大学院(教員たち)の手によって淘汰される修士課程の大学院生として
こんにちは。人間生活ゼミナール(修士課程1年生)です。
23歳にして、荒れた2日間を過ごしてしまいました。
なぜ荒れていたのかというと、やり場のない怒り(アカハラ指導教員の存在そのもの、それから、アカハラを「仕方のないもの」として片付けようとする大学院の態度、私の存在をひたすらに無視しようとする周りの先生たち)と、どうにも昇華しようのない悔しさ(博士課程に進学できないことで、指導教員の思うがままになることが辛くて耐えられないこと、自分の希望が他人のせいで実現できないこと、周