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こんな時代の世の中で


最近、インスタグラムをまた久々に始めた。

なぜこんなにも久々になってしまったかというと、
インスタグラムに対して、とういうか"インスタグラム的な世界"への世間の付き合い方にどうしても折り合いがつかなかったからだ。
でも今はもううまく付き合える気がする。

もはや、インスタグラムはビジネスや、自分をプロデュースしたり、見せたい「仮想自分」を見せるためのツールの一つとして社会の中に居場所を落ち着けたように思う。
僕の目には多くのアカウントがそう映る。

自分の為だけに書く絵日記や、好きな人の為だけにに書く手紙のようなものではなくなって、
日常の中に新たにできた
「やるべきこと」「業務としてこなすべき仕事」「ほんとは違うとは分かっているけど社会的にそうしたほうがいいよね。得だよね。」
みたいな世界観が広がっているだけのような性格になってきちゃった。

ほんとは、もっと個人的なものでいいはずだと思う。
もっと単純で根源的な"好き"とか"こういう世界が見えました"とか"自分はこんな性(さが)があるんです"みたいな超個人的な日記で、
浮いたものでいいはずだよね。


僕は、時代に乗ったオシャレなページよりも、
そういう究極に個人的で、無放射なものがみたい。

一見スタイルが綺麗なものはカッコイイとは思うけど、それを見たときの気持ちや心の動きを後から思い出したことは一度もない。

それよりも、何を見せられたんだろう?みたいな言葉にできないけど何かに触れた。っていうものを見たいし、作りたい。
それしかない。


自分だけの目を獲得するべきだ。
それこそがするべきことであって、
一生向き合えることでもある。

だってインスタグラムは、
もともと完全に無対象で、完全に個人主義でいいものだよね。

ポジション取りばっかしてないで、
自分だけのポジションを作りだそうよ。

#写真
#インスタグラム

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