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スタジオマンを卒業した

皆様お疲れ様です!二文字です。
タイトルにもあるとおり、スタジオマンを卒業しました。

日本では東京にしかない職種、スタジオマン。なぜこの仕事をしたのかということや、やってきた事などつらつらと書いていこうかなと思っております。

前にも記事にして書いてあるのですがスタジオマンになった理由は撮りたいものを撮っているだけじゃ食えないってわかったから、撮る力と技術と経験を学びたかったから。ざっくり〜

上京してスタジオマンになるまでは地元広島で会社員しながらカメラマン活動していましたが、その当時の自分のレベルで他のカメラマンに太刀打ちできなかったんですね。そりゃもう写真を学んできたわけでもなく天性の才能があるわけでもない男がいきなり高いカメラを買って写真を撮り出しただけですから。

そしてコロナになった。何をするにも制限がかかり身動きが取れないならいっそのこと今しかないと思ったわけです。

色々な方に相談に乗って頂きました、その中でスタジオマンというワードが出てきた、きっかけは自分が作るしかないと思いました、、。当時働いていた工場の裏で少しの休憩時間の間に電話で聞いてみたり、夜行バスに乗って東京のスタジオ説明会に行ったり、そうしてなんとか採用していただくことになったのが代官山スタジオでした。

入社して2年半働かせて頂き、スタジオアシスタント、ロケアシスタント等たくさんの現場を経験させて頂きました。その中で一年と三ヶ月の期間はサブチーフという役職に選んでいただき、40人弱いるスタッフの指導や業務の改善などにも携わらせて頂きました。個展を2回行い、やりたい写真の方向性も固まった。

撮影現場のあれこれは流石に書けませんが間違いなく確実に自分のやりたい事だった。目の前でシャッターを切ってるフォトグラファーの横でライトの調整をしていることに劣等感を感じ、取材撮影でもたついているフォトグラファーを見て何度も俺と変われって思った。

という中で人間的にもこの歳で恥ずかしいですが成長させてもらい、機材の取り扱い方からライティングのこと大きい現場小さい現場での立ち回り方など教わりました。

そしてスタジオマンの先輩後輩などたくさんの方と知り合えたことが何よりの財産でした。

まだ学びが浅く、完全ではない自分ですが決めていた2年半という期間で卒業させて頂き、これからはフリーのフォトグラファーとロケアシという形でいきます。

この場を借りて2年半のスタジオ在籍期間中、二文字を指導していただいた方々ありがとうございました!引き続きよろしくお願い致します!


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