貢献をしていないのでしょうか。チーム競技なら、プレー中は何らかの貢献をしていますし、練習中も貢献していますよね。チーム競技とはなりにくい競技の部活や勉強とかではどうですか?

かといって、リーダーばかりがいる集団なんて恐ろしくないですか?合意形成が行われる気もしないし、リーダーは、リーダーとしてのなにか向き不向きがあると思います。

リーダーだけが貢献か

じゃあ、リーダーじゃなければやっぱ、貢献なんてむり。

そう考えるのもちょっと早いのです。

リーダーや話者の発言に対して、

もっと詳しく教えて
わからないからもう一度おしえて、
こういうときはどうするの?
じゃあ、こうしたら良いんじゃないかな?

等と発言をして、リーダーの意見をより洗練させていくことが貢献と言えます。

さらに、授業中では、一見、足を引っ張っているような発言、たとえば、

それ、わかりません。 
黒板の文字読めません。
次どうしたらいいんですか
何ページですか?

聞きにくい質問ですよね。恥ずかしいですもんね。怒られるかもしれないって思いますしね。

でも、その影で

わかった!
助かった!
僕もそう思ってた!

と、胸を撫で下ろして入るひとがいると思うんです。それって、クラス全体が前に進むためにすごく貢献してませんか?

それが学び合う姿の本質だと思っています。深い学びって、本来は、互いに学び合う事で、集団が一つ深い認識へと昇華することなんだろうけど、そんなに、難しいものと思う必要なんてないのです!!

深い学びは、これからの日本を担う子どもたちに、一番必要とされているといっても過言ではありません。見過ごせません!!

貢献できる子をどう育てるか

まずは、そういう小さな貢献をみんなが重ねていく空気作り、回りの意見を聞きたいきもち、それを育てていきたいです。

そのためにはご家庭でも、こどもの失敗も含め、発言を受け入れ、聞きたいんだよ!話してくれてありがとう!というような雰囲気作りを心掛けてはどうでしょうか。

自分に自信がでて、失敗を恐れず参画意識をもって主体的になれると思っています。

授業中無言で、テストが満点のひとが落第する時代になっています。まじで。

大人の集団でも生かそう

これらは必ず大人の集団でも生かせます。仕事でも、遊び仲間でも、ジムのレッスンとかの習い事でも。

チームでうまくやるために自分がどんな貢献をしているか、ここまでの記事の内容を思い返して考えてみてください。

充分に貢献してない。と感じたあなたは何から始めていきましょうか。

発言してみようか。

からはじめる人も多いかと思います!良いと思います!はじめは勇気が要ります。でもいつかそれは自分に帰ってきますし、自分の成長になります。

最後に

私か、私よりすこし年上の世代では、競争に勝てる人間をよしとされてきました。個人技が評価され、そこからこぼれた人間は徹底的に見下されます。勝ち組負け組みたいに、別けられたりします。

そんなまま大人になった人のなかには、自分さえよければというような感覚の人も多く、

私は私だから、自由になるの

と、レリゴーな発言をされるかたもいます。回りに貢献することは、回りに媚びへつらうことでも空気を読むことでもありません。普通のことです。少なくとも今の子どもたちにとっては。

そんな発言を繰り返すひとが集団にいるときに、私は厳しいけど、

家で一人でやっててよ

と思ってます。他の人の貢献を吸うだけ吸ってるの、単純にずるじゃないですか。そういうひとが一人でも変われますように。

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