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がいなおかあ(4)・3歳の留守番の日々に見てたもの。



四国地方の方言で「気が強い」という意味で使われる
「がいな」
おかあ(母)は現在81歳。
このおかあ、とにかくジコチュー。
自分肯定ハンパないこの人の嫌味と灰汁(アク)を愛を込めて書いています。

今回はわたしの幼い頃の留守番の話し。


古い小さなアパートの2階。
窓には花を置くスペースがあった。
そこに三角にすわり、わたしはよく下にある小学校を眺めていた。
もう半世紀ほど前のことだ。

下にある小学校の給食室がすぐそこに見える。なんとも複雑なところにアパートがあった。
兄はもう、その小学校に通っていた。昼時になると白衣を着た小学生が数人現れる。
白くて変な帽子、白いだけの割烹着、マスク。そんな不気味ないでたちに、幼かったわたしは、小学生になりたくない、と強く思っていた。

その頃、わたしは小学校就学前。
だがしかし、ひとりで留守番をしていた記憶があり、それがこの記憶。

おかあ(母)は働きに出ていた。
アパートから目と鼻の先にある小さな弁当やさん。店の名前などこれっぽっちも覚えてやしないが、赤茶色の弁当箱だけはしっかり覚えている。その弁当を食べた記憶もある。

赤茶色の弁当箱には白いご飯が入っていて、ふたの内側に湯気の水滴がたまり、その水滴をふたの中で転がしてあそんでいた。


今になって、ふと考えた。
小学校就学前の年齢というと3歳か、4歳。まだ幼稚園にも行ってなかった。

子どもの記憶は3歳頃から残るらしい。夢とか幻想ではなく、たぶん実際に体験してたんだろう。

また、日本の法律は留守番させるなら何歳以上など、明確なことは定められてはいない。

だがしかし、それって一歩間違えたら通報もの。

曖昧なような、明確なような記憶を確かめるべく、母に電話をしてみた。
いつものように何気なく

「働いていたあの弁当やさん、なんていう名前?」
「あの時まだ、わたし小学就学前だったよね?何歳やったんかな?」

冗談混じりに聞いてみた。

楽しいコミュニケーションのつもりだった。

しかしその答えは

「今更、何?アタシを責めてんのか?
小学校就学前かなんか知らんけどアタシは必死に生きてきたんじゃ!誰になんも言われることはない!」



ほえっ?

一瞬たじろいだ。

昔話に花を咲かせるわけでもなく、
「ごめんね」を頂戴したわけでもなかった。

しかし、そんな怒りに似た発言の裏に、たぶん悪かったという気持ちがあったのだろう。強い口調はその裏返しかもしれない。


確かに寂しかった。

でも責めてなんかいやしない、

責める気持ちなど少しもありゃしな……いや、少しはあった。

あったんや。

#昔のことだよ遠い昔
#今があるのは昔があるから
#責めるつもりはあるのかないのか
わかりまへん

To be continued


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